追加公演決定!「KIRIN BEER PRESENT’S オカダミノル ほろ酔いLive Again !Happy New Year 2020 in DAIKOKU」の開催が決定いたしました!

お陰様で、先日10月22日(火)の22:00アップの「深夜ブログ」で、KIRIN BEER PRESENT’S 「オカダ ミノル ほろ酔いLive 2019 in DAIKOKU」の開催告知をさせていただきましたところ、25日には定員を遥かに超えるお申し込みを頂戴し、感涙にむせび泣いたものでした。

しかし会場のキャパシティーから、お申込みいただきました皆々様全員にご参加いただくことが叶わず、キャンセル待ちをしていただくこととなってしまっておりました。

そんな中、KIRIN BEERさんと、会場でありますDAIKOKUさんのご厚意もあり、追加公演を急遽開催させていただくこととなりました。

ぜひ、皆々様にご来場賜れれば、幸いです!

KIRIN BEER PRESENT’S 「オカダ ミノル ほろ酔いLive Again! Happy New Year 2020 in DAIKOKU」

●日 時:2020年1月25日(土)14:00開場、14:30頃開演、16:30頃終了

●会 場:DAIKOKU 岐阜市御浪町24 058-265-8687

●出 演:オカダミノル

●参加費:お一人様Live Charge 3,000円(*KIRIN BEER or KIRINのソフトドリンク飲み放題と、お料理1品付き。追加のお料理は、個々に別途でお支払い願います) *参加者全員に、KIRIN BEERさんからのお土産もご用意いただけます!

●定 員:45名(全席自由席)

●申込み:メールで、herakozu@yahoo.co.jp「オカダミノルほろ酔いLive  Again!Happy New Year 2020」係まで。メールには、必ずラジオネームとご本名、ご連絡先のお電話番号と、参加人数をお書き添え願います。*万が一キャンセルの場合は、必ず2020年1月11日(土)17:00までにメールでご連絡願います。その時点を過ぎると、全額ご負担いただくこととなります。

●締 切:2020年1月5日(日)*但し定員となり次第締め切り

●問合せ:herakozu@yahoo.co.jp

●主 催:オカダミノルほろ酔いLive Again実行委員会

*Live終了後は、そのままDAIKOKUでオカダミノルもご一緒させていただき、二次会打ち上げパーティーを開催いたします。(*二次会のご飲食代は、別途実費精算となります)ご希望の方は、お申し込み時に「二次会出席希望」とお書き添え願います。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「八甲田丸のマリンベル!」

操舵室の一際見晴らしのいい、左舷船首に「八甲田丸の号鐘(ごうしょう)」マリンベルが設置されていました。

さすがに人目を気にして鳴らしませんでしたが、きっといい音色だったことでしょう!

4F航海甲板の煙突展望台から眺めた、津軽海峡です!なんと穏やかな姿でしょう!この景色から「津軽海峡冬景色」は。ちょっと想像できそうにありません。しかし八甲田丸からは絶えず、あの名曲「津軽海峡冬景色」が流され続けていました。

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「憧れの操舵室」

ここは船長室でしょうか?

操舵室からの眺めは、やはり最高ですね。ただし、好天の日ばかりだといいですが、時には吹雪や嵐の日もあり、そんな時は自ずと緊張感も高まるのでしょうね。

操舵室の一角には、神様がお祀りされていました。いわゆる船霊(ふなだま)様です。この「船霊」は、地方によって「フナダマサン」、「フナダンサン」、「オフナサマ」などと呼ばれ、小さな漁船の舳先の船底に祀られていました。以前取材で、小さな漁船に案内していただいたことがありました。その小さな漁船の舳先の船底にも、船の安全航行を祈る「船霊」様が鎮座されておりました。

船を舫ったりする、ロープ・ワークです。ぼくも子供の頃、ボーイスカウトで教えられましたが、今ではもうさっぱり覚えが・・・。唯一今でも覚えているのは、「本結び」くらいのものです(笑)

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「だからもう」

今夜は、CDにも収録されていない、「だからもう」を弾き語らせていただきます。

「だからもう」

詩・曲・唄/オカダ ミノル

何も言わなくていい ぼくが側にいるから

自分を責めてみても 昨日は何一つかわらない

長い旅の途中の 港で立ち尽くして

ぼくが漕ぎ出す船を 君が選んでくれただけ

 今さら出逢いが 遅すぎたなんて  心欺(あざむ)き 続けて生きるよりも

 だからもうぼくだけを 信じ続けて  生きてごらんよ 君が君らしく

人が何を言おうと 君は君でしかなく

ぼくもぼくでしかない ふたりで一つを生きるだけ

有り余る時間もなく 微かな残り灯だけ

だから片時でさえ 愛しく心が求め合う

 いつかふたりが この世を去ろうと  君を愛した 記憶は消せはしない

 だからもうお互いを 想い続ければ  何もいらない 君さえいてくれたら

  月明り頼りに 沖へと向おう 君が生まれた 星座を目指しながら

 だからもういいよ すべて哀しみは 泪と共に 海へと還(かえ)せばいい 

この曲は、ラジオの深夜番組を始めて、しばらくした頃に作った曲です。

あの忌まわしいバブルの時代は、誰もがこれでもかこれでもかと、自分を追い立てるかのように、あくせくあくせく生きた時代でもありました。ぼくが20代後半に差し掛かった時代から30代半ばまで。誰も彼もが浮かれ騒いだそんな時代でした。しかし果たして、世に言うバブルの恩恵に預かったと言えたのか?よくわからないまま、そんな浮足立った時代の渦の中に、ただただ巻き込まれていただけのような気もいたします。

それからは、バブルの後遺症にこの国全体が蝕まれていったのではないでしょうか?

それはなにも経済的な事ばかりではなく、人々の心までもが蝕まれていったように思えてなりません。

そうこうしている内に、ぼくも気が付けば当時は50代半ば。そんな頃、深夜番組に寄り添って下さるリスナーさんの心の叫びや、痛み、哀しみを知ることとなったのです。その頃、よく思ったものでした。ああ、皆同じなんだって。少なくともどんなに幸せそうに見える方でも、それなりの悩みや苦しみ、そして哀しみを背負って生きているのだと。そして普段は、何事も無いかのように強がって生きねばなりません。ところがラジオの深夜番組と言う、顔も名前も、どこの誰かも分からない者同士という、極めて希薄な関係の方たちが電波を通じて集われるのだからこそ、心の内なる部分の痛みも吐露出来るのではなかろうかと。そうこうしている内に、これまで全くつながりも関りも無かったはずの、どこかのリスナーさんが、お悩みを吐露されたリスナーさんに対し、ご自身の体験談を語られるなど、痛みを分かち合おうとしてくださったりしたものです。『癒し癒され、相見互い』そのものだと、痛感したものでした。

そんな光景を何度か目の当たりにしている内に、もうそれぞれ十分に大人を続け、苦しみも哀しみも、味わい尽くして来たのだから、せめて自分だけが自分を許してあげようとしてもいい、そんな境地の時代に突入したのだろうか?と言う思いに、駆られたものでした。

どんなに苦しくて辛くても、せめて自分唯一人だけは、どんな時でも自分に「だからもう」いいじゃない!と。だってやるだけの事はやったのだから、もうそれで良しとしよう!いつまでも引き摺らないで、ちゃんと明日を迎えようよ!  そんな祈りに近い想いを、託した作品です。

★「群馬県伊勢崎市のアイラさんのHappy Birthday~君が生まれた夜は」で、ささやかなお祝いです。

アイラさん!お誕生日本当におめでとうございます。

末永く彼とどうぞいつまでもお幸せに!

★ここで新企画のご提案です。深夜放送では、毎週特集のテーマを決めて、昔話の思い出話をメッセージとしてお書きいただき、リクエストいただいておりましたが、今ではそうはまいりません。

そこで毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)

今週の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「千歳飴」。季節柄、最近よく熱田さんの側で、めかし込んだ七五三の親子連れを見掛けるようになりました。ついつい遠い日の、娘の七五三の晴れ着姿を思い出したりして、微笑ましいものです。しかしぼくが子どもの頃は、七五三と言えば、自分の身の丈の三分の一もあろうかと言う程に長い「千歳飴」を買ってもらうのが、何よりの楽しみだったものです。しかし最近は、どこの親子連れを見ても、千歳飴をぶら下げて歩いている子供なんて見掛けません。確かに今の子たちにしてみれば、あんなに長ったらしい棒飴なんかより、もっと美味しいお菓子が選り取り見取りですから。でも昭和オヤジからいたしますれば、あの千歳飴こそが、立派な成長を祝し、神様へのお礼に上がると同時に、その先も健やかな健康をと願う、そんな節目の神から下賜されたような、有難い千歳飴であったように思えてなりません。しかし・・・。あの千歳飴、ちゃんと一本丸ごと舐めたのだろうか?途中で飽きてしまい、両親に払い下げでもしたものでしょうか?

今回はそんな、『千歳飴』に関する皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。

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「ゆずと白醤油漬けメカジキの網焼き with ゆずと白醤油のディップソース~キンカンとピーマン添え」

先日、黄色いモンブランさんから、「オカちゃん、たまには日本酒に合う残り物クッキングもお願い!」と、そんなリクエストを賜っておりました。

さて、普通の和風作品では、とても料理屋さんの板さんにゃかないっこないので、何とかせねばと、冷蔵庫の中を眺め回し捻り出しましたる作品が、これまた長ったらしいタイトルの「ゆずと白醤油漬けメカジキの網焼き with ゆずと白醤油のディップソース~キンカンとピーマン添え」でございます。

スーパーの安売りで、メカジキの切り身と、煮物にしようと買い込んでありました、鶏のキンカンがございました。ならばこれらを合わせ技にしてしまえと、創作料理に挑んでみました。

まずメカジキの切り身に、白醤油、ゆずの皮2個分をすりおろし、さらにゆずを絞った果汁を加え、ブラックペッパーと酒と味醂を加え、しばらく漬け込んでおきます。

続いて、鍋に昆布と鰹の荒節で予め煮出してあっただし汁を加え、白醤油、酒、味醂で味を調え、鶏のキンカンとピーマンに味が染みるまで煮込んでおきます。

2~3時間してメカジキにした味が染み込んだところで、魚焼きグリルで良く焼きます。

最後に、ボールに生クリーム、ゆずの皮2個分とその果汁、白醤油、味醂、マヨネーズを少々を加え、ハンドミキサーでしっかりホイップし、焼き上がったメカジキを皿に盛り付け、鶏のキンカンとピーマンを添え、最後にゆずと白醤油のディップソースを盛り付ければ完了。

和風な網焼きのメカジキに、ゆずの香りがふんだんに漂うディップクリームが、不思議に調和して、和風テイストながらハイカラな感じの味わいとなりました。またディップクリームと煮物の鶏のキンカンが、これまた見事な味わいを醸し出してくれたものです。今回ぼくは、頂き物の広島の酒「比婆美人 無糖酒」いう、媚びない旨さが潔い辛口の冷酒で、ついついグビグビとやらせていただいてしまいました。

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「八甲田丸の船内客室へ!」

八甲田丸の船内の客室です。こちらは、さぞや上等な客室だったのでしょうか?こんなベッドのある客室で、ベッドメイクのブランケットが不思議な形をしているので、ついつい足を止めてしまいました。だってこんなお洒落な、折り紙の様におられたブランケットなど、ついぞお目に掛かったことが無かったので、思わずビックリ!まるでヨーロッパの超一流ホテルの、スィートルームかと見紛うばかり!それに青森と函館間の八甲田丸の中でお目に掛かれるとは!

よくよく説明文を見ると、「大輪」「花二輪」「ひつじ」「竹の子」「富士山」「菊水」とあるではないですか!ちなみにこの写真左手は、「大輪」、右手が「竹の子」でしょうか?仮にぼくが予約した部屋のベットに、こんな折り紙作品のようなブランケットが置かれていたら、貧乏性のぼくなんてもったいなくて、折り紙毛布の形を崩すこともままならず、使うのが忍びなかったに違いありません。

こちらは、スタンダードな客室でしょうか?寝台車のようです。しかしぼくは、テーブルに置かれた「記念缶ビール」が気になって気になって仕方ありませんでした。

この部屋で、津軽海峡を渡りながら、この記念の缶ビールで一杯、「プッハア」とやって見たいものでした!って、でもテーブルの上に置きっぱなしだと、キンキンに冷えてないかもと、要らぬお世話の心配事ばかりが、ついつい頭をよぎったものでした。

こちらが普通の指定席のようです。それにしても長い列車旅だからでしょうか、サイドテーブルが異常に広いではないですか!これだったら、お弁当やら酒にビール、それに冷凍ミカンなんぞ、もう広げ放題といったところでしょうか?差し詰めぼくの場合は、ビールの空き缶がズラーッかも知れません(汗)

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「八甲田丸の昭和の残像!」

懐かしい!唐草模様の風呂敷!何だか思わず「東京ぼん太」さんと、高山の旅館田辺の南側にあるお蕎麦屋さんの、岡持ちを運ぶ唐草模様のスーパーカブを思い浮かべてしまいました。

唐草模様の風呂敷は、確かわが家にもありました。ぼくが小学3年の時。父が鶴舞の胃腸科に入院し、十二指腸潰瘍の手術を受けた折、2週間の入院に供え、母がこの唐草模様の風呂敷に着替えや、入院に必要な洗面具などを包んでいたものです。そして唐草模様の風呂敷を抱え、父と共に病院へと向かう、父と母の後ろ姿が消え入るまで、切ない気持ちのまま見送っていた日を思い出しました。

三人家族のわが家でしたので、両親が不在だった2週間は、母方の鹿児島出身の婆ちゃんと二人きりでの暮らし。心細く哀しい気分で一杯だったものです。

当時は十二指腸潰瘍と言えども、内視鏡のオペなどなく、ましてや「私、失敗しませんから!」と決め台詞を言ってくれる、ドクターXもおられませんでしたので、父が果たして生きて再び生還できるのだろうかと、幼心を痛めたものでした。

やっぱり青森土産は、津軽リンゴですよね。

昔は主要駅のコンコースやホームで、こんな赤帽さんを見掛けたものでした。

あのペラッペラの「チッキ」!皆さんご存知でしょうか?小荷物切符ですねぇ。これが小荷物の引換証でもありました。

何ともこんな伊達男もいたもんです。小林旭さんかと見紛う程。

それとダルマストーブ、実に懐かしい!中学生になった頃は、教室の前方にコークスをくべる、こんなダルマストーブが焚かれており、その周りを取り囲むように木製の棚が置かれ、弁当箱を温めたものでした。そうするとアルマイトの弁当箱の中に入った、やっぱり同じアルマイトのおかず入れのゴムパッキンが弛んでいるせいか、煮物の甘辛い匂いが教室中に立ち込め、4時限目になろうものなら、お腹が鳴って鳴って仕方なかったものです。

さあ明日も、船内をご案内いたしましょう!

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「いざ、八甲田丸の船内へ!」

受付で入場料を支払ってロビーに入ると、「青函ワールド」の序章を飾るような、等身大のジオラマの演出。青森港に青函連絡船が到着した時のように、津軽リンゴのお土産物屋さんが出迎えてくれました。

この時代は、まさに青函連絡船が就航したばかりの、昭和39年から40年代初頭の頃のイメージでしょうか?何だか癒されました!

それよりも何よりもぼくは、オーバーコートを着たオッチャンの横のTVモニターに映る、現代のオッチャンの画像が妙に気になって気になって仕方ありませんでした。

さあそれではご一緒に、八甲田丸の中を散策いたしましょう!

魚屋のオッチャンとオバチャンの表情が、とってもユーモラスです。確かに昭和半ばの頃はあっちでもこっちでも、今となってはこんな、すっかりセピア色に色褪せてしまった光景と出くわしたものです。そうそう、こんな感じで商いに勤しむ夫婦を、ぼくも目にした記憶があります。

これぞまさに、国鉄時代の鉄道遺産ですね。

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「いざ!青函連絡船八甲田丸へ」

ベイブリッジの右手に見える赤茶けた建物がワ・ラッセです。

ワ・ラッセを出ると、青空が広がります。

ベイブリッジの下を抜け、青森港に向かうと、何やら船が!待てよ!青森駅から直ぐの港に停泊する船と言えば、まさかかつての「青函連絡船」?

近付いて見ると、なんとなんと青函連絡船の「八甲田丸」ではないですか!資料によると、1964(昭和39)年8月12日就航。1988(昭和63)年3月13日最終運行。歴代55隻の青函連絡船の中で最も長い23年7ヵ月の間、津軽海峡を往復し、最終航行船としての大役も果たしたのだそうです。

青森駅を出た列車は、この専用引き込み線の上を走り、青函連絡船の1Fにあたる車両甲板(Railway Car Deck)に納まり、そのまま函館へと向かっていったのです。

一度は青函連絡船で、函館へと渡って見たかったものです。

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「お陰様でSold Outになりました!完売御礼」

KIRIN BEER PRESENT’S 「オカダ ミノル ほろ酔いLive 2019 in DAIKOKU」皆様のご支援を持ちまして、完売となりました。

誠にありがとうございました。

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