「これって水鳥???それともカラスの行水???」

鶴舞公園の噴水で、真っ黒クロスケで何とも無器用な水鳥だなぁなんて、ボーッと眺めていると水鳥なんて、そんな優雅な物じゃありませんでした!

街中で生ゴミを漁る嫌われ者のカラスたちではありませんか!

しかも何羽も何羽も次々に飛来し、噴水池を我が物顔で占有しているのです。

まさか池の中に餌となるような魚でもいるのかと、マジマジと観察していると、どうやら「カラスの行水」のようなのです。

カラスたちはあまり水が苦手なのか、ザバザバっと羽根を羽ばたいて水を体中に撒き散らし、直ぐに飛び立って行き、また別のカラスがやって来ると言った塩梅です。

そう言えば子供の頃の夏場、熱い湯船に長く浸かれずに、直ぐに風呂からあがって来ると、「またカラスの行水か、この子は!」と母に叱られたものです。

「カラスの行水」の言葉は知っておりましたが、カラスが行水する姿を見たのは、恥ずかしながら62年の人生の中で初めての事でした。やっぱり噂に違わぬ、それはそれはほんの一瞬の行水でした。

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「Seasonal Greeting」

いよいよ木枯らしが、広葉樹の木々の色を染め替え、常緑樹の中で浮き出て人目を惹き付けて止みません。

あまりの美しい色付きに、誰もがスマホのカメラを向けているから笑えます。まあもっとも、そんな野次馬の一人が、紛うことなくこのぼくなのですけどね。

きっと皆様の周りにも、こんな風景が今を盛りに広がっているのでしょうね。

そして落ち葉が散り終えると、・・・

サンタさんの季節となるのですね。

こんなポストを見掛け、つい目を見張ってしまいました。

クリスマスカードでも送りましょうってことなんでしょうかねぇ。

さすがにポストのサンタさんから、クリスマスプレゼントはいただけないでしょうが!

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「むむ、ここは何の店だ?」

「GRAINSTORE GALLERY」とはあるものの、とても穀物の貯蔵庫にはどこからどう見てもそうは見えません。

窓枠からこちらを睨み付けているのは、女性でしょうか?或いは男性でしょうか?

さて、恐る恐る店内へ!

入り口を入ってすぐの所に、年代物の帆船が!

説明文には、イギリスが20世紀初頭に派遣した、帝国南極横断探検隊とあるようですが、ぼくの語学力では、このキャプションを読み解くには、辞書を片手にオアマルに1泊せねばなりませんので、ここは断念。

その探検隊の帆船のいずれかなのか、復元しエイジングされたものか、定かではありませんが、この探検隊に関する書籍やTシャツなども並べられ、販売されていました。

しかし昔の方は、こんな帆船で南極の荒波に立ち向かったのかと思うと、その勇気にただただ恐れ入るばかりでした。

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「19世紀にタイムスリップ」

オアマルストーンの19世紀の町並みを漫ろ歩いていると、時計の秒針の進み具合が、慌ただしいばかりの現代の、無機質に表示の変わるデジタルのセコンド計と、明らかに違っているように感じられてしまいます。

こんなアウトサイドのテーブルで、まったりとキャフェラテなんぞを愉しみたくなってしまいます。

こちらの小路は、とても趣があります。その割に人影が見当たらないため、「ええっ、人々が忽然といなくなってしまったのではないか?」と、疑いたくなる程です。でもこうしたところが、ぼくが愛するニュージーランドらしさかも知れません。

ニュージーランドでウイスキー?って、どうにもワインのイメージが強かったせいかも知れません。しかしよくよく考えれば、ウイスキーのメッカ、英国領でしたからウィスキーの蒸留もかつては盛んであったようです。

しかし残念ながら最近では、ウイスキーの蒸留もあまり行われなくなったそうで、原酒の樽も空っぽで、瓶詰めされたウイスキーの販売が終わった時点で、こちらのショップも店仕舞いだとか。

でもまだ今は、こちらのショップでテイスティングも出来、販売もされています。しまった!ワインばかりに目が行って、うっかり買い忘れた~っ!

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「まさか!まるでハウルの動く城か?」

まるで宮崎駿ワールドかと、目を疑ってしまう程の衝撃でした。

産業革命の産物か?スチームパンク!

なかなかリアルじゃないですか!物語の世界に誘われるようです。

なんとも見事でそそられるディスプレイです!

1880年代の穀物倉庫を利用した、ユニークな博物館なのですねぇ。

入り口エントランスの脇には、巨鳥モアを思わせる、鉄屑アートがお出迎えです。

もう30年ほど前のことでしょうか?銀座の御幸通りにあった小さなギャラリーで、バクテリアート展なる作品展が開催されていました。

なんだか妙に気になって、ギャラリーの中を覗くと、このオアマルのスチームパンクHQの作品のような、電化製品の廃棄物や鉄屑に空き瓶などで、未知なる生物のようなものがアートされていました。

作品のキャプションを読み進むと、そのアートに利用されている、電化製品の廃棄物や鉄屑に空き瓶が、何万年と言う気も遠のく時を経て、バクテリアが粉々に跡形も無くしてしまう年月が記されており、とんでもなくビックリしたものです。

確かに、電化製品や鉄にガラス瓶も、ぼくらの暮らしに無くてはならない人工物ですが、それが無に戻るまでにそんな大それた時間を要するとは思っても見ませんでした。つまり今を生きるぼくらは、利便性の追求の陰に、途轍もなく膨大な廃棄物を、日々せっせこせっせこと生み出している。それがぼくら人間共の実態なのだと、思い知ったものです。

しかしそれにしても、バクテリアの偉大さをまざまざと見せつけられた、大変意義深い展示会でした。

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「平凡?それとも非凡?」

ウォーキングの途中にある金毘羅神社の境内で、こんな落ち葉を見付けました。

だからどうよ!なぁ~んて身も蓋もない事を言われると、返す言葉もありませんが、ある職人さんの言葉を思い出したからです。

その職人さんとは、三重県鈴鹿市の寺家にある、伊勢型紙の型紙彫師さんです。

伊勢型紙は、友禅やゆかたに小紋などの、柄や文様を着物の生地を染めるため用いるもので、千有余年の歴史を誇る伝統的工芸品です。

千有余年前の、伊勢型紙の始祖は、ちょうど今頃でしょうか、庭先に舞い落ちる落ち葉を眺めておられ、虫の食った様々な模様に興味を抱かれたとか。

そして型紙彫りを思いついたそうです。

平凡なぼくには、とてもそんな応用は思いも付きませんが、非凡な伊勢型紙の始祖は、この地に一大産業を築き上げたのです。

伊勢型紙の紙は、岐阜県の美濃和紙です。

強くて伸縮しない性質の美濃和紙を、柿渋でベニヤ状に張り合わせて、燻煙と乾燥を繰り返し、伊勢型紙へと仕上げるものです。

この伊勢型紙に、落ち葉の虫食いさながらに、彫師たちは様々な小刀を用い、緻密に切り出してゆくわけです。

その職人の言葉を思い出し、ついつい落ち葉を拾って持ち帰ってみました。

なかなか虫たちもよく見ると、食いしん坊と言うよりも、芸術家なのかも知れませんね。

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「なに~っ!古墳朝市だとーっ」

全国津々浦々には、それぞれの地域の特産物が居並ぶ、朝一がありますよね。どこもそれぞれに地域性が良く出ていて、観光がてらに冷やかしで見て回るだけでも楽しいものです。

熱田の杜の、断夫山(だんぷやま)古墳へと続く、熱田神宮公園から熱田球場を眺めるエントランスのアプローチです。

どうやらあのカラフルなテントの辺りが朝市のようです。

飛騨高山の宮川や陣屋の朝市とは違い、なんだかバザール会場のようです。

野菜や切り花、手作り煎餅にパンなど、特に熱田らしさはどこにも見当たりませんでした。まあ無難なところは、こんな五平餅やお団子ですよね。

美味しそうな芳ばしい香りが辺りに漂い、まばらなお客さんも、ついつい足を止めておられたものです。

わずか20m足らずに、10件程度のちょっと小ぶりな朝市でした。

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「雪花火」

今夜の弾き語りは、今年2月のぼくのリサイタルで披露いたしました「雪花火」をお聴きください。

奥飛騨温泉の露天風呂にでも浸り、こんな風雅な一夜を過ごすことが出来たら、さぞかし素敵だろうなと、そんな風に幻想したイメージを、「夏花火」のメロディーにのせて歌詞だけ書き下ろした作品です。

「雪花火」

詩・曲・歌/オカダ ミノル

 雪見格子に燻(くゆ)る湯煙 盆を浮かべてふたり酒

髪を束ねた湯浴み姿の 君の項(うなじ)に雪が舞う

 冬の砌(みぎり)の雪闇割いて ヒュールルと鳴いて舞い上がる

 まるで春待つ雪割草か 凛(りん)として気高い 雪花火

雪見格子に跳ねる影絵は 君が描きし雪兎

ポッと紅挿す君の頬 まるで一葉(いちよう)の浮世絵か

 冬の砌の雪闇突いて ヒュールルと咲いて闇に融ける

 まるで春待つ雪割草か 凛として気高い 雪花火

 冬の砌の雪闇割いて ヒュールルと鳴いて舞い上がる

 まるで春待つ雪割草か 凛として気高い 雪花火 

これまでの人生で、二回だけ雪が深々と降り積もる中、露天風呂に入って、落ちては湯船に溶け入る雪を、飽きもせず眺めていたことがあります。

一度は、下呂温泉の大浴場の露天風呂。さすがに牡丹雪が降りしきる中、男風呂の人影もまばらだったように記憶しています。そしてもう一回は、TVのロケでお邪魔した、奥飛騨温泉「朧」の個室に泊めていただいた夜中でした。

食事と酒宴を終え、雪が深々と降り積もる中、コテージ風の造りの自分の部屋へと戻り、このまま眠ってしまうのはもったいない!そうだこの部屋専用の露天風呂に浸りながら、熱燗でも煽って深々と降りしきる雪空を眺めよう!

さっそく酒に燗を付けて、盆にお銚子と猪口をのせ、降り積もった雪を踏みしめ、身を切るような寒さに身じろぎしながら、湯けむり漂う湯船へと慌てて浸ったものです。間接照明に浮かぶ雪空。真っ暗な闇から、大きな牡丹雪がひらひらと舞い落ちてくる様は圧巻!

ここが果たしてどこなのか、何時の時代なのか・・・。およそ日頃思いもしなかったような境地へ、誘われて往くようです。降りしきる雪は、俗世のあらゆる音と言う音や、諸々の雑念を覆い隠すかのように、ただただ静けさだけをもたらしてくれたものです。

どれほど雪の降りしきる夜に、露天風呂に浸りたいと思っても、こればっかりは天が定める事。前もって雪国の、露天風呂のある宿を予約しようが、必ずしもその晩に雪が降る保証はどこにもありません。

偶さか運が良いか悪いか、ただそれだけ。

でも出来うればもう一度、雪を眺めながら露天風呂に浸り、一杯きゅ~っと煽りたいものです。さすれば酒の味も、また一味も二味も、旨味が増すに違いなし!

そう言えば、3年ほど前に会津を訪ねた折。旅館の大浴場に檜風呂があり、そこに会津塗りの角樽と、同じく会津塗りの盃が置いてあり、「ご自由にお召し上がりください」と書かれてありました。何とも嬉しい心配り。湯船に浸りながら会津の銘酒に酔いしれた思い出があります。そんな粋な心配りに、益々会津が好きになったものです。

ここで「雪花火」の原曲、「夏花火」もお聴きいただきましょう。

こちらは、長良川国際会議場の大ホールでのLive版から、Jazz風のアレンジでお聴きください。

★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)

今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「乾布摩擦と押し競まんじゅう」。小学生の分団登校の集合場所だったどんぐり広場では、こんな冬ともなると、ご近所でも世話焼きとして有名な、元軍人だったと自慢するご隠居が、上半身素っ裸になって、使い古しの日本手拭いで乾布摩擦を始めたものです。そしてぼくら子供には、上半身裸になって乾布摩擦を指導してくれたものです。さすがに女子は免除されていたように記憶しますが・・・。果たしてどうであったか?女子は、集合時間を利用して、押し競まんじゅうをやって、寒さを凌いでいたようです。そして乾布摩擦が終わるや否や、押し競まんじゅうの輪の中へと飛び込んだものです。これまた、今じゃすっかり見る影も無くなり、遠い昭和の記憶の断片と化してしまったようです。

今回はそんな、『乾布摩擦と押し競まんじゅう』に関する、皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。

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「残り物クッキング~おからグラタンの絹揚げ挟み焼 with ナスとトマトの煮込みソース添え」

おからが無性に食べたくなって、お袋の味風に作るのはいいのですが、これまた沢山出来てしまい、最後の方はもう飽きてきてしまうことが度々あります。

今回もタッパーの中に、食べあぐねたおからが、「おお~い、早く何とかしてくれよ!」とばかりに居座っておりました。

ならば一捻りと、編みい出しましたる作品が、この「おからグラタンの絹揚げ挟み焼 with ナスとトマトの煮込みソース添え」でございます。

タイトルは相変わらず長ったらしいですが、作り方は殊の外簡単。

まず絹揚げの片側に包丁を入れ、切込みを入れて置きます。

次におからをボールに空け、そこにとろけるチーズをたっぷり投入し、生クリームを少々加えて、よく混ぜ合わせ、切り口を入れた絹揚げの中に詰め込み、オーブントースターで揚げに程よく焦げ目が付いて、中のチーズがとろけ出して来たら皿に盛り付けます。

そしてフライパンにオリーブオイルをたっぷりとひき、ニンニクの微塵切りで香りを立て、小口切りにしたナスを炒めます。

次にナスを少し炒めたら、トマトピューレ、コンソメ、塩、コショウ、白ワインで味を調え、盛り付けた絹揚げの傍らに添え、彩でハーブリーフを飾れば完了。

おからの味がほとんど、チーズと生クリームで消され、まったく別物の、ちょいとお洒落なイタリア~ンな絹揚げグラタンに早変わりです。

これがまた、ナスとトマトの煮込みソースとピッタリとマッチし、すこぶるご機嫌な一品となり、白ワインにとてもお似合いとなりました。

少しナスとトマトの煮込みソースにお砂糖を加えたら、お子様向けにもピッタリだと思われます。

是非一度、お試しあれ!

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「南島のオアマルの青空!」

どうです!この抜けるような青空!でも南半球は、オゾン層の破壊が進んでいるため、紫外線には要注意!日本人でもサングラスが欠かせません!

しかしそれにしても奇麗な、南島はオアマルの青空です。

なんとも素敵な石灰岩の「オアマルストーン」の石造り建築物。すっかりタイムスリップして、19世紀の街を漫ろ歩いているようでした。19世紀と言えば、日本ではまだ江戸時代末期から幕末、そして明治維新といった時代。そんな頃にオアマルは栄えていたのです。

その昔、この先にある港は、捕鯨船が寄港したり、金鉱脈が掘り当てられるなど、ゴールドラッシュに沸き返った人々で、それはそれは賑わっていたそうです。

もう今では廃線ですが、線路の一部がいまだに敷設されたままです。

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