「昭和Nostalgia」(416)

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これをご覧になって「懐かしいなぁ~っ」なんてお思いのあなたは、押しも押されもせぬ立派な昭和人に違いありません!

新幹線や飛行機の肘掛けで見かけた、灰皿ですねぇ。

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JRの在来線には、こんな灰皿が取り付けられていたものです。

その他にも、

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こんなファミリー向けのお店でも、堂々とこんなロゴ入りの灰皿が、当たり前のように渦高く積み上げられていたものでしたねぇ。

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中には、こんなオモシロい灰皿も!

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そう言えば二十歳の頃、小中と同級生だった女性が、陶器のデザイン会社に勤めたとかで、自分が企画デザインした灰皿だとか言う事で、これとそっくりな水洗様式トイレ型の灰皿をいただいたことがありました。

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ちゃんとタンクに水が入り、煙草の火が消せるというスグレモノ!

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それにしても、あの時いただいたトイレ型の灰皿、いったいどこへやら?

家のお父ちゃんは、こんな灰皿を使っておりましたですねぇ。

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お父ちゃんが旨そうに煙草を吹かしていた姿も蘇るようです。

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こんな吸殻をボタン一つで始末できる、画期的な灰皿も見かけましたねぇ。

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さすがにこんな、自虐的な灰皿には、お目に掛ったことがありませんが!


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「昭和Nostalgia」(415)

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こんなレーシングカーのセットに憧れたものでしたねぇ。

まぁわが家じゃあ、どんなにお母ちゃんを拝み倒したところで、到底買ってなど貰えるはずもなく、裕福な友の家に入り浸って、遊ばせてもらったものでした。

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しかしこのスロットル捌きがなかなか難しくって、ついついスロットルを押し込みすぎて、カーブを回り切れずスピンすることもしばしば。

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そう言えばレーシングカーの持ち主である友人は、時折レーシングカーをひっくり返し、車の前輪の間に付いている集電ブラシとやらの先っちょを広げたり、車が多少スピンしコースから外れかけても、ちゃんと電気が集められるよう工夫したりしていたものです。

まぁ、たとえお情けでお母ちゃんがこんなレーシングカーセットとやらを買ってくれたとしても、わが家の茶の間に広げたら足の踏み場も無くなって、それこそ大事になった事でしょうねぇ。

でもいくつになっても憧れは尽きることなく、娘がまだ幼い頃にレーシングカーセットを大人買いし、娘と二人でレースを繰り広げたものでしたが、どーにもこーにも娘は詰まらなさそうな素振りで、親父だけが一人子ども帰りして楽しんだものです。

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いくつになっても子供の頃の憧れは、永遠の憧れでもあるものなんでしょうかねぇ?


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「昭和Nostalgia」(414)

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昨日、夢ちゃんからいただいた、スイカの漬物のコメントを読んだ途端、昭和半ばの夏の匂いを感じてしまいました。

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家のお母ちゃんも、夢ちゃん家同様に、スイカの皮を塩もみして漬物にしてくれたものです。

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ちょっと醤油を垂らしていただくと、カリコリした歯触りして、ぼくはとっても好きでした!

ほんのりスイカの香りがして!

とても懐かしい、お母ちゃんの夏の味に違いありません。

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今年は何が何でもスイカを買ったら、皮を捨てずに塩もみにして、またしても暑そうな夏をキリン晴れ風のあてにして、乗り切らなくっちゃ!


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「昭和Nostalgia」(413)

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子供の頃、お母ちゃんは内職で、洋裁をしていたこともあり、茶の間の一角には、お母ちゃん専用のくけ台を挟んだ座布団、そして傍らには裁縫箱が置かれていたものです。

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その中にあって、一際異彩を放っていたものが、コレ!

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コレはいったい何に使う道具やらと、不思議でならなかったものです。

でも裁縫箱には、決して触らせてもらえません。

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だから益々興味津々!

この細い針金のようなモノで出来た菱形は、先っちょを押さえると菱形から正方形にも変形するし、はたまた真ん中の二辺を押せば一本の針のように変形するし?

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お母ちゃんが内職仕事の途中で、トイレに立った隙に幾度か試したことがありました。

ところがその本来の用途は、一体全体何なのかとんと分かりっこありません。

お母ちゃんは内職仕事が一段落すると、膝の上に載せていた内職の紳士服を傍らに除け、そのままの姿勢のまま器用に手を伸ばし、卓袱台の隅に置いた湯呑を手に取り、冷めた茶を啜っていたものです。

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ぼくは卓袱台の脇でオヤツを食べながら、お母ちゃんの裁縫姿を眺めるのが、結構好きだったかも知れません。

どうにもあの物体が気になってならず、お母ちゃんに恐る恐る尋ねてみました。

すると、「針に糸を通す道具や」と。

何をする道具なのかは分かりましたが、それが一体どのように使われるのやら?

するとお母ちゃんが、わざわざ針を一本手にして、菱形の先っちょを針穴に通し、針穴から飛び出した菱形の中へ糸を通し、そのまま針穴から引き抜くと、なんとなんと、難なく糸があっと言う間に通っちゃうではないですかぁ!

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まるで手品でも見せられたかのように、ぼくはただただポカァ~ンとしていたに違いありません。

ところで、この商品、正式にはどんな名前なのかご存知ですか?

ぼくも調べて初めて知りましたが、「スレイダー」とか「スレダー」とやら。

発明者も定かではないようで、明治の最初頃にヨーロッパで生まれた、画期的なものであったようです!

齢を重ね、視力もおぼつかない今、鍼仕事でもしようかと思っても、針穴を見定め唾を付けて紙縒り上げた糸先を、裸眼のまま通すことなど無理な相談です。

やっぱりいざと言う時のために、この「スレイダー」とか「スレダー」とやらを、常備せねばなりませんねぇ。


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「昭和Nostalgia」(412)

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そう言えば昭和半ばの頃は、こんなビニール紐で編んだ、網袋のようなモノにスイカ一玉を入れ、八百屋やスーパーから重たそうに持ち帰っていたものでしたですねぇ。

ところであのビニール紐の網袋は、一体全体どこへ消え入ったのやら?

そう言えば、令和の今となっては、そんな網袋も、いやいやスイカ一玉を丸ごと買っている方など、すっかりお見掛けしなくなってしまいましたですものねぇ。

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重たいスイカをぶら下げて、汗だくになって家に帰ると、日陰で盥に水を張り、スイカを丸ごと浸けて冷やしたものでした。

とは言え、冷蔵庫で冷やすのとはわけが違い、今思えばさぞや生温かったことでしょうねぇ。

それでも昭和半ばの暑気払いには、欠かせぬ逸品でもありました。

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お父ちゃんとお母ちゃんと、生温いスイカを頬張り、縁側に座って種を飛ばしっこしたのが、今となっては懐かしい限りです。


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「昭和Nostalgia」(411)

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大人の入り口をやっと潜った頃、スナックとやらに連れて行ってもらうと、こんなレーズンバターなるおつまみをよく目にしたものです。

カクテルグラスにアイスピックでかち割った氷が入り、そこに薄っぺらな丸い「レーズンバター」なるものが、恭しく5~6枚添えられておりました。

それはぼくにとっちゃあ、初めて目にするもので、いったいどんな味がするんだろうと、兎にも角にも興味津々で、お供させていただいた先輩の話などもう、全然耳に入らぬ始末。

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とは言え、お供の先輩がまだ、「レーズンバター」とやらに、手を付けてもおられないのに、ぼくが真っ先にガツガツと手を出すことも憚られ、先輩が親し気に話を交わされているママさんとの会話に、ただただうつろに相槌を打つばかりだったものです。

やがてそうしている間に氷は解けてしまい、カクテルグラスの小さなプールに沈む、レーズンバターを眺めるしか手立ても無く、結局先輩は馨しそうなレーズンバターに手も付けず、次なる店へとぼくを連れだって行ってしまったもの。

その時のぼくの口惜しさと言ったら!

益々未知なる味わいの、レーズンバターとやらにひたすら恋焦がれてしまったものです。

しかしそんな淡い恋心も、日々の気忙しさの中に埋もれ果て、あんなに味わいたいと恋焦がれたことすらどこへやら。

それからどれだけの月日が流れ果てたことやら。

偶然、明治屋だったかどこだったかで、レーズンバターの文字を目にし、瞬時にあの日の恋心に灯が燈ってしまい、ついついサラミのようなチューブに包まれた、一本もののレーズンバターとやらを買い込んでしまったものです。

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家に帰って早速、カクテルグラスに見立てた、小振りのガラス製のサラダボウルに氷を入れ、厚切りのレーズンバターを冷やしてパクリ!

美味しいは美味しいものの、さりとてその昔に想像していた、空想の味とは微妙に異なり、食べきれないほど大きな、一本丸ごとレーズンバターを買い込んだことをいささか後悔したものです。

やはり、たとえどんなに同じ味であったとしても、それをいただくに際して、そこがどんな空間であり、どんなに洒落た器によそわれ、誰と何を呑みながらと言う点が、とっても重要であるものだと、改めて今更ながら悟ったものでした。

ところで今でも、スナックやらバーのメニューに、レーズンバターの品書きってぇのがあるものなんでしょうかねぇ?

もう何十年と行ったこともありませんから、もうとんと分かりませんねぇ。


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「昭和Nostalgia」(410)

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まだぼくが大人の仲間入りをして間もない頃。羽振りの良い先輩に連れられ、ちょいと敷居の高い鮨屋のカウンターへ。すると拭き清められた檜の一枚板のカウンターに、やはり檜の下駄と、ガリと紫、そして晒し木綿のおしぼり?が!

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しかしおしぼりにしちゃあちょいと小さすぎるし、これじゃあ顔も拭けないしなぁなんて思っていると、先輩が注文したヒラメの握りが先輩とぼくの各々の下駄の上に1貫。

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さて、どうしたものやらと思っていると、先輩がヒラメの握りを指先で掴み、ネタを下にシャリを上に向け、ネタの端っこにちょいと紫を付け一口でパクリ!そしてちょっと小振りなおしぼりのような「指拭き晒」で、指先を小粋に拭われるではありませんか!

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「そういう仕来りか!」と得心し、先輩の作法を真似、そんなこと遠の昔から知ってましたと言わんばかりに振舞ったことがあったものです。

子供の頃、稀に両親に連れて行ってもらった鮨屋は、町場の大衆的な鮨屋であり、カウンターではなくテーブル席で、寿司桶に入った握りずしを箸でいただくばかりでしたから、こんなシチュエーションにはただただビックリだったものです。

そう言えば最近では、クルクル回る鮨屋なんぞはもうとんと回るのを忘れ、タブレットで注文するのが当たり前の世になってしまった感があります。

まぁもっとも、そんな高級店に通えるような身分じゃありませんから、それも致し方ありませんがねぇ。

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でも、檜の一枚板のカウンターのつけ台や、下駄、そして指拭き晒など、和の食文化を通して生まれた鮨文化と共に生まれた粋な文句が、一つまた一つと消え入る気がして、それはそれで寂しい気がいたします。

でもそんな粋な言葉が交わせるような高級鮨店にゃあ、それこそおいそれとは立ち寄れませんけどねぇ。


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「昭和Nostalgia」(409)

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わが家にこんな、開かずの「からくり寄木細工」があります。

確か33年ほど前、小田原の寄木職人さんから取り寄せた、四寸10回ものの「からくり寄木細工」だったように記憶しております。

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ちょうどNew Zealandの飛べない鳥、カカポのプロジェクトの真っ最中に、Department of Conservationのカカポ保護に携わる友人たちに、手土産として持って行ったことがありました。

1993年オカダミノル撮影の雌のKakapo「HOKI」

その時は、寄木細工に添えられていた、開け方の説明書を英訳し、その場で開け方を解説し、大切な宝物を仕舞っておくようにアドバイスしたものです。

そしてぼくも帰国後、自分用に取り寄せてあった寄木細工を開け、何か大切なものを仕舞い込んだような気がするのです。

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はてさて、30数年前に宝物として仕舞い込んだモノとは?

ずっと気になってはいたものの、何度かの引っ越しの途中で、開け方の指南書がどこへやら・・・。

ついに開かずのからくり箱と成り果ててしまっていた次第です。

とは言え、からくり箱を目にする度に、一体全体何を宝物として隠したのやらと、そりゃあもう気になって気になって!

ネットで調べてみると、よく似たからくり箱の開け方が解説されているじゃありませんか!

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果たしてぼくのからくり箱と、ネットの解説によるからくり箱が、まったく同じ仕掛けなのかは分かりませんが、それらを参考に、近い内にTV番組の「開かずの金庫&蔵を開けまくり」を気取って、開かずのからくり箱に挑戦してみるつもりです!

大変なお宝が登場したら、そりゃあもう・・・!

でも、もしそうだったら、やっぱり内緒にしとかなきゃあ!


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「昭和Nostalgia」(408)

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これを一目見て、「変なキーボードだなぁ」なぁ~んて思われた方は、まずもって昭和生まれの方じゃあないでしょうねぇ。

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先の大阪万博が開催された、昭和45(1970)年に発売された、泣く子も黙る「名糖アルファベットチョコレート」ですねぇ。

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発売は、ぼくが中学1年になった年でしたから、よくお母ちゃんに「英単語の勉強するから!」とかなんとか、もっともらしいご託を並べ、徳用袋入りのモノを買ってもらったものでした。

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ところが、1つの袋の中にA~Zまでが全部入っているとは限らず、もう一袋、もう一袋と買わないと、なかなか目指す単語を完成できなかった記憶があります。

皆様もアルファベットチョコを並べて、ご自身の名前とか揃えちゃったりしませんでしたか?

今なお販売され続けている、当時としても画期的な商品だったんでしょうねぇ。

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おませな中坊の中にゃあ、バレンタインデーに女子から、アルファベットチョコで綴った「LOVE」の文字を、自慢げに見せびらかす輩もおりましたっけ?


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「昭和Nostalgia」(407)

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こんな瓶入りのヨーグルトに、子供の頃は憧れたものでした。

だってわが家では、瓶入り牛乳を牛乳屋さんに毎朝配達してもらってはいたものの、瓶入りヨーグルトまでは取ってもらえなかったものです。

でもわが家の裏にあった小学校の同級生の家が、雪印牛乳の配達をやっていたこともあり、夏休みに同級生と一緒にオジサンの配達の手伝いをさせていただいたことがありました。

もちろん小学生ですから、アルバイト代はいただけません。

その代わり、配達が済むと、残った牛乳やヨーグルトが食べ飲み放題!

ぼくはコーヒー牛乳とフルーツ牛乳を飲み、憧れの瓶入りヨーグルトを2~3種類味あわせていただいたものでした。

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あの甘酸っぱいプリンのような独特な味わいが忘れられず、それからは一文菓子屋で瓶入りヨーグルトとは似て非なる、駄菓子のヨーグルを買い求めたものです。

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とは言えあのヨーグルも、それはそれで子ども心をくすぐる銘品であったに違いありません!


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