今から21~22年前の事だったでしょうか?
毎日新聞の連載の取材のため、初めてインドのビハール州ブッダガヤの地を訪れたのは・・・。
ホテルで夕食を終えると、TVもラジオも無く、何もすることがない。時折湯が水になるシャワーで一汗流し、涼みがてらホテルの玄関を出た。
ブッダガヤは、その名が示す通り、ブッダが成道した仏教の聖地で、世界各国の仏教国の寺院が犇めき合っている。
その中にある「日本寺」は、日本の仏教界が作った寺だ。しかし日没以降は、寺に照明が付くわけでも無く、辺りは漆黒の闇。唯一の灯りと言えば、濃紺の夜空に隙間なく巻き散らかされた様な、大中小様々な星たちの瞬きと、月明かりだけ。
すると日本寺と舗装されていない農道一本を隔てた、マスティープール村から子どもたちの歌声が聞こえた。と言っても、子どもらの歌の歌詞はヒンディー語のため、ぼくにはチンプンカンプン。とても優しく穏やかなメロディーに耳を傾けながら、夜空の星々を何時間も眺めていたものです。
周りには人工の灯りなど何一つ無いからか、これまでに見たことも無い無数の星々に、ただただ圧倒されたものです。一つ一つの星の光源がとても強く感じられ、星たちがまるで息衝いているかのような錯覚に陥ったものです。
それから都合取材で三度ブッダガヤを訪れましたが、いつもこの世の物とは思えぬ程満天の星空を眺めながら、屋台でインドビールのキングフィッシャーを呑んだものでした。
日本で流れ星を見る機会は、もうすっかり街灯りに消されてしまっているせいか、終ぞありませんが、ブッダガヤでは何度となく大きな流れ星を目にしたものです。
今夜はまず、弾き語りで「願い星」をお聴きください。
『願い星』
詩・曲・唄/オカダミノル
逢いたくて逢えなくて 君の名前呼び続けた
夜空に煌めく星を結び 君の顔を描いて
どんなに愛を語ろうと こんなに心震えても
君はただ 瞬くばかり
願い星伝えてよ もう一度だけ逢いたいと
そして必ず君だけに 生きて見せると
逢えなくてもどかしいと 心だけが夜を駆ける
君の寝顔に寄り添う心 気付いたろうか
どれほど愛を語ろうと どれほど心震えても
君の声が ぼくに聞こえない
願い星伝えてよ もう一度だけ逢いたいと
君を奪って二人そっと 生きてゆこうと
どんなに愛を語ろうと こんなに心震えても
君の声が ぼくに聞こえない
願い星伝えてよ もう一度だけ逢いたいと
君を奪って二人そっと 生きてゆこうと
それにしても人類は、流れ星に祈りを捧げるようになったのは、いつの頃からだったのでしょうか?
同時に大きく輝く一等星を結んで、様々なモノに見立て、星物語が紡ぎ出されていったのでしょうか?
ついつい子どもの頃の、日曜日の早朝を思い出してしまいます。子供にとって日曜の朝は、一週間でも特別な日です。川の字に布団を並べ、両親の真ん中で寝ているぼくは、雨戸の節穴から差し込む陽射しに、もう寝ても立ってもいられません。早く起きだして日曜日の休日を満喫しなければ、途轍もなく損でもするような、そんな強迫観念に囚われていたのかも知れません。しかし両脇で寝息を立てる両親は、まったくぼくとは逆で、せめて一週間に一度の日曜くらい、誰憚ることなくもう少し布団の中でまどろんでいたい!そう思っていたことでしょう。とは言えぼくは、早く両親が起き出してくれないものかと、何度も寝返りを打ったりしますが、その度に両親はぼくに背を向け、布団を頭からひっかぶったものです。ぼくは成す術も無く、布団の中から天井を見上げ、天井板の木目の図柄を眺めながら、「あっ、あれはムンクの『叫び』だ!(って、そんな小学生の頃ですから、もちろんムンクも『叫び』も知りませんから、ゲゲゲの鬼太郎に出て来る妖怪とでも思っていたかも知れません)とか、あっちは山下先生だ!」と、木目が描く不思議な曲線を擬人化して暇を持て余したものです。そう考えると、星座の星物語を生み出した古代人たちは、少なくとも忙しなく日々を生きるぼくらよりも、ゆったりと満天の星々を眺め、思いを馳せる時間がたっぷりあったのでしょうね。
続いては、CDよりオリジナル版の「願い星」お聴きください。
そしてもう一曲。こちらは即興のジャズバージョンの「願い星」にお付き合いください。
★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)
今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「受験のお守り、験担ぎ!」。受験勉強が完璧な人も、そうでない人も、こんな時期になるともう成す術はなく、ただただ幸運を祈るばかりです。ぼくは受験勉強を完璧にこなせるほど、勤勉では無かったものですから、お母ちゃんが授かって来てくれたお守りを、腹巻の中へ忍ばせ受験会場に向かったものです。また、靴や靴下は左から履くとか、玄関の敷居から踏み出す時は右足からとか、お相撲さんのような験担ぎにも頼った記憶があります。まあいずれにせよ、勉強を怠けた自分は棚上げし、一切合切神頼みにすがると言う、そんな体たらくぶりでした。皆様にも、お守りや験担ぎの想い出、きっとおありのことでしょう。
今回はそんな、『受験のお守り、験担ぎ!』。皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。