「ん?なんだ、こりゃあ?」

ん?なんだ?このうろは?

まるでうろの中にお地蔵様でもいらっしゃるのかと?

しかしこんなに地表に近く、天敵にさらされる場所で、野鳥が産卵するはずはありませんよねぇ。

何故こんな根元にうろが出来るのか分かりませんが、樹木の幹はこんな地表との境目に穴ぼこが開いても、ちゃんと倒れることもなく、人目につかぬ地下へと根を張り巡らせしているのでしょうすね。

天晴れ!街路樹!ぼくもそうあやかりたいものです。

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「ややや?黄門様の三つ葉葵か?」

ウォーキングの途中、熱田神宮の西側の歩道の脇で、三つ葉葵の立派な家紋の入った山門門扉を見掛け、つい立ち止まってしまいました。

何とその脇には、「右大将頼朝公誕生舊地(きゅうち)」とあるではないですか!「舊地」って???後で調べて見ると、「同じ耕地にくりかえして同じ作物を蒔付けること」とあり、益々???どうやら元は中国語で、日本においては「もとの所領地」なんだとか。そう言わてやっと納得した次第です!が、しかし。山門門扉に立派な三つ葉葵とは???清和源氏の流れを汲む頼朝公のご家紋は、「笹竜胆(ささりんどう)」のはず!

でも名古屋市教育委員会の説明板文には、まったく触れられていません。

さすがに800年以上も前のこと。謎は謎のままだから、それもまた浪漫かと自分に言い聞かせてみました。

境内の中には、頼朝公の産湯池があったそうですが、昭和20年(1945)の空襲で誓願寺は炎上し、戦後の再建後、頼朝誕生伝承を惜しむ人の手により、池跡に源頼朝公産湯ノ井戸が設けられたとか。

しかしやはり謎は深まるばかり。

実は、頼朝公生誕地の伝承はもう一つあるそうです。その場所は名古屋市瑞穂区の井戸田町の近辺。龍泉寺の境内でもには、やはり頼朝公が産湯を使ったとか。境内にある、井戸田学区連絡協議会が設けた説明版「亀井水(かめいすい)」にも、頼朝公の産湯を汲んだ井戸とあるそうです。今度は妙音通まで、足を延ばして見るといたしますかあ!

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「11月の下旬に冬桜?」

抜けるような青空に、淡いピンク色の花を咲かせている「冬桜」!

近くの木々は紅葉し、風に舞い落ちて行くのを尻目に、我が世の春とばかりに咲いていました。

丁度根元には、お地蔵様が祀られている歩道の植え込みです。

お地蔵様を何らかの理由で建立された方が、記念にお手植えをなさったものでしょうか?

こんな時期に花を咲かせる桜って、どんな品種だろうかと調べて見ると、冬桜と一口で言うものの、「小葉桜(コバザクラ)」、「四季桜」、「十月桜」、「子福桜」、「寒緋桜」とありました。どうやらぼくが仰ぎ見た冬桜は、その中から一番似ているのを上げるとなれば、「十月桜」か「子福桜」であったのではないかと思っています。

木枯らしが吹きすさぶ、こんな寒い中で桜を眺めることが出来、ちょっと得した気分になりました。

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「ここって、何屋さん???」

いつもと違う道をウォーキングコースに選ぶと、不思議な光景に出くわし、ついつい足を止めてしまいます。

今回は、ここで足止めを食らってしまいました!

まず目を引いたのは、手書きで大きく書かれた「特売中」の立て看板。

「ええっ???なんの特売???」と、目を見張っていると、「タオル1本50円」とありました。果たしてタオル1本50円と言う価格が、特売に当たるものかどうか?名立たるブランド物の高級そうなタオルだったら、特売にあたるのでしょうが・・・。或いは、日帰り温浴施設の入泉チケットの自販機で販売されている、使い捨ての1本100円ほどのタオルのようなものでしょうか?確かめたくても、入り口にも横になったままの、手書きの看板が無造作に置かれているため、「ごめんください!」ってな具合に、と気安く声をかけて店内に入ることもままならぬような有様で、ついつい後ずさってしまいました。

なんとも昭和チックな「萬屋」さんでした!

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「カルガモご一家」

本当は汚いドブ川のような堀川ですが、そんなこと一切気にもかけず、カルガモご一家は悠々自適に川面で戯れながら、泳ぎ回っておりいました。

水面に乱反射する光と、仲良く泳ぎ回るカルガモご一家が、とても印象的な昼下がりでした。

そうそう!そう言えば、ぼくの立っている橋桁の下にも、群れからはぐれた一羽のカルガモが!なんだかとしても親近感がわいたものです。

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「SORANE(宙音)」

ぼくが14歳の中3の夏休み。何をどう血迷ったものか、「フォークシンガー」になりたいと思うようになり、「その為には兎にも角にも東京へ行かねば!」と、なんの脈略も無く、知恵も無い中学三年生のぼくは、頑なにそうあるべきだと思っていました。そしてある日、お母ちゃんの機嫌の良さげな日を見計らって、「東京の音大の付属高校に進学させて欲しい」と交渉を持ちかけました。すると見る見るうちに機嫌の良さげな母の顔はどんよりと曇り、「そ、そ、そんな、高校から東京に下宿させるお金なんて、家の何処を探したって、逆立ちしたって出て来る訳ないやろ!」とけんもほろろ。

そこで「フォークシンガー」に近付くには・・・と、毎日考えたものです。そして閃きました!当時、ミッドナイト東海と言う、ラジオの深夜番組に出演していた、秋田出身のフォークシンガー「山平和彦」氏。当時キングレコード傘下の、ベルウッドレーベルからLPも出されておりました。「そうだ!山平さんの弟子になれば、ぼくが東京に行かなくても、東京の空気を感じ取れるはず!」と。そして右も左も分からぬままぼくは、東海ラジオに電話をして山平さんに電話を繋いでいただいたのです。そして怖いもの知らずだったぼくは山平さんに「ぼくを山平さんの弟子にしてください」と告げると、「お前、いったい何歳?」と。ぼくが「中学3年の14歳です」と答えると、「面白い!さっそく来週から、このスタジオへ来い!」と。そこでぼくの運命は、現在へと続く長い道のりを歩み出したことになります。

山平師匠との思い出話は、また後日として、今日は弾き語りで「SORANE(宙音)」をお聴きいただこうと思います。

この「SORANE(宙音)」は、ぼくが21~22歳の頃の作品です。ちょうど当時、山平さんご夫婦は、名古屋市西区のとあるマンションにお住まいで、愛娘の「宙音(そらね)ちゃん」が誕生されたとお聞きし、お祝いにお邪魔した折に、僭越ながら山平師匠ご夫妻と、生後3ヵ月ほどの「宙音ちゃん」の前で、ギターをボロロンと爪弾いて、お祝い代わりに歌わせていただいた、思い出深い1曲なんです。当時のぼくは、花屋のご夫妻の元で、アルバイトの身。「宙音ちゃん」の立派な誕生祝など、買えるほどの身分でもありませんでしたから、それが精一杯だったのです。当時、山平師匠夫妻は、自然食のベジタリアン志向で、奥様の手料理を戴きながら唄ったのを今でも鮮明に覚えております。

前置きが長くなりましたが、まずは「SORANE」を弾き語りでお聴きください。

『SORANE』

詩・曲・歌/オカダ ミノル

宙音(そらね) 小さな君の 笑顔に勝るものなど無い

だからどんな時でも パパは君を守ろう

少し重くなったと 君を抱いてママが微笑む

そうだね 幸せなんて こんなことかも知れない

 君はわが家に 明るさを振りまく  静かな夜の 輝く星さ

 時の流れが 波打つ時でも  君とママのため 生きて見せる

宙音 君が生まれる 前のお話をしてあげよう

あれは夏の浜辺 やさしい星たちに囲まれ

澄んだ目をした娘に パパはプロポーズをした

娘は砂に「ありがとう」 それが君のママだよ

 しばらく何も言えず 小さなママの肩を  抱きしめながら 空を見上げた

 その時流れた 星が今でも  ママは君だと 信じている

 君はわが家に 微笑みを振りまく  小さな小さな ピエロのようだね

 時の流れが 波打つ時でも  君とママのため ぼくは生きよう

それから山平師匠とお逢いする機会はありましたが、東京都足立区北区に移り住まれて以降、「宙音ちゃん」とお目に掛かることはありませんでした。

ところが2004年、師匠の山平さんが東京の竹の塚駅前で交通事故に遭い、お亡くなりになったと、随分経ってからそんな訃報が届きました。

確かそれから2年ほど過ぎてしまってからだったでしょうか。東京竹のノ塚の山平師匠のお宅をやっとお訪ねすることが出来ました。当時は奥様も体を少し悪くなさっておったようでしたが、「ミノル君、よく来てくれたわね」と迎えて下さり、山平師匠のご仏前で香華を手向けさせていただきました。在りし日の師匠の遺影と、傍らには愛用されていた、オベーションのギター。そしてデビュー前の、マイ・ペースのお三方との写真に囲まれ、師匠の遺影の顔がより一層穏やかそうに感じられたものです。

しばし奥様と若き日の思い出話を愉しみ、暇乞いをして玄関先へと向かうと、玄関が開いたのです。「あらっ、お帰り!こちら名古屋のミノル君よ。あなた小っちゃかったから、覚えてないかしら?」と奥様。宙音ちゃんは、戸惑っておられました。そりゃあそうですよね。いくらなんでも、生後まだ3ヵ月ほどのまだ乳飲み子でいらっしゃったのですもの。それが何十年ぶりかで再会した、すっかり美しい大人の女性に成長された、宙音ちゃんだったのです。

でもどうして師匠は、愛娘に「宙音」と命名されたのか?その経緯を伺った覚えはありません。しかし師匠の作品には、「星の灯台」なんて曲もありますし、宇宙に関心を持たれていたのやも知れません。

はて?宇宙では、いったいどんな音が聞こえるのでしょう?しかし気圧も異なり、酸素も無い宇宙空間で、生身のままのこの鼓膜から、直接宇宙の音を聴きとることなど、出来ないのでしょうね。それでも誰も知らない遠い宇宙と言う、未知なるところの、未知なる音には、やはり壮大な浪漫が感じられるものです。師匠がこの世に遺した、たった一人の愛娘、「宙音」ちゃん。どうか何時いつまでも、幸多からんと祈りたいと思います願うばかりです。

★いつもブログに洒落たコメントをお寄せいただいている、「夢ちゃん」が11付4日にお誕生日をお迎えになります。そこで「Happy Birthday~君が生まれた夜は」で、今夜もささやかなお祝いです。

夢ちゃん、お誕生日おめでとうございます!

★ここで新企画のご提案です。深夜放送では、毎週特集のテーマを決めて、昔話の思い出話をメッセージとしてお書きいただき、リクエストいただいておりましたが、今ではそうはまいりません。

そこで毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)

今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「日捲り」。今はとんとどこからも、いただくことのなくなってしまった「日捲り」。昭和半ばのわが家には、洒落たカレンダーなんてどこにも無く、ましてやお金を出して買うカレンダーなんて、一つとしてありませんでした。あるのは全て、「○○酒店」とか「△△新聞店」と、台紙に屋号の刷り込まれた「日捲り」カレンダーばかり。よくもまあ来る日も来る日も、あっちこっちに掛けられた日捲りを、忘れず捲っていたものだと、つくづく感心するほどです。でも小学3年の年。わが家の日捲りカレンダーが、捲られもせず2週間も過ぎ去ったことがありました。父が十二指腸潰瘍の手術で2週間入院し、母が看病で付き添ったからです。母方の薩摩おごじょで、ものぐさだった婆ちゃんが、せっせこせっせこ日捲りを、捲って歩くはずも無く。あの誰も捲ろうともしなかった、父の入院当日で止まったままだった日捲りが、今でも忘れられません!って、そんなこと言うくらいなら、自分で背伸びしてでも捲れば良かっただけのことですけどね(笑)

今回はそんな、『日捲りサンタさんの長靴(クリスマスブーツ)』に関する皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。

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「残り物クッキング~フライド里芋」

郡上から沢山、今年も里芋をお送りいただきました。感謝、感謝です。しかしこの里芋、めっちゃくちゃホッコリしていて、毎年楽しみにしているほど美味しいんです。

とは言え、里芋の使い方となりますと、イカとお醤油で甘辛く煮た煮っころがしや、里芋のバターソテーとか、グラタンと、レパートリーがどうしても似たり寄ったりになりがちです。

です!あっ、これだあ!そこでふと思い立ったのが、この「フライド里芋」。ちょうどTVで、ケンタッキーかマックのフライドポテトの美味しそうなCMが流れていた時の事です。

です!あっ、これだあ!ジャガイモに出来て、里芋に出来ぬはずはない!とばかりに、さっそく里芋の皮を剥き、水に浸けておきます。

そしてボールに空け水を切り、キッチンペーパーで水とぬめりを取り、後は油で揚げて塩を振り、最後に彩でドライパセリのパウダーを振り掛ければ完了。

表面はパリッとして、中は里芋のあのまったりとした、粘り気のある味わいがとても最高!キリン一番搾りにゃあ、たまらない肴に早変わりで、すっかりお腹の持ちも良く、中々どうして侮るなかれの「フライド里芋」。超時短クッキングとなりました。

ぜひ皆様も、里芋料理のバリエーションに行き詰まったら、お試しください!

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「色付く街とゴミ屋敷?ならぬ、アートな民家?」

街中でも少しずつ、街路樹が色付いて来ましたから、標高の高い地方ではもうすっかりさぞや美しい紅葉で彩られているのでしょうね。

まさに誰が言ったか「秋は山から下りて来る」ですねぇ。

そんなちょっぴり街中の紅葉を愉しみながら、ウォーキングを愉しんでいると、の途中こんな景色が!「ややや、今話題のゴミ屋敷かあ?こんな大通りに面した家で???」と、そんな事を思いながら歩を進めると!

「ゴ、ゴ、ゴミ屋敷?????ではなさそうか?」。良く眺めると、それなりにゴミのようなモノが、一定の法則でどうやら並べられているようです。このアートを手掛けた住人?、或いはアーティストは、ゴミもどきのモノを捨てているのではなく、もしかしたら展示をしているつもりなんでしょうか?

ここがどうやら、表玄関のようですが、とても人が足を踏み込めそうにありません!しかも奥の屋敷には、人がいる、人が生活していると言う気配もありません。

では、このゴミならぬ雑貨を、誰がどこから運んで来たのか、持ち出して来たか?どんな意図で、歩道と民家との境界に、こんな謎のアートをしているのやら?

アートをしているのやら?ますます謎は深まるばかりでした何とも不思議な光景に、思わず足を止めてしまいました。

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「またしても!でも、いかにもイモムシらしくって可愛らしい!」

またもや、ウォーキングの途中の歩道で、可愛らしいイモムシを発見!

これだったら連れ帰りたいほど、イモムシらしいイモムシ君です。

でもぼくは、ファーブル先生でもないので、このイモムシ君がどんな成虫になるのかも分からず、やっぱりとんでもない成虫になって部屋を飛び回ってくれても困りもの。

泣く泣く断念いたしました!

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「七五三の後は、あっちもこっちもクリスマス!」

近所のスーパーの店内も、ドラッグストアーも、あっちもこっちもすっかりクリスマスですねぇ。

七五三のディスプレイなんかよりも、クリスマスの方が圧倒的に目についてしまいますもの。

子供の頃、クリスマスツリーを飾って欲しくって、両親に泣いて強請った覚えがありました。

でも小さなクリスマスツリーがわが家にお目見えしたのは、小学校の3年の頃のことだったでしょうか!

クリスマスの次の日の夜、お父ちゃんが「おお~い!クリスマスツリー買って来てやったから、来年のクリスマスは一緒にツリー飾ろうな!」って。何で、もうせめて2~3日前に買ってくれなかったのか、と、お父ちゃんに問うたものです。

すると「今年のクリスマスの売れ残りが、安うなっとったでやわさ!」と。

今にして思えば、両親は、そんな風に遣り繰り算段をしながらて、何とかぼくに肩身の狭い思いをさせぬようにと、育ててくれたんだと感謝の気持ちばかりです。

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