「昭和Nostalgia」(485)

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これは三重県の伊勢志摩地方の海女さんに愛用された、その名も「海女眼鏡」です。

そんじょそこらの子ども用の水中メガネとは異なり、海中のお宝を目掛けて素潜りする、海女さん達に指示された手作りの眼鏡です。

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海女さん達は、魔除け用の白い手拭いを頭に巻き、この海女眼鏡を付けて、颯爽と海底へと潜ったそうです。

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魔除けの白い手拭いには、急急如律令の文字と、五芒星、それに横に五線、縦に四線のドーマンセーマンが描かれており、海底深く潜る海女たちの厄除けであったとか。

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ぼくが子どもの頃に買ってもらった水中メガネは、とてもお洒落とは言えぬ武骨な感じのもので、眼鏡自体が大きくって、小さな子供の顔にフイットせず、水の中に潜るとすぐに水が入り込んでしまい、眼鏡を外しては水を掻き出さねばならない、何とも面倒なものでした。

それでも水中メガネを買ってもらった夏休みは、従兄妹のいる三重の田舎の川や、海水浴に連れて行ってもらった海で、大いに大活躍してくれたものでした。

まぁ、その年一番、水中メガネが活躍したのは、わが家の水風呂。

お風呂に水を張り、沸かす前の水風呂の中に水中メガネを付け、飽きもせず何度も何度も素潜りを愉しんだものでした。

今思うとそれのどこが愉しかったのやら、もうさっぱり思い当たりません。


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「昭和Nostalgia」(484)

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貴方の地域では、「ふんじょけ」、それとも「えんがちょ」のどちらで、犬のウンチを踏んずけた者を、子ども同士囃し立てたものでしたか?

ぼくらの地域では、「ふんじょけ」でした。

もしこれをご覧の方が、お食事中やお茶の時間をお愉しみ中でありましたら、どうかどうかご容赦願います。

ぼくが小学生の頃の通学路は、田んぼ道でした。

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まだまだ何事にも緩かった時代、野良犬がそこら中を徘徊していたりしたものです。

ですから当然、田んぼ道のあちらこちらには、野良犬のウンチがボトンボトン。

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友と昨日の夜のTV番組の話しに夢中になって、田んぼ道の足元を気にしていなかったりすると、たちまち野良犬が放り落としたウンチをズックで踏みつけ、それをあざとくも目撃された仲間から、「〇〇君、ふんじょけだぁ~っ!」と言って、人差し指と中指を絡め、「ふんじょけ錠か~った!」と宣言し、人差し指と中指を絡めた手を天に向けて放ち、人差し指と中指を放して「天の神様に預~けた!」と、呪文を唱えたものでした。

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そうすれば、ウンチを踏んだ「ふんじょけ」の輩に、たとえ触られても、もうぼくには「ふんじょけ」がうつったりしないという、有難い厄除け祈願でもあったものです。

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とは言え、かくいうぼくも、ついうっかりしていて、「ふんじょけ」呼ばわりされたことも多々あったものです。

さすがにその日一日は、気分もサゲサゲだったものです。


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「昭和Nostalgia」(483)

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これをご覧になって、直ぐになんのスコアーかお分かりになったら、これまた立派な昭和人に違いありません。

ぼくが中学2~3年の頃、ボーリングが大ブームで、どこのボーリング場も超満員!

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3時間待ちなんてざらだったものです。

それでも平気で待てるほど、ボーリングをやりたくってやりたくって、誰も彼もが同じ思いであった事でしょう。

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やっとのことでレーンを割り当てられると、真っ先に貸しボールを選び、スコアーに自分の名前を手書きしましたねぇ。

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誰もが中山律子さんに憧れたものでしたですよねぇ!

もう何十年とボーリングをしたことがありませんが、今やスコアーも自動で記録され、TVモニターに表示されちゃうんでしょうねぇ。

昭和のあの頃は、ゲームの点数を計算し、スコアーに手書きしたものでした。

それなりに手書きのスコアーも、味わい深いものでしたけどねぇ。

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何とも驚きですが、ぼくらのボーリングブーム時代のもっと前は、ピンのセットも自動じゃなく、裏方ではこんな風に手作業でピンやボールを扱っていたようです!


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「昭和Nostalgia」(482)

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昭和の昔、こんなエロ本の自販機なんてぇのがありましたよねぇ。

ぼくははてさて、お世話になった事やら、無かったやら?

なんせ中学生になると途端に思春期を迎え、ついつい異性を意識するようになり、果ては密かな神秘の女体に興味津々となったものです。

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書店の一角には、とても学生服のまま立っていられないような、ビニール本コーナーなんてぇのもあったものでした。

悪友と連れ立って、私服で変装し、書籍代を割り勘し、ドキドキものでビニール本を買ったりしたこともありました。

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しかし本を開くと、肝心要の場所が黒く塗りつぶされ、真っ黒ケッケ!

すると別の悪友が、「そんなもん、バター塗って指で擦りゃあ、塗りつぶしなんて消えちまうわぁ」とかって。

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実際に試してみたって、黒い塗りつぶしなんて消えたためしも無かったものです。

まぁ、今のような、何もかもスッポンポンのアダルトサイトなんてぇ代物も無かった時代でしたからねぇ。

若者たちは悶々としながら、そんな切ない青春期を過ごしたものでした。

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見えそで見えない方が、スッポンポンで丸見えよりも、もっともっと悶々としたのかも知れませんねぇ。


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「昭和Nostalgia」(481)

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こんな大人のアミューズメント・パークがあった事、覚えておいでですかぁ?

また、実際に入館された方もおいででしょうか?

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ぼくは18歳の夏休みだったかに、ちょうどこの駐車場まで行ったことがありましたが、残念なことに中まで入る事が出来ませんでした。

まぁ、未成年であった事もあったかも知れませんが、土砂降りの雨の中、尾鷲までまだ向かわなければならない、その途中にトイレ休憩とかで立ち寄ったに過ぎないからでした。

ぼくより2~3歳年上の先輩、尾鷲出身のMさんと、1歳年上の先輩O君と、M先輩のスズキジムニーのピックアップ型とでも言いましょうか、運転席と助手席にだけ屋根があり、後部の荷台に屋根のない補助席が剥き出しになった車に乗って、M先輩の実家のある尾鷲へと向かう事になったのです。

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もちろん一番年下のぼくが、後部荷台の屋根のない補助席に決まっています。

折しも、ちょうどこんなお盆前の夏真っ盛り!

名四国道を走り出して四日市を過ぎた頃だったかに、急に雲行きが悪くなり、やがて土砂降りに!

隣の追い越し車線を、大型トラックがぼくらを追い越す度、路面の轍に溜まった雨水がバッシャーっと、まるでバケツを引っ繰り返したかのように、屋根のない後部座席に座るぼく目掛け襲い掛かって来るじゃないですか!

もうそんな事の繰り返しで、ぼくはずぶ濡れ!

ようやく伊勢の国際秘宝館の駐車場までたどりついて、やっとのこと雨宿り!

って言ったって、もう既にぼくはずぶ濡れでしたから、ドライブインにも土産物屋さんにも立ち入れたもんじゃありません。

それ以上に、思春期のぼくには気になって気になって仕方のない、この国際秘宝館とやら。

しかしそんなずぶ濡れのままじゃあ、例え成人していたとしても、おいそれと入場なんてさせてもらえなかったことでしょう。

その日はそのまま、再び雨に打たれながら、Mさんの尾鷲の実家へと向かったものでした。

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それからも伊勢の国際秘宝館にいつか行ってみようと思ってはいたものの、ついぞその機会に恵まれず、秘宝の数々をこの目で見ることも叶わぬまま、いつしか閉館になっていました。

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ネットの写真で見ると、なんともエログロな世界が広がっていたようで、ぼくも一度は怖いもの見たさで、この目で確かめたかったものです。

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子どもの頃から、縁日の夜店なんぞで、こんな射的を見かけると、ついつい立ち止まってしまい、後ろ髪を引かれてならなかったような気がします。

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もしかすると前世の記憶の欠片によるものなのか、一応男の端くれではあり、この体の中を流れる血の中に、男本来のDNAを引きずっているからなのか、或いはTVの戦闘ドラマによる影響のせいか、それとも一獲千金のオモチャを打ち落とそうとする、俗なギャンブラー魂だけだったのか、ついつい足を止めてしまったものです。

とは言え、毎回毎回おいそれとは、射的をやらせてはもらえませんでしたが・・・。

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お母ちゃんの機嫌がすこぶる良い時にやらせてもらえたにせよ、せいぜい運よく的をコルク玉が打ち落としたとしても、ビスコかグリコのキャラメルくらいの物だった気がします。

そう言えば、最後に射的で遊んだのは、今から7~8年前、TVのロケで伊勢のおかげ横丁へ行った際、人生恐らく最後となる射的をやらせてもらった気がします。

意気込んで的を狙うものの、相変わらず打ち落とせたモノは、子どもの頃と相変わらずなんともおそまつでチープな駄菓子でしたぁ!

とすれば!

ぼくの前世もこんなへなちょこだったと言うのか!


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「昭和Nostalgia」(479)

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子どもの頃の事。

みよし市に住んでいた従兄妹が、夏休みを利用して、泊まり込みでわが家にやって来ると、必ずと言っていいほど、こんな藤田屋の大あんまきを、手土産に携えて来たものです。

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甘いモノが何よりのご馳走だった子ども時代に、長さ15cmほどもあろうかと言う大あんまきは、とにかく迫力もありお腹も一杯になる逸品だったものです。

知立名物の大あんまきは、当時あちらこちらでは売られておらず、年に一度夏休みに従兄妹が持ってきてくれなきゃ、そうそうお目に掛れるモノでも無かったように記憶しています。

ですから従兄妹との年に一度の再会よりも、大あんまきとの再会の方を、罰当たりにも愉しみにしていたものです。

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今じゃあてんぷら大あんまきなんてぇのもあるようですが、さすがに揚げ物好きのぼくでも、天ぷら大あんまき一個なんてとても胸焼けがしそうで、二の足を踏んでしまいます。

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しかし飛騨市古川町や神岡町の名物、「天ぷらまんじゅう」くらいのお手頃サイズなら、胸焼けもせず美味しくいただけるに違いありません!

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次回の飛騨市の取材時にでも、一つ買い込んでみるかぁ!


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これまた縁日の夜店にゃ欠かせない、ヨーヨー風船釣り!

ところがこれが簡単そうに見えながら、その実なかなか難しいものでした。

何と言っても紙縒りの先に取り付けられた、『W』のような針金の針が曲者!

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『W』のように、山と谷が深く曲げられていて、ヨーヨー風船の小さな輪ゴムに針先を通そうとすると、どうしても『W』を横に寝かせるようにせねばならず、ついつい紙縒りが水に濡れてしまい、やっと針先に輪ゴムをひっかけれた~って思い、意気揚々とヨーヨー風船を吊り上げると『ボット~ン』と、紙縒りが千切れて『W』の針とヨーヨー風船が水槽に落っこち、ハイッそれま~でよ!

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何度悔しい思いをしたことやら!

そうして苦労の末手にしたヨーヨー風船のゴムの輪っかに指を通し、その名の通りヨーヨーのように掌で弾いては風船を放し、ゴムの反発でまた掌の中に戻るといった、そんな単純な遊びではありましたが、キャッキャキャッキャと愉しんだ幼き日。

でも翌日になるとヨーヨー風船は、昨夜よりも一回りも小さくなり、その翌日にはまた一段と小さくなって、3日もするとすっかり窄んでしまったものでした。

ヨーヨー風船は、その儚い命を、まるで全うしたかのように!


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これこれ!

これをご存知の方は、これまた押しも押されもせぬ、昭和半ば生まれに違いないでしょう!

ぼくが初めてこのスーパーボールとやらと出逢ったのは、小学2~3年の頃の事だったように記憶しています。

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恐らくご近所の中学生のお兄さんたちが、スーパーボールをアスファルトの地面に叩きつけると、とんでもなく高くまでボールが跳ね返る姿に、ただただ度肝を抜かれるほど驚いたものです。

でも中学生のお兄さんたちから、まずもってそのスーパーボールを貸してもらえるはずもなく、ぼくらは遠巻きにその不思議な威力を発揮するボールの行方を目で追ってばかりだったように記憶しています。

どこへ行けば売っているのやら、いったいいくらするやら?

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しかしそれから半年くらい経つと、いつもの一文菓子屋の店先にも、スーパーボールが並べられておりました。

果たしてそれがいくらだったのやら?

一日10円の小遣いだったぼくには、とても買えなかったわけですから、そんなにお安くは無かったってぇ気がします。

しかし、腕白小僧の友の中には、羽振りの良い奴もおりまして、さっそくスーパーボールを手に入れ、自慢げにコンクリートブロックの塀を相手に、とんでもない威力を発揮して跳ね返って来るスーパーボールで、自慢げに遊ぶ輩も登場したものです。

そんな友の周りには、ぼくのようにおいそれと小遣いで買えないものが集まり、スーパーボールを貸してもらえるのをひたすら待ち続けたものでした。

まぁ、今にして思うと、とんでもない威力を発揮して跳ね返ってくる以外、さりとてこれと言った他に芸のあるものでもなかったのに、ただただその反発力が驚くほどだったために、喉から手が出るほどに、スーパーボールに憧れたのかも知れません。

まだまだ、お祭りの夜店でスーパーボールすくいなるものが、登場する前の話しであった気がします。

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大人になってから夜店の出し物で、スーパーボールすくいを見かけた頃は、もうすっかりスーパーボールの魅力も消え失せちゃってましたですねぇ。

そんな腕白坊主共の目を虜にしたスーパーボールは、昭和39(1964)年の東京五輪の年に、アメリカの化学者ノーマン・スティンレー (Norman Stingley) の手により開発されたものだったようです。

「Super Ball」は爆発的にヒットを記録し、最盛期には日に17万個が生産されたとか。

その後しばらくして、日本にも上陸したんでしょうねぇ。


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「昭和Nostalgia」(476)

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夏祭りや花火大会が各地で催され、それはそれはとても賑わっているようですねぇ。

何と言っても、夏祭りの夜店のぼく的な主役は、金魚すくいに射的と決まったものでした。

特に金魚すくいの夜店の周りは、どこもかしこも子ども連れで大賑わい!

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アルマイトの容器を片手に、輪っかになった針金に薄い和紙が貼られた「ポイ」と呼ばれるもので、お目当ての金魚をすくい上げるという単純な遊びながら、これがなかなか簡単にはいかなくって、いつだって悔しい思いをしたものです。

それでも懲りずに、次の年も飽くなき挑戦を繰り返したものです。

一匹もすくうことが出来ないまま、ポイの和紙が破れてしまうと、夜店のオッチャンが小さなビニール袋に、金魚を2~3匹入れて「残念やったなぁ。これ残念賞や」とかなんとか言って、哀れなぼくを見かねて持たせてくれたものでした。

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って、それはなにもぼくだけじゃなく、一匹もすくえない者たちへの、お約束事のような残念賞でした。

家に帰るとお母ちゃんが、どこぞかで買った駅弁の、釜飯の土器の釜に水を張り、金魚を泳がせたものです。

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ぼくはガラス製の、フリルの金魚鉢で泳がせてやりたかったのに、

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金魚のためにそんなハイカラな金魚鉢など買ってももらえず、近くの小川で取って来た、ホテイアオイを浮かべて釜飯の釜の金魚鉢の中を覗き、それぞれ金魚に命名した名を呼んだものでした。

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って、どの金魚が何という名前だったか、こんがらがってしまってばかりでしたが・・・

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しかしそれも幾日もしない内に、一匹また一匹と死なせることとなってしまい、アイスクリームの棒を墓標に見立て、亡くなった金魚の名を書き、猫の額ほどの花壇に埋葬し手を合わせたものでした。

合掌


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