「牧歌の里ではなく、牧歌の国!」

牧歌的な羊の放牧風景には、心まで和みます。

しかし羊は、元々ニュージーランドに居たわけでは無く、英国やヨーロッパから19世紀に持ち込まれたものだそうです。

2017年の統計によりますと、羊2,750万頭に対し、ニュージーランドの総人口が約479万人ですから、人に対して羊が5.7倍もいる計算になるほど、羊が大繁殖を遂げてきたことになります。

羊の放牧のため、ニュージーランドの原生林の多くが焼かれ、そのために多くのNZネイティブの動植物たちが絶滅の淵へと追いやられて行ったことになるのです。

しかしNZに英国やヨーロッパ各地から入植した先祖を持つ、現代の世代のニュージーランド人たちは、彼らのご先祖たちが犯した結果を真摯に受け止め、Department of Conservation(自然保護省)が中心となって、ネイティブな動植物の保全や保護に積極的に乗り出しているのです。

彼らのご先祖様たちも、新大陸への期待と希望に胸膨らませ、NZに入植した頃は、まさかこんなことになろうとは、恐らく想像もしていなかったのかも知れません。

ぼくが「カカポ」のリカバリープロジェクトに参画させていただいていた頃に、何度も首都ウエリントンにあるDepartment of Consevationの本省を訪ねたことがありました。

そこでビックリしたことが、2つありました。

Department of Conservationの官僚の中に、たくさんの動物学や植物学の博士号を取得した職員が一杯いたこと。

そしてもう一つは、自分のデスクの横に、60ℓは入りそうなバックパックに中身が詰め込まれ、用意されていたことです。

つまり自分が担当する動植物に対し、保護の緊急性が生じたら、そのバックパックを担いでいつでも飛び出せる、そんな態勢が整えられていた点です。

まったくもって頭の下がる思いでした。

ですから、こんな牧歌的な風景は、NZ本来の大自然ではないのですねぇ。

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「こんなところに?落とし物???」

ではありません。ちゃんとした新聞配達さんが、配達してくれた朝刊なんです!

そもそも日本のように、諸外国の多くは、自宅の郵便受けにまで、新聞を戸別配達してくれるわけではありません。

庭先に投げ入れてくれてあるだけでも、御の字かも知れません。都会では駅のスタンドなどで買い求めるか、コンビニ辺りで調達するのが普通の光景ですから、我々日本とはちょっと違いますね。

ですから、諸外国の方々は、郵便受けや新聞販売店からいただいた新聞受けに、毎朝朝刊がコトンと投げ入れられた音で目覚めるなぁ~んてこたぁないんでしょうね。

ちゃんと雨に濡れないように、ビニール袋詰めされた、南島をカバーするオタゴ・デイリー・タイムズ社の朝刊です。

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「KIRIN BEER PRESENT’S ほろ酔いLive開催記念 新曲『忘れないで!』」

このブログが公開された頃には、岐阜市で「オカダミノル ほろ酔いLive 2019 in DAIKOKU」が開催されている時間です。

本日12月14日のほろ酔いLiveは、10月末に告知をさせていただき、お陰様で2日でSold Outとなり、心より感謝申し上げます。

このLiveでは、新曲「忘れないで!」を披露させていただく予定です。

残念ながらLive会場においでいただけない皆様には、こちらの動画でぼくの新曲をお聴きいただければ光栄です。

あの日、マイクの前を去ってからの、ぼくの偽らざる心境を曲にして見ました。

「忘れないで!」

詩、曲、歌/オカダ ミノル

 忘れないで ぼくのこと いつかきっと戻るから

旅に出たら 気付くはずさ 一番君がやさしかったと

 あー生きる事は  容易くはない

 新しい明日 探して歩こう

忘れないで ぼくのこと 心に刻んで

忘れないで 君だけは いつか必ず戻るから

忘れないよ あの日の事 闇に揺蕩う蛍火を

飽きもせずに 見惚れていた 君が堪らず愛おしかった

 あー美しい 想い出だけに

 立ち止まっては 生きて行けない

忘れないよ 君の事 心に刻むよ

忘れないよ 君だけを いつか必ず戻るから

あー生きる事は  容易くはない

 新しい明日 探して歩こう

忘れないで ぼくのこと 心に刻んで

忘れないで 君だけは いつか必ず戻るから

また、来年1月25日にも「KIRIN BEER PRESENT’S オカダミノル ほろ酔いLive Again !Happy New Year 2020 in DAIKOKU」を開催いたします。

残席数があとわずかになっておりますので、参加希望の皆様は、どうぞお早めにお申し込みを!

詳しくは、10月31日のブログをご覧ください!

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「オアマルの地ビールSCOTTS!」

オアマルの地ビール「SCOTTS」の工場へ!

さあ、お待ちかねのぷっはぁだーっ!

ニュージーランドは、ワインは勿論ですが、各地に独特な地ビールが沢山あります。

中でもぼくが好きだったのは「スペイツ」とか「モンテウス」でした。ですから「スコッツ」は初めての遭遇です。

これがラインナップです。どれも美味しそうな感じで、もう喉が鳴って鳴ってしかたありません!

勿論試飲も出来ますし、アウトサイドのテーブルで、直営レストランのビールにピッタリのお食事だって楽しめます。

こんなテーブルで、お好みの出来立てビールをぷっはぁと煽りながら、ニュージーランドチーズがふんだんに使われた、ビールにドンピシャな食事でもうご機嫌でした!

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「パンクロック?なガレージハウス」

なんだかワクワクしそうな、ガレージハウスです。しかしお客さんが見当たりません。おっかなびっくりで、足を踏み入れて見ましょう!

コスプレーヤーやパンク・ロックのレディスには、垂涎の一品が粒揃い!アンティックな衣装や小物がデーン。眺めて歩き回っているだけでも、飽きることはありません。パンク・ロックなレディスなんぞの、ステージ衣装にも良さそうな物ばかりです。

とても目の保養をさせていただけました。

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「CD販売が近日再開されます!」

近日中に、岐阜市長良のCDショップ「名音堂」さんで、再びぼくのCDが販売していただけることとなりました。

「名音堂」さんでは、店頭での販売はもちろん、全国どこへでも発送もしていただけるそうです。

502-0071 岐阜県 岐阜市長良191番地 名音堂

058-232-1744 営業時間: 10:00〜20:00

https://ja-jp.facebook.com/meiondo

ぜひ、ご利用いただければ幸いです。

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「古い町オアマルにお似合いのクラッシックカー」

ニュージーランドの人たちは、ものすごく物を大切に大切にされる、そんな国民性があり、19世紀英国からの入植者が持ち込んだ、良質な銀食器などが全国各地のセコンドショップなどに並んでいるものです。

ぼくの大親友でもあった、アラン・ソーンダース氏なんて、ぼくと初めて会った時から凡そ10年近く、茶色の革靴を毎日奇麗に磨き上げて、大切に履いていたものです。

ケチだとか質素だとかではなく、基本的に物をとても大切にする国民性であり、物に対する価値観が今の日本人とは少しかけ離れているのかも知れません。

ですからビンテージものの車などは、見事にレストアされ、各地の中古車屋さんの店先に並んでいたものです。

こんなアンティックなトラックを転がし、焼き立てパンをカフェなんぞに納品したら、とてもお洒落ですよね。また、英国系の国ですから、こんなロイヤル・グリーンの塗装の車もよく目にしたものです。

こちらはショップの前に何気にディスプレイされた、これまた年代物の自転車です。なかなかハイカラですよね。

そう言うぼくも、クライストチャーチの中古車屋さんのガレージで、1961年製のジャガーマークⅡを衝動買いしてしまい、船便で日本に運んだこともありました。

ワンオーナーの所有者で、農場の納屋にほったらかしになっていたのをレストアしたものだそうでした。1961年と言えば、あの故ダイアナ王妃がお生まれになった年の車です。中古車屋さんのガレージで一目惚れしたまでは良かったのですが、1995年当時コンテナに積み込んで船便で名古屋港に個人輸入するのも、大変な手続きで苦労したことを覚えています。そして名古屋港で通関したはいいものの、そこから今度は日本の排出ガス規制やら、車検を通すのにこれまた大騒動で、やっとのことで手元に届けられたのは、契約から半年近く過ぎてからでした。

でもなかなかご機嫌な車でした。メーターはマイル表示のままでしたので、運転中に「いま40マイルってことは、40×1.6kmだから約64kmか」ってな感じで、これまたややっこしくって仕方なかったものです。

まだ2歳だった娘を助手席に乗せ、近くのショッピングセンターまでドライブしたのも、遠い日の思い出です。

しかし約2年ほどした時に、クラッチペダルが向こうまです抜けてしまい、クラッチ板が滑っていかれてしまったとのことでした。部品を取り寄せるのにも手間取り、そのまま知り合いの自動車整備工場に入ったまま動かさなかったからでしょうが、ついに他のパーツもボロボロに!

残念な結果となってしまいました。

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「アヒルのガーコ」

鶴舞公園の池で、優雅に泳ぐマガモたち。

実はこの池まで足を延ばしたのには、訳がありました。

シロアヒルの「ガーコ」がもしかしたらいるのではないか?と、ふと思ったからです。

そのシロアヒル「ガーコ」との出逢いは、40年ほど前の事。はてさて、シロアヒルの寿命がどれほどなのか分かりませんが、もしかするともう天に召されてしまったのでしょうか?

もしかしてマガモの群れに混ざっていはしないものかと、しばらく池の畔に佇んでおりました。

「ガーコ」と出逢った時は、CBC TVの「ぱろぱろエブリデイ」と言う番組の中で、「もちょっとニュース」と言うコーナーがあり、その取材記事を書かせていただいていた頃の事。

夕方の報道番組では、取り上げられるはずもない、ちっぽけな雑記を取材して回ると言うものでした。

その日は、鶴舞公園で何かニュースのネタが転がってはいないだろうかと、公園内をフラフラと歩いておりました。

そして公園中央の池に差し掛かると、多くのマガモやアヒルが気持ちよさそうに泳いでおり、ついつい立ち止まって水鳥達を眺めていたのです。

するとすぐ近くの池の畔で、一人の作業服姿のオッチャンが、ビニール袋から食パンの耳を取り出し、「お~い、ガーコ!ガーコ!」と呼びながら、池に向かってパンの耳を投げ込んでいるではないですか!

初めのうちは、アヒルの総称としてオッチャンは、「ガーコ」と呼んでいるものだとばかり思っていると、シロアヒルの一羽がオッチャンの手元に一目散で泳いでくるではないですか!

そしてオッチャンの手から、パンの耳を啄み、呑み込んではまた啄むを繰り返していたのです。

オッチャンの餌遣りが一段落したところで、ぼくはオッチャンに話を伺って見ました。

ある日オッチャン家の子供が、縁日の屋台で雛だった「ガーコ」を飼い、家族で大変可愛がっていたそうです。ところが当然「ガーコ」は大きく成長し、鳴き声も次第に大きくなり、オッチャン家族の暮らす団地では、近所迷惑となって飼うことも出来なくなり、泣く泣く港区の家から鶴舞公園の池まで放しに来たとのこと。この池なら、他のアヒルたちもいて、「ガーコ」も寂しくないだろうと。

それからオッチャンは雨の日も風の日も、自転車の荷台に段ボール箱を括り付け、近所のパン屋で分けてもらったパンの耳を積み込み、港区の団地からこの池まで餌遣りにやって来ていたんだそうです。

オッチャンは団地の側の工場で仕事を終えると、それから片道1時間近くを掛けて鶴舞公園まで、作業服姿のまま自転車を走らせていたのです。

昨今、動物虐待のニュースや、幼児虐待などといった、心無いニュースが報じられる度、アヒルの「ガーコ」のために休むことも無く、毎日毎日餌遣りを続けたあのオッチャンのやさしそうな笑顔が、思い出されてなりませんでした。だから、きっともう「ガーコ」には逢えないだろうとは思いながらも、この池までやって来てしまったのです。

笑うと一本だけ欠けた前歯が、とても印象的だった「ガーコ」のオッチャン。どうかどうかお元気でいてください。

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「君を手に入れるなら」

あの名作映画、「卒業」はご覧になられましたか?

ダスティン・ホフマン扮するベンジャミンと、キャサリン・ロスの扮する幼馴染エレーン。

言わずと知れたラストシーンは、エレーンと別の男が結婚式を挙げる教会。

エレーンと新郎が、誓いの口づけを交わした場面でベンジャミンが叫ぶ。

「エレーン、エレーン!」。

ベンジャミンへの愛の方が、本物だと気づいたエレーンは、それに答える。

「ベーンッ!」。

エレーンに向かって走るベンジャミンを、阻止しようとするエレーンの両親。

しかし二人は、手に手を取り合って教会を飛び出し、バスへとに飛び乗る。

1968年の封切りですので、ぼくはまだ小学生。ですからリアルタイムで、映画を見たわけではありません。しかし思春期のぼくらは、先輩や友人から聞く「卒業」のラストシーンに、恋も愛も知らぬくせに心震わせた記憶があります。

実際にTVか映画館でのリバイバルで「卒業」を観れたのは、もっと大人になってからだった気がいたします。

しかし「卒業」は、当時のぼくらにとって、大人の恋や愛のバイブルであったことには間違いがありません。

そんな背景があったのでしょう。ぼくの恋心の奥底には、いつもこの曲「君を手に入れるなら」に描いたような、そんな想いが満ち溢れていたようです。

この曲は、CD化されておりませんので、ぼくの拙いギターの弾き語りでお聴きください。

「君を手に入れるなら」

詩・曲・唄/オカダ ミノル

君を手に入れるなら この命の他には

すべてを失っても いいとさえ思ってる心から

君はこれまで生きた この町捨てれば

二度と戻れないと泣いて 立ち止まり振り向く

 気が済むまで 泣き通せばいい 最後の 泪涸れるまで

 そして二人 明日を生きよう 互いに 心を結い上げ

 この世に 確かなものなど どこにも無いはずだから

 ぼくは君を 君はぼくを 決して見失わずに

両手で握れるのは 小さなお結び一つ

だから幸せだって 欲張れば掴み切れないさ

君となら大丈夫 この世の果てまで

一つを二人で分け合い 支え合い生き抜こう

 出逢う時が 遅過ぎたのは 最後の 神様の仕業

 ならば二人 残り時間は 片時も 無駄には出来ない

 たとえ一秒たりとも 君の瞳を見詰め

 君に語り続けるだろう この命の限り

 出逢う時は 遅過ぎたけど 取り戻そう 君と二人して

 だから二人 残り時間を 互いに 足し合えばいいさ

 この世に 確かなものなど どこにも無いはずだけど

 ぼくは君を 君はぼくを 決して見失わずに

 君を手に入れるなら この命の他には

すべてを失っても いいとさえ思ってる心から

1986~7年の年の瀬。初めて一人で、成田空港からユナイテッド・エアでニューヨークに向かった時の事。

搭乗口の辺りで搭乗手続きが始まり、ファーストクラスのパッセンジャーから順に搭乗が始まった時のことです。

ジーンズにラフなシャツ姿の、小柄な男性が目に入ったのです!それはなんと、「卒業」でベンジャミンを演じた、あのダスティン・ホフマンではないですか!

サングラスもせず帽子も被らず、スクリーンで観たそのままの気取らない姿で!

本当に本当に興奮したものです。周りの方々も気付いていたのでしょうが、取り分け騒ぎ立てることも無く、みんな大人の対応でした。

機内ですれ違わないだろうかとも思いはしましたが、彼はファースト、ぼくはエコノミーでしたから、住む世界が違い過ぎました。

ジョン・F・ケネディ空港のターンテーブルで、もう一度ご尊顔を拝せはしないものかとも思いましたが、彼らファーストクラスの方の荷物は、当然プライオリティー・タグが付いていますから、ぼくがエコノミー席からやっとのことターンテーブルに辿り着いた頃には、とっくの昔に空港を出て行かれた後ですから、残念無念!でも、いい想い出になりました!

★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)

今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「継ぎ接ぎだらけの手編みの手袋」。ぼくの子供の頃は、そんなに簡単に手袋など買ってもらえず、お父ちゃんやお母ちゃんの穴の開いたセーターを解いて、それを継ぎ足し継ぎ足ししながら、母が夜なべ仕事で編んでくれた手編みの手袋でした。しかも五本指の開いた立派なものではなく、首から一本の毛糸で吊るす「ミトン」タイプのものでした。おまけに継ぎ足した毛糸ですから、左右対称ではなく、色も違えば太さもまちまち。それでも、顔に近付けると、お父ちゃんやお母ちゃんの匂いがするようで、心までポッカポカになった覚えがあります。皆さんは、いかがでしたか?初めての手袋って?

今回はそんな、『継ぎ接ぎだらけの手編みの手袋』に関する、皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。

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「残り物クッキング~獅子柚子ピールと生ハムのHoneyピザ」

まだまだ獅子柚子ピールが残っており、無添加のためなるべく早くなんとかせねばと、編みい出したる作品がこの、超お手軽時短クッキングの「獅子柚子ピールと生ハムのHoneyピザ」です。

まずピザ生地にたっぷりとろけるチーズを盛り付け、その上に獅子柚子ピールをお好みで盛り付け、オーブントースターでチーズに焦げ目が付く程度に焼き上げ、皿に盛り付けます。

そして生ハムとベビーリーフを彩に添え、上からハチミツをたっぷりかければ完了。

ハチミチとラム酒の香りが漂う獅子柚子ピールの甘さと、生ハムとチーズの塩味とが絶妙に絡み合い、キリン一番搾りと白ワインに、ドンピシャな一品に仕上がりました。

お腹一杯で一枚はとても食べきれず、冷蔵庫で保冷しておきましたが、翌日はレンジでチンして、これまた美味しくいただけました。

お子様にも大うけ間違いなしですから、ぜひお試しください。もしも獅子柚子ピールがなければ、ドライマンゴーやドライイチジクなんかでも、きっと美味しくいただけるはずです。

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