ついに3月19日の夜、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」の動画制作発表会が開催されました。飛騨市古川中学校3年生の皆さんが、動画の編集制作をしてくださり、飛騨市の魅力が溢れる作品に仕上がりました!ぜひぜひ、ご覧ください!
https://youtu.be/3CeTEMdXC7I
※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook
飛騨市の「広報ひだ」10月号「飛騨びと 言の葉綴り」は、お休みです!
「昭和Nostalgia」では、どこか無性に懐かしくって恋しい、「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
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月に一度の贅沢として、名鉄百貨店の食堂でお子様ランチを食べさせてもらったものでした。
お父ちゃんとお母ちゃんは、決まってショーウィンドーの中でも一番お値打ちな、中華そばかきつねうどんと相場は決まっておりました。
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ぼくは蝋細工の料理を眺めるのが好きで、どうせお子様ランチしか注文して貰えないと百も承知で、一度も味わったことのないような、ハイカラな料理やデザートに首っ丈だったものです。
中でも一度は、食べさせてもらいたくって仕方なかったのがホットケーキ。
どうにも憧れてならなかったものです。
それからいつ頃になってからの事やら、ある日曜日。
お母ちゃんが「今日はホットケーキ焼いてやるでなぁ」と。
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期待に大いに胸膨らませ、今か今かと卓袱台の前に陣取って、待ち構えておりました。
すると「お待たせ!お母ちゃんの大型ホットケーキやでぇ」と。
お盆のような大きな皿に、丸い座布団のような巨大で分厚いホットケーキが一枚。
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ショーウィンドーで覗き見たホットケーキのような、蜜のようなシロップも掛かっていなきゃ、バターもなく、ホイップクリームなんて夢のまた夢。
ショーウィンドーで目にしたホットケーキは、直径15~16cm程で、厚さが2cmほどのもので、それが3枚ほど重なってシロップが垂らされ、バターが一番上に載っていたと言うのに!
お母ちゃんのホットケーキは、大きなフライパンで丸ごと焼き上げたような、そんな大胆なものでした。
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何でもホットケーキは、大正12(1923)年に、東京日本橋の三越デパートの食堂で、「ハットケーキ」の名で登場したものとかで、バターとメープルシロップが添えられていたとか。
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やがて昭和32(1957)年、ぼくが産声を上げた年になつて、森永製菓から加糖タイプの「森永ホットケーキの素」が発売され、徐々に一般家庭でも手軽にホットケーキが楽しめるようになって行ったようです。
今にして思うと、お母ちゃんのお好み焼きのような巨大なホットケーキが、妙に懐かしく思えてなりません。
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