深夜番組のラストソングは、必ずこの「どんなに遠い君への道でも」を、お聴きいただいたものです。いつからか、どなたが名付けられたのか、「おやすみソング」なぁ~んて親しみを込めて呼んでいただいたものです。
今日は、弾き語りでまずはまったりと、「どんなに遠い君への道でも」をお聴きいただきましょう。
「どんなに遠い君への道でも」
詩・曲・歌/オカダ ミノル
疲れ果てた夜は君が夢に訪れる
もう少し手を伸ばせば君を抱きしめられた
一番二人きりで逢いたい時に君と逢えない
もう少しだけ早く出逢うことが出来たら
これ以上愛さないで 君の声が涙に滲(にじ)む
どこまで行けばいいの どこまで続くの迷い子の恋
これ以上愛さないで いることなんてぼくは出来ない
これ以上たとえ君を 苦しめるとしても今君が好きだ
肩に回したぼくの腕時計を
何度見詰めても時は止められない
だけど君を抱いたあの夜から
ぼくの人生の 時は確かに君の前に立ち尽くした
誰より深く君を 愛することしかぼくに出来ない
どんなに遠い君への道でも これが最後の恋
この広い世界中で 君のこと以外ぼくは見えない
これ以上たとえ君を苦しめるとしても 永久(とわ)に君が好きだ
誰より深く君を 愛することしかぼくに出来ない
どんなに遠い君への道でも これが最後の恋
この広い世界中で 君のこと以外ぼくは見えない
これ以上たとえ君を苦しめるとしても 永久に君が好きだ
どんなに遠くに見えている山の頂でも、死ぬまでに一度は訪れて見たい、世界の果てにある名所であっても、どうしてもそこへ辿り着こうとする意志があるのならば、まずは最初の一歩を今踏み出さねば、昨日より目的地に近付くことなどあり得ません。
それは何も山の頂や、世界の果ての名所だけではなく、何事においてもそう言えるのではないでしょうか?
ぼくには、冒険家の知り合いがいます。その方は、2005年に植村直己冒険賞を受賞された、リヤカーマンこと冒険家の永瀬忠志氏です。彼は生活用品を積んだリヤカー「たごさく3号(当時3代目となるリヤカーだったため)」を引いて、1989年にアフリカ大陸の横断を始め、翌1990年にサハラ砂漠縦断を達成。1年の歳月を費やし、約11,100kmのアフリカ大陸横縦断を歩みぬいたのです。ぼくが彼にあったのは、確か1991年、冒険旅行から帰国して間もない頃のこと。独身だった彼の大阪にあったアパートに上がり込み、冒険譚に耳を傾けたものでした。当時彼は夜間高校で教鞭をとられ、生活を切り詰めお金を貯めては、また次の冒険へと向かうと言う、そんな暮らしをなさっていたものです。今でも忘れられないのは、彼が入れてくれたインスタントコーヒーです。とにかく必要最低限、余分な物を一切持たず、冒険の資金に充てていたようです。ですから、洒落たコーヒーカップもソーサーも無く、あるのはキャンプ用のアルマイトのコーヒーカップと、アルマイトのボール。彼はそれに堂々とインスタントコーヒーを淹れてくれたものです。どんな名立たる珈琲専門店のコーヒーよりも、一際美味しかったのを今でも鮮明に記憶しています。
アフリカ大陸の横縦断11,100kmの道程だって、端から無理だと思えば暴挙でしか無いかも知れません。しかし彼は、己の肉体の限界と闘いながら、アフリカ大陸に最初の一歩を記し、心が何度も折れながらでも、愛車のたごさくと共に歩みぬいたのです。普通歩幅は、「身長×0.45」が目安とか。彼はそれ程大柄ではありませんから、仮に身長を170cmとすれば、×0.45で一歩が76.5cmとなります。11,100kmを歩ききるのに彼は、約1千450万歩、ひたすら歩み続けた勘定となります。果てしなく遠い道のりです。でも彼は、アフリカの大地に、最初の一歩を踏み出したのです。
例えその場所が、例えその人が、どんなに遠くに見えようが、近付きたければ迷うことなく、一歩でも前へ前へと歩まなければ、いつまでも遠くから眺める、自分の立ち位置の視点からの風景だけしか見えないものではないでしょうか?
ここでもう一度「どんなに遠い君への道でも」をCD音源から聴き比べていただければ有難い限りです。
★ここで新企画のご提案です。深夜放送では、毎週特集のテーマを決めて、昔話の思い出話をメッセージとしてお書きいただき、リクエストいただいておりましたが、今ではそうはまいりません。
そこで毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)
今週の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「サンタさんの長靴(クリスマスブーツ)」。家なんて筋金入りの仏教徒でしたが、小学生になると一応、クリスマスの真似事をやってもらったものでした。今でこそ、クリスマスブーツと言えば、「ああ!あれかあ」となりますが、わが家では確か「サンタさんの長靴」って呼んでいたように記憶しております。それがまあ欲しくって欲しくって!毎年毎年半べそかいておねだりして、小学校の半ばの頃になって、やっとのこと本当に小さなサンタさんの長靴を買ってもらったことがありました。でも子どもながらに、なんでサンタさんの長靴って、片一方しかないのだろうと、不思議でならなかったものです。しかしこれは西欧では見られない商品で、海外の方たちはとてもビックリされますものね。
今回はそんな、『サンタさんの長靴(クリスマスブーツ)』に関する皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
ぼくには、冒険家の知り合いがいます。その方は、2005年に植村直己冒険賞を受賞された、リヤカーマンこと冒険家の永瀬忠志氏です。彼は生活用品を積んだリヤカー「たごさく3号(当時3代目となるリヤカーだったため)」を引いて、1989年にアフリカ大陸の横断を始め、翌1990年にサハラ砂漠縦断を達成。1年の歳月を費やし、約11,100kmのアフリカ大陸横縦断を歩みぬいたのです。ぼくが彼にあったのは、確か1991年、冒険旅行から帰国して間もない頃のこと。独身だった彼の大阪にあったアパートに上がり込み、冒険譚に耳を傾けたものでした。当時彼は夜間高校で教鞭をとられ、生活を切り詰めお金を貯めては、また次の冒険へと向かうと言う、そんな暮らしをなさっていたものです。今でも忘れられないのは、彼が入れてくれたインスタントコーヒーです。とにかく必要最低限、余分な物を一切持たず、冒険の資金に充てていたようで、コーヒーカップもソーサーも無く、キャンプ用のアルマイトの