酉年生まれのぼくの守護神は、こちらの不動明王様とやら。
どんなに強がって生きては見ても、時にはいまだに疼く傷に苦しむなど、屈強なように思えていた心は、とても脆いものでもありました。
心が疲弊したり、自分の不甲斐なさを嘆くような状態に陥ると、ついつい心の中で神々に、弱音を曝け出してしまうことはぼくにだってあるものです。でもだからと言って、それで心が奇麗さっぱり洗い流されるかと言うと、それほど簡単なものではないのも確かです。
この世には様々な神々がおられますが、残念ながらその実際のお姿を、この目で拝見したことはありません。特殊な能力も持ち合わせぬものですから・・・。
ですからぼくにとっての守護神はと言うと、やっぱり一番身近であった、両親ではないかと思えてなりません。幼いころからずっと、ぼくの悪い癖や、気性、性格など、全てを誰よりも間近で接しながら、育ててくれたわけですから。
心が傷付いた時など、夜空を見上げ両親に話しかけると、両親の声が聞こえて来るような気がします。しかし概ねそれは、ぼくの幼いころからの悪い癖や、気性、性格を論(あげつら)い、「だから、こうなったんだ」と言ったように、一番突かれたくない点を、指摘されているようでもあります。って、まあそれだけ自分の悪い点を、誰よりも自分が、一番知り得ている証かも知れませんけどね。
でもこうして両親に、心の底に滓のように溜まった、怒りをぶちまけることで、少し心が軽くなるから不思議なものです。たとえ両親からどれほど叱責されようとも、不思議なことに実に素直に受け止められちゃうものです。
やっぱり両親が、心の底からぼくに、愛を注いで育ててくれたことを、心がちゃんと覚えているからではないでしょうか。ですからきっと両親こそが、ぼくの一番身近な、守護神に他なりません。
今回の弾き語り「守ってあげる」は、自分が神でもあるまいに、おこがまし過ぎるほどの曲のタイトルです。
全人類を守ったり、遍く国民を守ったりは、神や仏にしか出来ぬとしても、せめて自分が愛する人は、自分の命と引き換えにしてでも、守りぬこうとするのが、愛した者の務めではないでしょうか?
この世を生きる事は、並大抵ではありません。たとえ何もこちらに非が無くとも、勝手に嫉妬されたり、嫉まれたり、疎ましく思われたり・・・。難儀なものです。でもこの世で生きる間は、そんな邪悪な人の心から、逃げ遂せるものではありません。どんなに悔しくても、歯がゆくとも、真っ向から向き合わねば、その向こう側へとは、決して踏み出せないものなのです。
そんな想いをこの曲「守ってあげる」に託し、深夜番組が始まって間もない頃に作った曲の一つです。
まずは弾き語りで「守ってあげる」、お聴きください。
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「守ってあげる」
詩・曲・唄/オカダ ミノル
今日は昨日の続きじゃない 明日へと続く大切な一歩
君の踏み出すこの道の先が 石ころだらけならぼくが取り除こう
恐れる事など何も無い 信じる物さえ見失わなきゃ
何時でもどんな時でも君の側には 誰より君を愛するこのぼくがいる
たとえ誰かが君を責めても この世の誰もが君を詰(なじ)ろうと
世界中を敵に回そうと 君一人になろうとぼくは君の味方
恐れる事など何も無い 二人の心を信じ合えば
何時でもどんな時でも君の側には 誰より君を愛するこのぼくがいる
人目気にして生きるより 身構えながら怯(おび)えるより
君は心の向くまま君らしくいて 必ずぼくがいつでも守ってあげる
君は心の向くまま君らしくいて 必ずぼくがいつでも守ってあげる
守ってあげるよ
地位や富に名声、そして財。人によっては、守らねばならないもののプライオリティーは、さぞや異なるものでしょう。でもそれらすべてを失ったとしても、それらすべてのものなどとは、そもそも無縁な生き方をしていたとしても、お門違いなドン・キホーテのように、滑稽な小っちゃいスーパーマンがこの世に居たっていいはずです。
最愛の人だけ守り通す、力さえ失わなければ!
ここでもう一度、CDに収録されている「守ってあげる」とお聴き比べいただければと思います。
★聴くだけリスナーだったと仰る、佐納恵(さなえ)さんが、11月26日の今日お誕生日だそうです。そこで「Happy Birthday~君が生まれた夜は」で、今夜もささやかなお祝いです。ささやかなお祝いです。
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佐納恵さん、お誕生日おめでとうございます!
★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)
今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「ベンジンの携帯懐炉」。中学生の半ばころだったでしょうか?濃紺のベルベット地のカバーの中に入った、携帯懐炉を買ってもらったのは!朝登校前に懐炉にベンジンを染み込ませ、火口に点火してステンレスのカバーを被せ、ベルベット地のカバーの中へと仕舞い込み、お腹の腹巻の中や、ポケットに忍ばせ暖をとった思い出があります。意外に暖かく、温かさもほんわかとして、結構ぬくもりが長持ちだった気もします。あのベンジンの香りがすると、嗚呼!冬本番の到来だと思ったものでした。今はすっかり貼るだけの使い捨てになっちゃって、便利ちゃー便利ですが、あの何とも言えないベンジンの香りが懐かしい限りです(笑)
今回はそんな、『ベンジンの携帯懐炉』に関する、皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。
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