「昭和Nostalgia」(240)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

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確かわが家にもこんな豚の貯金箱があったものです。

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こちらのポスト型の貯金箱も、どこのご家庭でも見かけた気がいたします。

それはそうと、なんせ1日10円玉一個のお小遣いじゃあ、なかなか貯金箱に投入できるはずもなく、もっぱら時折りやって来る、母方のお婆ちゃんに小銭を入れてもらうばかりだったように記憶しております。

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友だちの家には、こんなトッポジージョの貯金箱もあって、羨ましく思ったこともありました。

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ぼくは見かけたことはありませんでしたが、コインを投入すると男の子と女の子がkissするなんてぇ、とても可愛らしい貯金箱もあったようですねぇ。

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こんな貯金箱があったら、1日分のお小遣い10円で、くじ引きもやらずアイスキャンディーも我慢して、トシ君家のオバチャンの一文菓子屋で1円玉を10枚に両替してもらって、せっせせっせと1円玉を貯金箱に投入し、10回分のkissシーンを矯めつ眇めつ眺めたことでしょう。

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なかにゃあこんなに進化した貯金箱もあったようです。

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これもコインを入れると、ラジオ型の貯金箱が昭和の出来事を喋り出すんだとか!

そして昭和も終盤に近付くと、

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当時一世を風靡した、テーブル型のインベーダーゲーム機のミニチュア貯金箱まで登場したみたいです。

残念ながぼくは、その本物に巡り合ったことはありませんでした!


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「昭和Nostalgia」(239)

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こんなブーメランで遊んだことがあるのは、やっぱり昭和半ばの腕白坊主どもだけでしょうか?

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さすがに女子はこんな遊びはしませんでしたかねぇ。

そもそもブーメランと言うと、ついついオーストラリアの先住民、アボリジニが狩猟や儀式で使用するものとして知られていて、ぼくもすっかりブーメランはアボリジニが生み出したものだとばかり思い込んでおりました。

しかし今さらながら調べてみると、アフリカやヨーロッパの岩絵や遺跡にも描かれているそうで、その歴史たるや紀元前まで遡れるのだとか。

参考資料

「く」の字の形状をした木製のブーメランは、手で握って少しだけ傾けて縦に投げると、そのまましばらく飛行してやがて手元に戻って来ると言うスグレモノ。

写真は参考

しかしそれにしても、紀元前の人類がこんなブーメランのメカニズムを知り得ていたとはビックリ!

1950年代後半から1970年代前半にかけ、駄菓子屋でプラスチック製のブーメランが子ども用のオモチャとしてもてはやされたと言いますから、まさにぼくの子供の頃にドンピシャです。

それと同時に、60年代の特撮作品『怪獣王子』で、主人公の少年の武器として大型のブーメランが登場し、小学館の子供向け雑誌でも紙製ブーメランが付録になるなど、子どもたちのオモチャとなったようです。

ぼくはお父ちゃんが木を削って作ってくれた、お父ちゃんお手製のなぁ~んちゃってブーメランが自慢の一つでもありました。

でも何度投げても、一向にぼくの元へ戻って来てはくれなかったような?


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「昭和Nostalgia」(238)

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こんな小学生たちの心の駆け込み寺のような「保健室」。

ぼくの小学校にもありました。

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とは言え、すこぶる元気だったぼくは、なかなか保健室の扉を開けることはありませんでした。

でも小学校の4年の時に隣の席だった女子は、少しだけ体の弱い子で、事ある度に保健室の先生の下で休んでいたものです。

その子の話によれば保健室の先生は、とっても優しくって美人で、一緒に居てくれるだけで心が休まると!

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ぼくも美人の誉れ高い、保健室の先生に優しくしてもらいたいなぁと、それこそ熱でも出ないものかと、ついつい不謹慎にも思ったりしたものでした。


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「昭和Nostalgia」(237)

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ぼくも小学校の頃は、こんな名札を左胸に付けておりましたねぇ。

ぼくの名札の台座は、フエルトの生地で、こんなプラスチックの名札に、お母ちゃんがひらがなで名前と、何年何組と書いてくれていた記憶があります。

この写真のような血液型は、表記されていなかったような?

写真は参考

そしてこんな学級委員のバッヂにも憧れたものでした。

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名札の横にこんな役職名が記載されたバッチを付けたくって、ぼくも何年生の時だったかに、晴れて「放送委員」とかを拝命し、お昼時間に放送室で校内放送をやったものでしたねぇ。

はてさて、いったいどんな内容の放送をしたのやら?


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「昭和Nostalgia」(236)

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これが何だかお分かりですか?

子どもたちにとってのご馳走「たません」です!

って、ぼくの子供の頃は、毎日通う一文菓子屋の「トシ君家のおばちゃん」の店で、こんなゴージャスな「たません」を年に数回程度買ってもらったものでした。

写真は参考

タコ煎餅にお好み焼きソースが塗られ、鉄板で平べったく焼いた目玉焼きがサンドされ、お好み焼きや焼きそばに振り掛ける青海苔が、彩として散りばめられたそれだけの物。

でもタコ煎餅の塩味と、お好み焼きソースの甘っ辛さが卵焼きに絡まって、何とも言えない味わいだったものです。

皆さんもお召し上がりになりましたか?

今度見かけたら、ビールのあてに買ってみますかぁ!


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「昭和Nostalgia」(235)

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小学校の何年生の時だったかすっかり忘れてしまいましたが、校庭に体操の時の紅白帽を被って並び、全校生徒で人文字を作って航空写真を撮影していただいたことがありました。

小学校の創立何十周年めかの節目だったのか?

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その航空写真を購入したものの、ぼくが一体どこにいるのやら?

お母ちゃんもお父ちゃんも、目を皿のようにして「あっ、これやこれやぞー」とか「違うって、こっちやこっち!」とか、まぁいずれも良い頃加減なもので、わが家はその航空写真一枚で、全く持ってウオーリーを探せ状態でした。

その航空写真もいつのまにやら、どこへやら?

皆さんも航空写真を撮られませんでしたか?


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「昭和Nostalgia」(234)

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ぼくの左腕にも、こんなBCGの接種跡があります。

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BCGって、結核予防のワクチンだったんですねぇ。

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BCGを接種したことも知っていましたが、果たしてそれは何の予防であったかなど、知らぬままこの歳になっておりました。

しかしBCG接種をしたことで、これまで結核にならずに済んだのですから、お母ちゃんや保健所の皆様にただただ感謝ばかりです。

参考資料

お母ちゃんの遺品の一つ、お母ちゃんとぼくを紡ぐ母子手帳には、昭和35年8月17日に名古屋市南保健所でBCGの接種を受けたと記録されています。

おかげで今日、母の享年より3年も多い、67歳を迎えることが出来ました!

写真は参考

それにしても8/17なんて、さぞや暑かったであろう日に、お母ちゃんは2歳と9ヵ月になったぼくを、抱っこか負ぶって、バスに揺られ保健所まで連れて行ってくれたことでしょう。

返す返す有難いものです。


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「昭和Nostalgia」(233)

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ぼくん家のそばの公園にはありませんでしたが、こんな過激な円錐形のグメグル回る遊具もありましたねぇ。

少し離れた公園にこの遊具があり、友と自転車を転がし遠征したものでした。

写真は参考

でも隣町の腕白坊主共によそ者がなんだとばかりに、寄ってたかって遊具にぶら下がり、グルグルグルグル回されたものでした。

やっぱりアウェーの公園では、なかなかいつものように都合よく、ぼくらのペースで遊ばせてはもらえないものでした。


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「昭和Nostalgia」(232)

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どこのどんなに小さなドングリ広場にも、必ずと言っていいほどあったブランコ。

ところが極めてポピュラーだった、昭和半ばの子どもたちの遊具として人気だったブランコすら、一つ二つとその姿を消していったようです。

これもやはり、子どもたちにとって危険だと言う、そんな理由でしょうか?

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ぼくらの腕白時代は、座ったままブランコの弧を大きく振り、そのまま前方に向かって体だけブランコから飛んで、着地した距離を競った覚えがあります。

まぁ、運動音痴だったぼくは、いつも友に後れを取るばかりでしたが!

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ちょっと立派な公園では、こんなゆったりとした幼児向けのゴンドラタイプのブランコも見かけられたものでした。

しかしこれまた姿を消してしまった、絶滅級のブランコのような気がいたします。

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いずれにしても、昭和の時代を彩った、あのビリーバンバンの名曲「白いブランコ」も、ずいぶん遠くへ行ってしまった気がしちゃいますねぇ。


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「昭和Nostalgia」(231)

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こんな鎖の梯子のような遊具もあったような?

仮面の忍者赤影に魅せられていた頃、忍者が鎖の梯子を伝って城壁を登るシーンを真似て、赤影ゴッコなんてぇのもしたものでした。

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こんなうんていとか呼ばれた遊具もありましたねぇ。

雲梯(うんてい)ってぇのは、何でも長い梯子のことだとかで、城を攻める際の攻城兵器だったとか。

だとすれば、まんざら赤影ゴッコも的外れじゃあありませんでしたかぁ!


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