「昭和Nostalgia」(250)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

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昭和の時代のウー〇ーイーツとでも言ったらいいでしょうか?

鮨屋にうどん屋、中華飯店などの店員さんが岡持ち下げて、自転車や徒歩で出前をする風景って、お目に掛れなくなってどれくらい経つのでしょうか?

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岡持ちの跳ね上げ扉の蓋が空くのを、固唾を飲むようにして、眺めていた遠い日。

わが家で出前を取る時なんて、それこそお客さんのあった時くらいなもの。

出前が届くだけで、非日常的そのものだったものです。

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わが家の周りでは、こんな曲芸じみたお蕎麦屋さんの出前は見かけられませんでしたけど、なかなか圧巻ですねぇ!

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うどんやラーメンなどの汁ものの出前には、こんなスーパーカブの後部に、岡持ちを水平に維持する装置が付いていたものです。

こんなことを想い出していると、なんだか無性に、出前の中華そばが食べたくなっちゃいましたー!


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「昭和Nostalgia」(249)

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子供の頃の木製風呂桶の時代には、こんなヘチマの束子で体を洗ってもらったものでしたねぇ。

ちょっぴり痛気持ちいいって言うか、こそぐったいとでも言うか、ぼくはヘチマの束子が結構好きだったものです。

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そう言えばお風呂が湧いたら、こんな木製の湯かき棒でお湯を掻き混ぜたものでしたねぇ。

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草津の湯もみとは大違いでしたけど!

わが家のお風呂では、沸いたばかりの温度の高い湯と、ぬるい湯を混ぜ合わせ頃合いの温度にしたのに対し、草津の湯もみは源泉の温度の高い湯を湯もみすることで、湯温をを下げるんだそうですから全く持って大違いです。

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そして洗い場には、やっぱり木製の椅子と木桶もあったような?

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銭湯ではこんな、お馴染みケロリンの洗面器が、浴場の入り口に山積みになっていたものでした。

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そして風呂場の壁には、こんなお風呂掃除用のバスシューズが吊り下げられていたものでした。

いずれもお父ちゃんとお母ちゃんがいた、昭和半ばのお風呂場のわが家の風景だった気がします。

よしっ、今度100均でヘチマの束子を見かけたら、絶対に買ってみよっと!


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「昭和Nostalgia」(248)

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こんなまるでお湯張り番人のような「ナショナル電子風呂ブザー」なるものをご存知ですか?

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わが家にはあったのか、それともなかったのか?

でもどこかで確かにお目に掛ったような?

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まぁもっとも、お父ちゃんが近所のご隠居さんお二人と、三人がかりで日曜大工の末、小学校の2年か3年の頃、小さな庭に風呂小屋を建て木製の風呂桶を設置してくれた頃。

水だけ張って釜で沸かすという和風なお風呂でしたから、こんなお洒落なブザーは似合わなかったでしょうねぇ!

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今だったら給湯器が勝手に「お風呂が沸きました」って喋って教えてくれる、想像も出来ぬほどとても便利な世の中になりましたよねぇ。


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「昭和Nostalgia」(247)

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昭和半ばの時代、一般家庭にはまだまだ乾燥機なんてぇスグレモノの家電がある家なんて、そうそうなかったんじゃないでしょうかねぇ。

家なんて昭和がとっくに終わっても、まだ衣類乾燥機なんて無かった気がいたします。

ですから洗濯物を物干しやベランダで乾かすわけですから、急な雨が降り出すと厄介極まりなかったものです。

それでもまだ家に居れば多少の雨に濡れる程度で、洗濯物を家の中に緊急避難させられるものの、これがあいにく外出でもして居ようものならさあ大変!

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昭和半ば以降には、こんな「雨コール シンフォニー」なるものが登場していたようです。

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なんでも雨の降り始めを感知して、メロディーで知らせてくれるのだとか。

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当然ながらこんなスグレモノはわが家にゃあありませんでしたし、その存在すら今の今まで知らずに令和の世へとやって来てしまっております。

しかもメーカーは、ヘルスメーターや体温計で有名なあの「タニタ」さんだから驚きです!

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大きな金盥に木製の洗濯板を差し入れ、お母ちゃんが手洗いしていた時代に、こんな未来からやって来たような「雨コール」なるものがあれば、せっかく乾きかけた洗濯物が急な雨でずぶ濡れになって、もう一度洗い直すことも無く済んだんでしょうねぇ。


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「昭和Nostalgia」(246)

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「オシッコを音で知らせるオムツカバー」なんてぇ便利なものが昭和半ば以降に誕生していたようですねぇ。

もちろんぼくは知りませんでしたし、使ってもらったことも無かったはずです。

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ぼくがまだ赤ちゃんでオムツのお世話になっていた頃は、もっぱらお母ちゃんお手製の晒し木綿のオムツだったと思われます。

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ちゃんとそんなオムツをした白黒写真が、古いアルバムの中にあります。

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きっと当時のわが家の洗濯物の物干しでは、洗いざらされた木綿のオムツが、こんな風に棚引いていた事でしょう!

もしぼくがオムツのお世話になっていた時代に、こんな「ヘルスベビー」なるものがあったとしたら、お母ちゃんの背に負ぶわれていた時にお漏らししたとしても、お母ちゃんの背中に染み出す前に事態を収拾出来たんでしょうけどねぇ。

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それも今となってはとても叶わぬことかぁ!

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こんなぼくでも、娘が赤ちゃんだったころは、こんな紙おむつをせっせせっせと取り換えてやったものでしたねぇ。


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「昭和Nostalgia」(245)

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昭和のクリスマスって言うと必ず、こんなチキンの照り焼きのような物が食卓に並んだものでしたねぇ。

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本来欧米では七面鳥なんでしょうけどねぇ。

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七面鳥はとても大きく、ニワトリが全長約70cm、体重3kgほどに対し、七面鳥のオスは全長約120cm、体重9kgほどと、とっても大きな鳥のようですし、日本じゃあなかなか七面鳥の肉なんて手に入りませんから、ニワトリが代用されるようになったとか。

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しかもローストではなく、巨大な焼き鳥のような照り焼きとか!

わが家もお母ちゃんがスーパーで買い求めた、照り焼き風のチキンでしたねぇ。

でも何でクリスマスに欧米人は七面鳥にこだわるのだろう?

どうにも気になってちょいと検索するとこんな説に出くわしました!

そもそも欧米で七面鳥が食べられるようになったのは、17世紀頃なんだとか。

その頃は、イギリスの移民がアメリカに移住したばかりの頃で、イギリスから持ち込んだ農作物がうまく育てられず、食事もまともに取れなかったんだそうです。

こんな状況を目にしたアメリカン・インディアンが、七面鳥をはじめ農作物を分け与え、英国からの移民たちも飢えをしのぐことができたんだとか。

そのお礼として翌年、英国移民たちはインディアンに感謝するため、フェスティバルを開いたそうです。

そのフェスティバルのおもてなし料理の中に、七面鳥料理が入っていたことから、お祝いの日の特別な定番料理となったようです。

感謝祭が開催されるのは毎年11月の第4木曜日と決まっていて、本来のクリスマスではないのですが、感謝やお祝いの気持ちを込め、七面鳥を食べることが広く認識され、クリスマスなどのイベントで七面鳥料理が食卓に並ぶようになったとか。

でもこれまでの人生の中で、ロースト七面鳥なんていただいたことが無いなぁ!

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まぁ、同じ七面鳥なら、ぼかぁワイルドターキーの水割りの方がいいやぁ!


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「昭和Nostalgia」(244)

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街のあちらこちらでクリスマスツリーを見かけるようになりました。

もう世の中は、クリスマス一色ですねぇ。

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ぼくは子供の頃、クリスマスが近付くと、こんなクリスマスブーツを買ってもらうのが楽しみでならなかったものです。

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和室にクリスマスツリーを飾り、とんがり帽子なんぞを被って、こんな感じの和洋折衷で家族でクリスマスを楽しんだものです。

でも写真の裕福なお宅とわが家は違い、ステレオもありませんでしたし、クリスマスツリーも写真のような大きく豪華なものではありませんでしたねぇ。

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子供会では、こんなクリスマスパーティーもあったものでした。

近所のご隠居さんがサンタさんの衣装を着て、「メリークリスマス!」なんて!

しかしこの齢ともなると、クリスマスといえど、もう心もときめかなくなっちゃっていけませんねぇ。

そんなこっちゃ困りますから、今年はシュトーレンでも買い込んで、グリューワインででも暖を取ってみますかぁ!


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「昭和Nostalgia」(243)

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こんなベルマークを集めて、学校に持って行きませんでしたかぁ?

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こんなにも沢山の企業がべルマークに取り組んでいたんですねぇ!

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家もお母ちゃんが、どうせ同じものを買うならって、ベルマークの付いた企業の商品を購入していたものでした。

一つ一つ鋏で切り抜いて、学校に提出するのを楽しみにしていたものでしたぁ!

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色んな商品にベルマークが当時は付いていたものでしたねぇ!

今でもベルマークの活動なんてあるんでしょうか?

でもぼくん家が提出したベルマークは、果たしてどんな教材やら遊具になったのやら?

参考資料

こんな立派な公益財団法人があったんだなんて、この歳になるまで全然知りませんでしたぁ!(汗)


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「昭和Nostalgia」(242)

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ぼくは滅法、子供の頃からこんな麩菓子が好きでした。

今はもっぱら、お菓子の方ではなく、焼き麩や生麩に角麩ばかりですが、これまた焼いても煮ても美味しくって、酒のあてにももってこいです。

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ですから旅先でも麩料理を見かけると、ついつい所望してしまっていたりします。

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全国各地には、それぞれに特徴のある焼き麩なんかが、土産物としても並んでいたりして、ついつい買い込んだものです。

とは言え、まだまだ口にしたこともない焼き麩が、各地にあるようでいつか旅に出られたら、いただいてみたいものでもあります。

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この中でぼくが口にしたものなんて、鍋料理に入った宮城の油麩と、金沢おでんでいただいた車麩くらいなものです。

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こんな季節を彩った生麩が、料理の色合いを見事に惹き立ててくれるものですよねぇ。

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そう言えばお母ちゃんが作る茶碗蒸しにも、必ずこんな花びらを象った焼き麩が添えられていましたねぇ。

ぼくは出し汁が凍みた焼き麩がことのほか好きで、ぼくの茶碗蒸しにだけ特別に、他の具を入れず焼き麩だけで作ってもらったものでした。

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それとどうやらこの地方独特なものが、この角麩のようですねぇ。

わが家の食卓に角麩が登場したのは、中学生になってからの事。

小学校の時とは異なり、給食が無くなって弁当持参になってからでした。

仲の良かったH君の弁当のおかずに、この角麩を甘辛く煮たおかずが毎日添えられていたのです。

わが家ではお目に掛った事のない角麩だっただけに、いったいどんな味の物だろうかと興味津々で、H君の角麩を一切れ食べさせてもらったんです。

そしたら何と何と!

食感と言い味と言い、申し分ないではありませんか!

そんな事があって、お母ちゃんに角麩を食べさせて欲しいと嘆願し、わが家の食卓にもやっと上るようになったものでした。

よくよく考えると角麩は、お値段もお値打ちで、腹持ちも良くなかなかどうしてな優れものの食材です。

ぼくのお気に入りは、バターで角麩を焼いて、塩とブラックペッパーを振り、ほんの少しお醤油を垂らし、キリン淡麗グリーンをキキュッと煽りながらいただくのが一番です!


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「昭和Nostalgia」(241)

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昨日の貯金箱の続きです!

こんなモンローの貯金箱もあるんだそうですねぇ。

コインを投入する度、風が吹き上がり、モンローのスカートが捲り上がるってぇ寸法だそうです!

こんな貯金箱なら、鼻の下を伸ばして、ついつい小銭も貯まっちゃうかも知れませんねぇ?

この有名なシーンは、ご存知1955年の映画『七年目の浮気』です!

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ぼくがこの世に産声を上げる2年も前の作品と言う事になります。

なんともセクシーな男心を今でもくすぐるこの名シーン!

歩道の通気口から地下鉄の通過する音が聞こえ、思わずモンロー扮するヒロインは、通気口まで足をのばし、「あら、地下鉄から風が吹いているのね?(Ooo, do you feel the breeze from the subway? )」と。

その時通気口から風が舞い上がり、モンローの白いドレスの裾が巻き上がり、彼女の脚が露わになる20世紀の名シーン!

ぼくは随分大人になってから、この名作をビデオで拝見したものです。


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