
「心には扉がある」と、感じられたことはありませんか?
誰もが自分にとって都合の良い事には、ドアスコープから相手を覗き見ることも無いまま、心の扉を全面的に開け放ち、両手を大きく開いて向かい入れてしまうものです。
ところが逆に、とても受け入れ難い事実に対しては、心の扉にも二重ロックを施し、事の過ぎ去るまで固唾を飲んで息を潜めてしまうものです。
しかしそうした受け入れ難い事実と言うものは、好むと好まざるとに関わらず、些細な隙間から心の中へと忍び込み、今世界を震撼させている新型コロナウイルスではありませんが、心に食い込みやがて蝕んでしまうものではないでしょうか?
そうした受け入れ難い事実と言うウイルスに蝕まれると、しばらくは誰もが心の扉を締め切り、塞ぎ込んでしまったりしてしまうものです。この世の誰も信じられないような孤独感に苛まれながら。
人の心は、たった誰かの何気ない一言や、何気ない素振りの一つでも、傷付いてしまうものです。自分では故意に、人を傷付けたりしたつもりが無かったとしても、相手からすれば心を抉(えぐ)られた様に感じられてしまう事だってあるでしょう。
今日お聴きいただく「心の扉」は、確か23歳頃の作品だったように記憶しています。
「恋」と「愛」の区別も碌に付かない若い頃は、ともすると自分の気持ちばかりを、相手の気持ちが追い付いていない事にも気付かず、ついつい押し付けてしまい、悪気が無くても相手を傷つけてしまうこともあります。
そんな些細な心のすれ違いが、やがて取り返しの付かない、大きな溝となってしまう事だってしばしば。
今日の「心の扉」は、些細な心のすれ違いを許せなかった無器用な男が、別れてから初めて相手の女性の真の大切さに気付き、塞ぎ込んでしまった彼女の心の扉を抉じ開け、もう一度やり直したい・・・そんな想いで彼女の部屋の灯りを眺めている・・・。「恋に恋した」男の未練を描いた曲です。
この「心の扉」は、CD化されてはおりませんが、若い頃のデモ・レコーディング版がいつくかあります。一つは、センチメンタル・シティー・ロマンス版。もう一つは、ヤマハ・スタジオ・ミュージシャン版です。
まずは、ぼくの拙い弾き語りからお聴きいただきましょう。「心の扉」です。
『心の扉』
詩・曲・歌/オカダ ミノル
街角で見かけたあなたの横顔 揺らぐ街の灯に翳りを浮かべてた
細い肩丸めてうつむくその癖 今もまだ一人でいるのかい
愛していたと言えるはずも無い 身勝手な別れをきっと恨んだことだろう
このカフェテラス角曲がれば あの頃に出逢える気がする
点された灯りに揺れるシルエット あなたを最後に送ったあの夜も
この場所でこうして影だけ見詰めて くり返し心で侘びていたよ
悪いのは俺愛し合う事を 急ぎ過ぎたばかり別れの足音さえも
聞こえなくて想えばあなただけ 知らぬ間に傷付けていたね
この階段を一息に上り 塞ぎ込んだままのあなたの心の扉(ドア)を
押し開けたいもう一度だけ 愛したい心のままに
心の扉開け放す鍵を あの頃と言う戻れない時間の彼方へ
投げ込んだのは捨て去ったのは この馬鹿な俺の癖に
続いては、センチメンタル・シティー・ロマンス版の「心の扉」をお聴き比べいただきましょう。
そして次は、ヤマハのスタジオ・ミュージシャン版「心の扉」です。
続いては、約40年ほど前の一宮勤労会館での、センチの皆さんにバックを務めていただいた時の、Live音源がカセットテープから出てきましたので、本邦初公開でLive版「心の扉」お聴きください。
そしてもう一曲。これもヤマハのスタジオミュージシャンとのレコーディングの前のさらにデモ・レコーディングされた別アレンジの「心の扉」です。正直ぼくも昔のカセットテープをデジタルに変換して、ああ、こんなアレンジのものもあったなぁと、思い出したほどです。これまた本邦初公開の「心の扉」、お付き合いください。
★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)
今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「詰襟学生服の第二釦!」。正直ぼくは、詰襟学生服の第二釦を、意中の女学生に手渡したことは、残念ながらありませんでした。チクショ~ッ!皆様はいかがでしたか?意中の女学生に渡されましたか?或いは、憧れの男子学生から、手渡されたことがありましたか?何だかとってもロマンチックな光景ですよねぇ。この「詰襟学生服の第二釦」を、なぜ卒業式の後で大切な人に贈るのか?どうやらこれにも諸説あるようです。一つ目の説は.「一番大切な人になりたい」。 この説によると、5つある学生服の釦には、上から順に一つ一つ意味がつけられているとか。まず一番上は自分用。二番目が1番大切な人へ。三番目は友人に。そして四番目は家族で、五番目は・・・謎だとか。釦を贈る女学生にとって、自分が貴女の「一番大切な人になりたい」と、そんな気持ちから第二釦を贈るのだとする説。また二つ目の説では、 第二釦が一番心臓に近いところにあるため、「貴女のハートを掴む」という意味で、意中の人に第二釦を贈るとする説。 三つ目の説。元々詰襟学生服は、軍服の応用だったとも言われるそうです。戦時中は若者達が、学徒出陣等、半ば強制的に戦地へと送られました。もしも戦地に散り、意中の人に二度と逢えぬかも知れぬと、出征の際一番大切な人に想いを伝え、自分の形見として軍服の第二釦を手渡したと伝えられています。それと一番上のボタンが取れていると、だらしないと上官に叱責されるが、第二釦ならまだ分かりにくいと言う事で、第二釦が選ばれたのだとか。ぼくらはそんな切なすぎる時代の上に築かれた、曲がりなりにも平和な世でしたので、学徒出陣で形見代わりに第二釦を贈った先達に比べると、それほど思い詰めるでもなく、卒業の通過儀礼の一つのような感覚で、意中の人に釦を贈ったり貰ったりしていたのかも知れませんね。さて、あなたはいかがでしたでしょうか?
今回はそんな、『詰襟学生服の第二釦!』。皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。
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