「またしても!でも、いかにもイモムシらしくって可愛らしい!」

またもや、ウォーキングの途中の歩道で、可愛らしいイモムシを発見!

これだったら連れ帰りたいほど、イモムシらしいイモムシ君です。

でもぼくは、ファーブル先生でもないので、このイモムシ君がどんな成虫になるのかも分からず、やっぱりとんでもない成虫になって部屋を飛び回ってくれても困りもの。

泣く泣く断念いたしました!

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「七五三の後は、あっちもこっちもクリスマス!」

近所のスーパーの店内も、ドラッグストアーも、あっちもこっちもすっかりクリスマスですねぇ。

七五三のディスプレイなんかよりも、クリスマスの方が圧倒的に目についてしまいますもの。

子供の頃、クリスマスツリーを飾って欲しくって、両親に泣いて強請った覚えがありました。

でも小さなクリスマスツリーがわが家にお目見えしたのは、小学校の3年の頃のことだったでしょうか!

クリスマスの次の日の夜、お父ちゃんが「おお~い!クリスマスツリー買って来てやったから、来年のクリスマスは一緒にツリー飾ろうな!」って。何で、もうせめて2~3日前に買ってくれなかったのか、と、お父ちゃんに問うたものです。

すると「今年のクリスマスの売れ残りが、安うなっとったでやわさ!」と。

今にして思えば、両親は、そんな風に遣り繰り算段をしながらて、何とかぼくに肩身の狭い思いをさせぬようにと、育ててくれたんだと感謝の気持ちばかりです。

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「舞台監督の42年来の友とDAIKOKUへ!」

先日の夜、ぼくのリサイタルの演出や舞台監督を務めてくれている、4年来の友とDAIKOKUの機材チェックを兼ね、二人で語らいながらグラスを重ねてまいりました。

この友とは、42年ほど前に出逢いました。

それからもこれからも、互いに付かず離れずの関係を保ち、今日まで続いているくさ縁です。

ぼくは一人っ子だったせいもあってか、いつもベッタリと、絶えず友人たちと一緒と言う関係は、何よりも苦手です。

人間には、野生動物たちと同じように、保守半径と言うモノが存在していたと、かつて半村良さんの小説で知ったことがあります。

その「保守半径」と言う理論は、小説家半村良氏の想像の産物なのか、或いはちゃんとした学説なのか、ぼくも確かめてはおりません。

しかし氏の小説の中に描かれた「保守半径」の件が、妙な説得力を秘めていたせいか、この年になっても忘れられず覚えております。

その「保守半径」なるもの。例えば野生の、百獣の王ライオンの保守半径が300mとすると、ライオンがよっぽど腹を空かして飢えていなければ、ライオンから半径300mの距離に立ち入らなければ、同時にこちらが何も危害を加えようとしなければ、ライオン自らから襲い掛かって来ることはないといった内容でした。

そして古代の人間にも、そうした保守半径と言うモノが、存在していたのでは無いかと!

古代の人々の保守半径が仮に10mほどであったとしたら、大都会で暮らす現代人は数cmにまで縮めながら、暮らしているのでは無いでしょうか?

しかも満員の通勤電車の中では、そんなわずか数cmの保守半径すらも保てず、体が密着するほどです。

そうして知らず知らずのうちに、「保守半径」を互いに犯し合っていることで、ストレスを生じさせているようにも思えます。

先日の、穢れ落としの陸奥旅など、名古屋なんぞに比べたら、そもそも人口密度が低いため、まったく満員電車で味わうようなストレスなどありませんでした。

ぼくの大好きなニュージーランドなんて、そもそも人間の数より、羊の方が多いくらいですから、ストレスフリーですし、むしろ人恋しい思いに駆られるほどですから!

きっとぼくは、42年の付き合いとなる友と、これからも付かず離れずで、どちらかが先にくたばるまで、こんなルーズな関係を保っていくのかも知れません。ちたいものです。

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「なんじゃこりゃあ!」

雨の日の翌日のこと。運転免許の書き換えで、名古屋の港水上警察署で手続きを終えた後、の~んびり歩いて帰ろうと、築地から千年、そして旗屋町を経由しながら、片道kmの道程を、ウォーキングかたがた歩いて帰った時の事でした。

築地から千年に向かう途中の、歩道の植え込みでこんな不思議な物に出くわしたのです。

まるで野球のボールのようでした。子供の頃の草野球。貧しい昭和半ばの時代ですから、満足な野球道具のグローブなんてありません。素手がグローブなんですもの。しかもバットなんて、一文菓子屋の倅のトシ君が持っている、たったの一本こっきり。ぼくらはトシ君のバットが借りたい一心で、野球ベタなトシ君でもメンバーに喜んで入れていたものです。しかもボールなんて、国際のボールがたったの一個。誰かがたまさかホームランでも打とうものなら、ぼくらは皆でキャベツ畑の中を探し回ったものです。まるでそんな感じで、キャベツ畑でボールを見つけた気分でした。

しかし近付いてよく見ると、巨大なマッシュルームのような、見たことも無いキノコです。しかしあまり見かけないキノコには、毒性を持つ物も多いと聞いていましたので、そっと傍観するだけにしましたたものです。

まあよくよく眺めて見れば、とても食用とは思えぬまがまがしさ。何でも聞くところによると、一雨で一気に成長する、こんなキノコもあるのだとか!嗚呼、クワバラクワバラ!

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「天下一!馬瀬川の鮎めし」

これは残り物クッキングではありません。ぼくが鮎を焼いて、郡上からお送りいただいた新米で炊き込んだ「鮎めし」です。

鮎は、馬瀬川温泉「美輝の里」の支配人さんから、鮎漁の解禁直後にいただいた物を冷凍して、新米の時期まで保存していたのです。

さすが天下一に輝いたと言う、「馬瀬川の鮎」。冷凍する前は、本当に奇麗なお姿で、桐の箱に収まっておられたものです。

全部で10匹いただきましたが、今回はその半分の5匹を自然解凍し、沖縄の塩を振り、魚焼きグリルでまずは塩焼きに!

焼き立ての鮎の塩焼きを、まず尾と鰭を取りのぞき、次に箸で鰓の周りを切り裂き、今度は箸の背で鮎を軽く圧し潰し、最後に身を手で押さえ、頭からスッポリ中骨を抜き取ります。これは初めて岐阜で初めて、鮎釣り名人を自負する先輩から、鮎の食べ方として習ったものです。

次に中骨を抜いた鮎を、手で千切り取り、新米を入れた炊飯器にたっぷり入れ、炊き上げたそれだけの「鮎めし」です。

昆布や鰹の荒節で煮出した出汁も加えず、もちろんお醤油や白醤油なども一切加えず、ただ塩焼きにした鮎に纏わりついた塩味だけですから、炊きたての炊飯器の蓋を開けると、ただならぬ香魚「馬瀬川の鮎」の香りと、郡上育ちの新米の香りが立ち込めます。

もう、これだけでも、天下一のご馳走でした!天晴れ、馬瀬川の鮎と、郡上の新米!

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「白山長滝の鮎パークへ!」

先日レンタカーを借りて、ぶらりと白鳥を越え、白山長滝の「鮎パーク」まで足を延ばして、ドライブを楽しんでまいりました。

丁度その日は、とても良い秋晴れの日に恵まれ、小学生が観光バスで訪れ、鮎のつかみ取りから串打ちまでを指導いただきながら、バーベキュー棟で鮎を塩焼きにして舌鼓を打っているようでした。羨ましい!

何ともいい眺めではないですか!川原に座り込んで、五平餅でも肴にキリン一番搾りでぷっはぁと行きたいところですが、車ですからもちろん飲酒はダメ!

ぼーっと、長良川の流れを見つめているだけで、気持ちが和らぎます。

この池の中では、鮎やニジマスなどが優雅に泳ぎまわっていました。

きっと小学生の太公望たちが大騒動するんでしょうね。

やっぱり鮎は美しい!

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「どんなに遠い君への道でも」

深夜番組のラストソングは、必ずこの「どんなに遠い君への道でも」を、お聴きいただいたものです。いつからか、どなたが名付けられたのか、「おやすみソング」なぁ~んて親しみを込めて呼んでいただいたものです。

今日は、弾き語りでまずはまったりと、「どんなに遠い君への道でも」をお聴きいただきましょう。

「どんなに遠い君への道でも」

詩・曲・歌/オカダ ミノル

疲れ果てた夜は君が夢に訪れる

もう少し手を伸ばせば君を抱きしめられた

一番二人きりで逢いたい時に君と逢えない

もう少しだけ早く出逢うことが出来たら

 これ以上愛さないで 君の声が涙に滲(にじ)む

 どこまで行けばいいの どこまで続くの迷い子の恋

 これ以上愛さないで いることなんてぼくは出来ない

 これ以上たとえ君を 苦しめるとしても今君が好きだ

肩に回したぼくの腕時計を

何度見詰めても時は止められない

だけど君を抱いたあの夜から

ぼくの人生の 時は確かに君の前に立ち尽くした

 誰より深く君を 愛することしかぼくに出来ない

 どんなに遠い君への道でも これが最後の恋

 この広い世界中で 君のこと以外ぼくは見えない

 これ以上たとえ君を苦しめるとしても 永久(とわ)に君が好きだ

 誰より深く君を 愛することしかぼくに出来ない

 どんなに遠い君への道でも これが最後の恋

 この広い世界中で 君のこと以外ぼくは見えない

 これ以上たとえ君を苦しめるとしても 永久に君が好きだ

どんなに遠くに見えている山の頂でも、死ぬまでに一度は訪れて見たい、世界の果てにある名所であっても、どうしてもそこへ辿り着こうとする意志があるのならば、まずは最初の一歩を今踏み出さねば、昨日より目的地に近付くことなどあり得ません。

それは何も山の頂や、世界の果ての名所だけではなく、何事においてもそう言えるのではないでしょうか?

ぼくには、冒険家の知り合いがいます。その方は、2005年に植村直己冒険賞を受賞された、リヤカーマンこと冒険家の永瀬忠志氏です。彼は生活用品を積んだリヤカー「たごさく3号(当時3代目となるリヤカーだったため)」を引いて、1989年にアフリカ大陸の横断を始め、翌1990年にサハラ砂漠縦断を達成。1年の歳月を費やし、約11,100kmのアフリカ大陸横縦断を歩みぬいたのです。ぼくが彼にあったのは、確か1991年、冒険旅行から帰国して間もない頃のこと。独身だった彼の大阪にあったアパートに上がり込み、冒険譚に耳を傾けたものでした。当時彼は夜間高校で教鞭をとられ、生活を切り詰めお金を貯めては、また次の冒険へと向かうと言う、そんな暮らしをなさっていたものです。今でも忘れられないのは、彼が入れてくれたインスタントコーヒーです。とにかく必要最低限、余分な物を一切持たず、冒険の資金に充てていたようです。ですから、洒落たコーヒーカップもソーサーも無く、あるのはキャンプ用のアルマイトのコーヒーカップと、アルマイトのボール。彼はそれに堂々とインスタントコーヒーを淹れてくれたものです。どんな名立たる珈琲専門店のコーヒーよりも、一際美味しかったのを今でも鮮明に記憶しています。

アフリカ大陸の横縦断11,100kmの道程だって、端から無理だと思えば暴挙でしか無いかも知れません。しかし彼は、己の肉体の限界と闘いながら、アフリカ大陸に最初の一歩を記し、心が何度も折れながらでも、愛車のたごさくと共に歩みぬいたのです。普通歩幅は、「身長×0.45」が目安とか。彼はそれ程大柄ではありませんから、仮に身長を170cmとすれば、×0.45で一歩が76.5cmとなります。11,100kmを歩ききるのに彼は、約1千450万歩、ひたすら歩み続けた勘定となります。果てしなく遠い道のりです。でも彼は、アフリカの大地に、最初の一歩を踏み出したのです。

例えその場所が、例えその人が、どんなに遠くに見えようが、近付きたければ迷うことなく、一歩でも前へ前へと歩まなければ、いつまでも遠くから眺める、自分の立ち位置の視点からの風景だけしか見えないものではないでしょうか?

ここでもう一度「どんなに遠い君への道でも」をCD音源から聴き比べていただければ有難い限りです。

★ここで新企画のご提案です。深夜放送では、毎週特集のテーマを決めて、昔話の思い出話をメッセージとしてお書きいただき、リクエストいただいておりましたが、今ではそうはまいりません。

そこで毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)

今週の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「サンタさんの長靴(クリスマスブーツ)」。家なんて筋金入りの仏教徒でしたが、小学生になると一応、クリスマスの真似事をやってもらったものでした。今でこそ、クリスマスブーツと言えば、「ああ!あれかあ」となりますが、わが家では確か「サンタさんの長靴」って呼んでいたように記憶しております。それがまあ欲しくって欲しくって!毎年毎年半べそかいておねだりして、小学校の半ばの頃になって、やっとのこと本当に小さなサンタさんの長靴を買ってもらったことがありました。でも子どもながらに、なんでサンタさんの長靴って、片一方しかないのだろうと、不思議でならなかったものです。しかしこれは西欧では見られない商品で、海外の方たちはとてもビックリされますものね。

今回はそんな、『サンタさんの長靴(クリスマスブーツ)』に関する皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。

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ぼくには、冒険家の知り合いがいます。その方は、2005年に植村直己冒険賞を受賞された、リヤカーマンこと冒険家の永瀬忠志氏です。彼は生活用品を積んだリヤカー「たごさく3号(当時3代目となるリヤカーだったため)」を引いて、1989年にアフリカ大陸の横断を始め、翌1990年にサハラ砂漠縦断を達成。1年の歳月を費やし、約11,100kmのアフリカ大陸横縦断を歩みぬいたのです。ぼくが彼にあったのは、確か1991年、冒険旅行から帰国して間もない頃のこと。独身だった彼の大阪にあったアパートに上がり込み、冒険譚に耳を傾けたものでした。当時彼は夜間高校で教鞭をとられ、生活を切り詰めお金を貯めては、また次の冒険へと向かうと言う、そんな暮らしをなさっていたものです。今でも忘れられないのは、彼が入れてくれたインスタントコーヒーです。とにかく必要最低限、余分な物を一切持たず、冒険の資金に充てていたようで、コーヒーカップもソーサーも無く、キャンプ用のアルマイトの

「残り物クッキング~なぁ~んちゃって味噌おじやドリア」

長野県飯田市のハヤシファームが誇る、「Honey Babe」。中でもハチミツを与えて育てた、脂の甘みが随所に感じられるのは、しゃぶしゃぶ用にスライスされたバラ肉です。

晩秋のこれからは、こんな豚しゃぶで身も心もホッコリしたいものです。

ぼくはハヤシファームから冷凍で取り寄せた「Honey Babe」の豚肉を、冷凍庫に常備していることもあり、手間のかかる料理よりも、ちゃちゃっと簡単に豚しゃぶにしてしまうことも多いです。

ハヤシファームのHoney Babeは、こちら!https://hayashifarm.jp/info/1105784

ぼくは土鍋に、昆布と鰹の荒節で煮出した出汁を満たし、カセットコンロの火にかけながらHoney Babeのしゃぶしゃぶ用バラ肉を、しゃぶしゃぶっとし、旭ポン酢に山椒粉をたっぷり振りかけていただきます。まずはしっかりお肉を戴き、Honey Babeの脂の旨味が出汁に入り込んだところで、白菜やキノコにネギなど、冷蔵庫に残っている野菜を投入し、美味しく野菜もいただきます。

とは言え、そうそう食べれるものではありません。ですから毎回、お肉と野菜のしゃぶしゃぶの残骸が残ってしまうため、翌日は味噌仕立てにして、豚汁風に早変わりです。それでもまだ残ってしまうと、そのまた翌日には冷ご飯を豚汁風しゃぶしゃぶの残り物と鍋で煮て、お母ちゃんの味の懐かしいおじやにするってぇのが、食材を無駄にしないぼくの流儀です。って、一回しゃぶしゃぶをやれば、少なくとも3日はそれに一手間加えるだけで調理も済み、手抜きクッキングには持って来いってぇのが本音です(笑)

今回は3日目の味噌おじやも残ってしまい、さて4日目に何としたものかと、捻り出しましたる作品がこの「なぁ~んちゃって味噌おじやドリア」でございます。

作り方は、超ずぼら。おじやの残りは、ご飯粒が豚汁の汁を吸ってしまっていますので、それをレンジでチンして温め、グラタン皿に盛り付け、上からとろけるチーズたっぷりかけて、後はオーブントースターでチーズに焦げ目が付くまで焼き上げれば完了です。

しかし侮るなかれ!和風の味噌も、西欧のチーズだって、共に立派な発酵食品です。ですから相性たるや抜群!キリン一番搾りにも、白ワインにもピッタリで、これだったらお子さん向けにも最適です。ぼくはたまたま豚しゃぶから豚汁、そして味噌おじやと転じましたが、普通の味噌鍋の残りで作ったおじやの残り物や、味噌汁から作ったおじやの残り物でもピッタリです。是非一度、騙されたと思って、こんな超ずぼらなクッキングも実践して見て下さい。

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「俄かラガーファンのぼくですが」

このTシャツにプリントされた、憤怒の表情のラグビー選手に、見覚えがありませんか?

先日のラグビーワールドカップで、ニュージーランドのオールブラックスのメンバーとして出場していた、ブローディ・レタリック(Brodie Retallick)なんです!

今年の春、TVのニュージーランドロケの折り、彼が在籍しているハミルトンチーフスのスタジアムで購入したものです。彼の100キャップ達成記念のTシャツです。さて、この“キャップ(cap)”というもの。俄かラガーファンのぼくには、チンプンカンプンでした。調べて見ると この数字、その選手が国の代表選手に選ばれて、国と国の試合(テストマッチ)に出場した回数を表すんだそうです。ですからその 数が多いほど、国際試合の経験が多いということになる、偉大な数値でもあるそうです。まあいずれにせよ、大変な名誉であることに、違いありません。

ワールドカップ終了後は、 神戸製鋼コベルコスティーラーズへの加入が決まっているようですねぇ。ってことは、またあの憤怒の形相にお目に掛かれるやも!

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「街中のお祭りは・・・」

ちょっと前の10月中旬頃、ウォーキングの途中で子ども神輿に出逢いました。

子ども神輿の舞台が、パトカーの先導する国道の一車線では、なんとも切ない気分になりました。

やっぱり周りに小高い山があったり、昔家並の残る、そんな背景画だと、もっと気分も盛り上がるのでしょうが、街中ではそうもいきませんから、ちょっぴり切なくなってしまったようです。

後は、何処までも高い青空を、鳶がクルリと輪を描いていたりしたら、最高なんでしょうが!

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