今夜は、CDにも収録されていない、「だからもう」を弾き語らせていただきます。
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「だからもう」
詩・曲・唄/オカダ ミノル
何も言わなくていい ぼくが側にいるから
自分を責めてみても 昨日は何一つかわらない
長い旅の途中の 港で立ち尽くして
ぼくが漕ぎ出す船を 君が選んでくれただけ
今さら出逢いが 遅すぎたなんて 心欺(あざむ)き 続けて生きるよりも
だからもうぼくだけを 信じ続けて 生きてごらんよ 君が君らしく
人が何を言おうと 君は君でしかなく
ぼくもぼくでしかない ふたりで一つを生きるだけ
有り余る時間もなく 微かな残り灯だけ
だから片時でさえ 愛しく心が求め合う
いつかふたりが この世を去ろうと 君を愛した 記憶は消せはしない
だからもうお互いを 想い続ければ 何もいらない 君さえいてくれたら
月明り頼りに 沖へと向おう 君が生まれた 星座を目指しながら
だからもういいよ すべて哀しみは 泪と共に 海へと還(かえ)せばいい
この曲は、ラジオの深夜番組を始めて、しばらくした頃に作った曲です。
あの忌まわしいバブルの時代は、誰もがこれでもかこれでもかと、自分を追い立てるかのように、あくせくあくせく生きた時代でもありました。ぼくが20代後半に差し掛かった時代から30代半ばまで。誰も彼もが浮かれ騒いだそんな時代でした。しかし果たして、世に言うバブルの恩恵に預かったと言えたのか?よくわからないまま、そんな浮足立った時代の渦の中に、ただただ巻き込まれていただけのような気もいたします。
それからは、バブルの後遺症にこの国全体が蝕まれていったのではないでしょうか?
それはなにも経済的な事ばかりではなく、人々の心までもが蝕まれていったように思えてなりません。
そうこうしている内に、ぼくも気が付けば当時は50代半ば。そんな頃、深夜番組に寄り添って下さるリスナーさんの心の叫びや、痛み、哀しみを知ることとなったのです。その頃、よく思ったものでした。ああ、皆同じなんだって。少なくともどんなに幸せそうに見える方でも、それなりの悩みや苦しみ、そして哀しみを背負って生きているのだと。そして普段は、何事も無いかのように強がって生きねばなりません。ところがラジオの深夜番組と言う、顔も名前も、どこの誰かも分からない者同士という、極めて希薄な関係の方たちが電波を通じて集われるのだからこそ、心の内なる部分の痛みも吐露出来るのではなかろうかと。そうこうしている内に、これまで全くつながりも関りも無かったはずの、どこかのリスナーさんが、お悩みを吐露されたリスナーさんに対し、ご自身の体験談を語られるなど、痛みを分かち合おうとしてくださったりしたものです。『癒し癒され、相見互い』そのものだと、痛感したものでした。
そんな光景を何度か目の当たりにしている内に、もうそれぞれ十分に大人を続け、苦しみも哀しみも、味わい尽くして来たのだから、せめて自分だけが自分を許してあげようとしてもいい、そんな境地の時代に突入したのだろうか?と言う思いに、駆られたものでした。
どんなに苦しくて辛くても、せめて自分唯一人だけは、どんな時でも自分に「だからもう」いいじゃない!と。だってやるだけの事はやったのだから、もうそれで良しとしよう!いつまでも引き摺らないで、ちゃんと明日を迎えようよ! そんな祈りに近い想いを、託した作品です。
★「群馬県伊勢崎市のアイラさんのHappy Birthday~君が生まれた夜は」で、ささやかなお祝いです。
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アイラさん!お誕生日本当におめでとうございます。
末永く彼とどうぞいつまでもお幸せに!
★ここで新企画のご提案です。深夜放送では、毎週特集のテーマを決めて、昔話の思い出話をメッセージとしてお書きいただき、リクエストいただいておりましたが、今ではそうはまいりません。
そこで毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)
今週の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「千歳飴」。季節柄、最近よく熱田さんの側で、めかし込んだ七五三の親子連れを見掛けるようになりました。ついつい遠い日の、娘の七五三の晴れ着姿を思い出したりして、微笑ましいものです。しかしぼくが子どもの頃は、七五三と言えば、自分の身の丈の三分の一もあろうかと言う程に長い「千歳飴」を買ってもらうのが、何よりの楽しみだったものです。しかし最近は、どこの親子連れを見ても、千歳飴をぶら下げて歩いている子供なんて見掛けません。確かに今の子たちにしてみれば、あんなに長ったらしい棒飴なんかより、もっと美味しいお菓子が選り取り見取りですから。でも昭和オヤジからいたしますれば、あの千歳飴こそが、立派な成長を祝し、神様へのお礼に上がると同時に、その先も健やかな健康をと願う、そんな節目の神から下賜されたような、有難い千歳飴であったように思えてなりません。しかし・・・。あの千歳飴、ちゃんと一本丸ごと舐めたのだろうか?途中で飽きてしまい、両親に払い下げでもしたものでしょうか?
今回はそんな、『千歳飴』に関する皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。