今日の「天職人」は、三重県桑名市の、「時雨煮職人」。
桑名赤須賀(あかすか) 川湊(かわみなと) 秋の時雨が 貝育て 河岸も俄かに活気付く 蛤漁の水揚げに 家並漂う溜りの香り 河岸に上がった蛤が 桑名名物時雨煮に 茶漬けに浮かべ舌鼓
三重県桑名市で時雨煮一筋で創業百有余年を超える、志ぐれ蛤貝増(かいます)商店の三代目女将、服部たゑ子さんを訪ねた。

「何でもあいくさ(相性)が合わんとなぁ。鰻と山椒のように、時雨煮には溜りと生姜がええし、毒気と匂いも消してくれるでなぁ。たいがい夫婦だって、あいくさが合わなんだら、添い遂げられやんで」。たゑ子さんは帳場に顔を出した夫を、目で追いながら笑った。
たゑ子さんは、桑名市の東外れ、長良川と揖斐川が合流し、伊勢湾に注ぎ込む赤須賀の川湊に、八人姉妹の末っ子として誕生。
赤須賀の貝漁は、蛤の「マキ漁」、浅蜊(あさり)の「ジョウレン漁」、蜆の「チャンチャン漁」の三種。多くの者が、貝漁や貝の加工で生計を支えた。

たゑ子さんは高校を出ると、名古屋市西区明道町の姉が嫁いだ菓子問屋に勤務。「漁師だけでは食べれやんでと、母は魚介と一緒に貝増で時雨を仕入れては、名古屋まで負(お)いねてって(背負って)行商しとったんやさ」。母と貝増先代との繋がり。義兄の嫁と姉が同級生だったという繋がり。そして夫となった、三代目時雨職人の豊治さんが、仕入れのため赤須賀の河岸を訪れていた繋がり。いくつもの繋がりが、まるで貝蛤(かいあ)わせのように、たゑ子さんと豊治さんの運命を引き寄せていった。「逞しさに惹かれちゃって」。たゑ子さんは懐かし気に笑って見せた。そして柔道で国体に出場した豊治さんと、二十二歳の年に結ばれた。
時雨煮は、赤須賀で剥き身にされた蛤を仕入れ、沸騰したたっぷりの溜りの中で、蛤の身が浮くように入れて炊き上げる。「晩秋に時雨る頃の蛤が、一番美味しいんやさ。冬を前に栄養を蓄えとるで、身がおおきてなぁ」。たゑ子さんが人差し指と親指を環にして、身の大きさを示した。

「この人なぁ、誰にでも親し気やろ。アゲマンの優秀な売り子さんやで、家(うっ)とこも何とかここまでやって来れたんやさ」。再び帳場を覗いて、豊治さんが嬉しそうに口を挟んだ。
「あの人に上手に仕込まれただけやさ。あの人なぁ、本当、欲得ない人でなぁ。自分で売った時雨の代金も、よう集金に行けやんのやで。嫁いで三十七年(平成十六年七月三十一日時点)。あいくさが合(お)うとったんやろか?せめて主人を先に送り出すまでは、頑張らんとなぁ」。


まるで時雨煮職人夫婦のような、この世にたった一つきりの貝蛤わせ。二枚の貝を繋ぎ止める蝶番のような絆は、蛤がその命を全うした後も、永遠に二枚の殻を繋ぎ止める。
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