「昭和Nostalgia」(296)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

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昭和半ばの頃は、こんなアドバルーンが大空高くで、風にゆったりと揺れていたものでした。

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もう今となっては、高層ビルやマンションが立ち並び、たとえアドバルーンが揚がっていたとしても、容易に見つける事すら叶わないんでしょうねぇ。

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ましてや、アドバルーンを揚げるには、四方何百メートルとかの空き地が無ければならないような、そんな事が法で決められているようですから、なかなか都心部では揚げられなくなっちゃってるんでしょうねぇ。

「大売り出し」とか「新装オープン」とかって、アドバルーンの下に宣伝広告が描かれていたものです。

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そう言えば、小型飛行機が低空飛行し、拡声器で宣伝文句を録音したテープが流されてもいたものです。

ところが小型飛行機のエンジン音に遮られ、聞こえにくいったらありゃしませんでしたねぇ。

資料

それと微かな記憶を手繰り寄せると、小型飛行機からビラが撒かれ、友とそれを手に入れようと必死に追い駆けたこともあったような???

日に日に昭和の記憶は、薄れゆくばかりです。


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「昭和Nostalgia」(295)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

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この黄色い旗を持っている、緑色の制服を着たおばちゃまを見て、「あっ、緑のおばさんだぁ!」と思わず口にされた方も、これまた立派な昭和人に違いありません。

なんせぼくが育った昭和半ばの裏通りなんて、子どもたちの格好の遊び場だったものです。

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ところが年々車が増え始め、ぼくらが遊びとして我が物顔に振舞っていた裏通りにも、トラックや自家用車が侵入してくるようになったものです。

そうなると交通事故が頻発するようになり、第一次交通戦争なんぞと呼ばれたものでした。

参考

そんなことから、小学校でも婦警さんがやって来て、交通安全教室なるものが開催されたものです。

写真は参考

横断歩道の渡り方なんかをご指導いただいたとは思いますが、ぼくなんぞはついつい若い婦警さんに見惚れてしまっていた気がします。

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それに伴い登下校の通学路においても、交通量の多い横断歩道には、「緑のおばさん」が黄色い旗を掲げ、ぼくたちを見守ってくれていたものでした。

ちなみに11月19日は、「緑のおばさんの日」なんだとか。

学童擁護員の皆々様、ご苦労様でございます。


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「昭和Nostalgia」(294)

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この写真をご覧になって、何をしているかお分かりになった方は、やっぱり小学生の頃、教室で嗜まれたことのある、これまた立派な昭和人に違いないでしょう!

この写真は、大正時代か昭和初期かも知れません。

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そうです!

あの何だか霊的な感じがして、ぼくはちょっと苦手だった「こっくりさん」です。

4人で人差し指を重ねて、その指が指し示す文字を繋いで、霊的なお告げとしたような?

ぼくは何だかとっても不思議で、そしてちょっと怖かったものです。

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海外でも似たような「スピリッツ・トーク」とかって呼ばれる、「こっくりさん」に似通った占いもあるようですねぇ。

それとこんなのもありましたねぇ。

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ご記憶にありませんか?

そうです「不幸の手紙」とかってぇヤツです!

ぼくの家にも届いたことがあり、同じクラスでそれほど中の良くない人に送っちゃったような?

とっても不安な気持ちを駆り立てられ、嫌な思いがしたものでした。

まぁ、「闇バイト募集」のメールが届くよりは、まだましだったかも知れませんが!


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「昭和Nostalgia」(293)

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この絵を見て、「懐かしいなぁ!やったやった」と思わず唸った方は、これまた立派な昭和人に間違いありません。

ぼくも小学校の友達と、放課の時間にノートを広げて遊んだものです。

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女子もやっていたんでしょうかねぇ?

ぼくは記憶に残っていないような?

それとこの遊びは、何と言う名の遊びだったんでしょうねぇ?

これまたもう思い出せそうにありません。

まさか「鉛筆陣地取り」なんかじゃなかったでしょうし・・・。

参考

いやはや、悶々としてしまいます!

どなたかご存知の方がいたら、教えていただきたいものです。


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「昭和Nostalgia」(292)

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昨日の図書室の続きのようではありますが、子どもの頃ぼくの家の側にも、こんな移動図書館が定期的にやって来ていたものです。

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何を借りて読んだのかまではさっぱり思い出せませんが、珍しさもあり友と共に通ったものでした。

今でもたまに、移動図書館の車を目にしますから、定期的にどこかで開設されているんでしょうねぇ。

とは言え、移動図書館が店開きしていて、子どもらが取り巻いている姿は、とんと見かけません。

まぁ、現在の移動図書館が巡回して、開設されるような場所に、ぼくが立ち寄る事もないからなんでしょうねぇ。

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そう言えばわが家にも、お母ちゃんがそれこそ月賦で買ってくれたような、百科事典が本棚にデーンと並んでいたものです。

買ってもらったばかりの頃は、珍しさも手伝いパラパラとページを捲りはしたものの、直ぐに飽きちゃって!

百科事典を広げるなんて、それこそ夏休みの自由研究の時とかくらいなものとなり果て、すっかり箪笥ならぬ本棚の肥やしと化していたものです。

お母ちゃん、ゴメンナサイ!


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「昭和Nostalgia」(291)

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小学校の図書室には、よく通ったものでした。

図書室は教室とは異なる別物の空気が漂い、静謐としていたものです。

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一人っ子の一人遊びが日常だったぼくは、クラスの友達と連れ立って遊んでいても、長時間賑やかな場所にいると精神的に疲れを感じてしまい、図書室に逃げ込んでは本を読むふりをして、一人きりになろうとしていたのかも知れません。

図書室の本棚に居並ぶ背表紙を眺め、次はどの本を借りようかと物色する時間もかけがえのないひと時でした。

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一人一回何冊まで借りられるとか、決まっていた気がしますが、その制限一杯の本を選び出し、図書カードに貸出日や返却日を記入してもらったものでした。

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そうやって欲張って本を借り受けたにもかかわらず、返却日までに全て読み尽くせず、図書室に一旦お返しして、また同じ本を何度となくお借りして読み終えたなぁ~んて、そんなずぼらな記憶もございます。

小学生の頃は、伝記物が好きだったようです。

ところで最近は、とんと図書館に行ったことがありませんが、今でも本の表3(裏表紙の内側)に、図書カード入れの茶封筒とかって付いてるんでしょうかねぇ?

それと図書カード自体も、現役なんでしょうかねぇ?

何だか図書カードの温もりが懐かしい気がします。

図書カードに記された、その本を借り受けて読んだ人たちの氏名を見て、その欄に憧れの人の名があったりしたら、ちょっとだけ同じ時を共有したようで、すっかり有頂天になったものでした。


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ぼくはなぁ~んちゃって料理をするのが、結構好きです!

その素地は、カブスカウトやボーイスカウトのキャンプでの自炊が、影響しているのかも知れません。

だから、小学校の5年の時だったか、家庭科の料理実習の時間が楽しみで仕方なかったものです。

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周りの男坊主共には、「おとこ女みたいだ(今の時代ならば、差別用語だと叱られそうですが)」なんて、からかわれたものですが、ぼくはぜ~んぜんへっちゃら!

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それくらい家庭科の時間を心待ちにしたものでした。

先生に教えてもらったのは、ほうれん草のソテーと、あとは何だったかもう思い出せません。

ほうれん草を奇麗に洗って、均等の長さに切り分けて!

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カブスカウトやボーイスカウトの頃の、男っぽい乱暴な調理法とは異なり、なんだかとってもお洒落な料理と取り組んでいるような気になったものでした。

でも中学に上がると、家庭科の料理実習なんてなく、ぼく的にはとてもつまらない思いがしたものでした。

それにしても皆で作ったほうれん草ソテーは、美味しかったものです!


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「昭和Nostalgia」(289)

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こんな経木に包まれたお握りやおはぎなんて、もうどこのお店でも見かけられなくなっちゃいました。

子供の頃は、こんな経木に包まれたお握りとか、仄かに木の香りがしてぼくは好きでした。

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確か、お肉屋さんとかでは、こんな経木にお肉を持って、秤の上で目方を量り、左右の経木を被せ緑色の薄い包装紙で包み、輪ゴムで止めてくれたものでした。

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売り場の片隅には、こんな風に経木が堆く積み上げられていたものでした。

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それと忘れちゃならないのが、経木の舟。

これはもっぱら、ちょっと上等なたこ焼き屋さんで見かけましたねぇ。

ぼくが小学校の低学年の頃、書道塾の帰りにいつも立ち寄った、バス停横の屋台のたこ焼き屋さんのオッチャンは、3個10円のたこ焼きを、白い極薄の紙で作られた小袋に入れてくれたものです。

一口齧りつくと、たこ焼きの中からジュワッと、温かなトロっとしたお醤油が染み出し、それはそれは極上の味だったものです。

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もう一度あのオッチヤンが焼く、お醤油味のたこ焼きを頬張り、キリンの晴れ風をグビグビ煽って見たいものです。


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「昭和Nostalgia」(288)

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子供の頃は、随分とこの「のりたま」のお世話になったものでした。

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炊き立てのご飯に振り掛ければ、たちまち食欲が無い時でも、ご馳走となったものです。

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そう言えば、わが家の卓袱台の上にも、こんな容器にのりたまが入っていたような?

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子どもたちに大人気だったのりたまは、ご覧の白木みのるさんがCM出演され、エイトマンの番組協賛もしていたんでしょうかねぇ?

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ぼくらはどちらかと言うと、白木みのるさんと言うよりも、てなもんや三度笠の珍念の役名の方がしっくりして、みんなして「珍念ののりたま」と呼んでいたような?

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のりたまのパッケージの応募券を切り取って何枚か集めて送ると、こんなオリジナルキャラのふりかけ入れももらえたような?

とは言え、わが家は当たった試しがありませんでしたけどねぇ!

しかしもう何十年とのりたまを食べてませんねぇ。

まぁ、酒の味を覚えてからと言うもの、例え目の前にのりたまがあったにせよ、手を出そうとはしないでしょうねぇ。


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「昭和Nostalgia」(287)

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昨日の「マル專手形」の続きのようですが、昭和半ばの時代には、高額品の「月賦販売」なるものがございました。

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何でも即現金でお支払いになれる裕福な家庭に育ったわけじゃありませんでしたから、子供の頃から「月賦」と言う言葉には慣れ親しんだものでした。

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小学校の低学年の頃、玄関先でお母ちゃんとお向かいのサッチャンのおばちゃんが、井戸端会議の様に世間話をしている声を、何とはなしに聞いていた時でした。

「カラーテレビ買ったんだって?今度見せて貰いに行くわ」とお母ちゃん。

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「そうなんだわ!新し物の好きな旦那が、とうとう月賦で買っちゃってねぇ。これから毎月『月賦』を返してかないかんで、どうやって遣り繰りしようかって、もう頭が痛いわ!」と、サッチャンのおばちゃん。

「?????」

ぼくは不思議でなりませんでした。

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「ええっ、ゲップすればカラーテレビが買えちゃうの?だったらぼく、毎月一度じゃなくたって、毎日でもへっちゃらでゲップしてあげられるのに?」

ぼくは自慢じゃありませんが、子どもの頃ひょんなことから、連続してゲップをする技(何の役にも立ちませんでしたけど)を会得していたのです。

その奥義とは、空気を口の中一杯に吸い込み、それをゴクッと何度も何度も丸呑みすると、たちまち連続してゲップが現れい出ると言うもの。

まぁ今じゃあ、そんなことしなくたって、大好きなキリン一番搾りや晴風、それに毎晩お世話になっているキリン淡麗グリーンをゴクゴク飲むだけで、次から次へとゲップが湧きだしますけどねぇ。

そんなことはともかく、井戸端会議が終わってお母ちゃんが玄関を開けた途端!

「お母ちゃん、家もカラーテレビ買ってよ!ぼくが毎日毎日ゲップするから!」とぼく。

するとお母ちゃんはしばらく「?????」。

そして次の瞬間「たぁーけーっ!月賦は月賦でも、そのゲップとはちゃうわぁ!」と、一括された切ない記憶があります。

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かく言うわが家も、随分月賦販売にはお世話になったものでした。

それこそ今の人に「月賦」と言うと、やっぱりぼくのように「ゲップ」と勘違いする方も多いかも知れませんねぇ。


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