「昭和Nostalgia」(495)

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昭和も半ばの真っただ中、小学校の3年生になる頃だったか、お父ちゃんが庭に掘っ立て小屋を建て、風呂場を造ってくれました。

それもご近所の、父ちゃんの釣り仲間3人の日曜大工で、何か月かかけて完成したように記憶しています。

その時の風呂桶が、ちょうどこんな感じの木製のもので、箍で締められておりました。

再び酷暑が舞い戻り、あまりの暑さ凌ぎにと、バスタブに水を張って浸かってみたものの、子どもの頃の水風呂となんとなく違っている様で、さして冷たさも感じられませんでした。

そして気付いたのが、FRPのバスタブと、木製の風呂桶の材質の違い!

なぜかしら、木製の風呂桶は水が殊の外冷たく感じられたような気がします。

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それと木製の座椅子に木製の手桶、そして湯上り用の木製簀の子。

ぼくは子どもの頃、簀の子をザラ板と呼んでいたような?

何でも「ザラ板」は愛知の辺りで、三重県の一部では「さな板」と呼ぶそうです。

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あなたは、「簀の子」をなんと呼んでおられましたか?

まぁ、そんなこたぁ、どーだっていいんですが?

いずれにせよ、いい年をからげて、FRPのバスタブで水浴びをして、返す返す木製品のヒンヤリ感や肌触りの良さを痛感した、今年の夏でした。


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「昭和Nostalgia」(494)

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昭和の昔の、会社の机の上に、こんな連絡帳がありましたですねぇ。

何時何分にどこそこ会社の、誰それ様から電話があって、電話を掛け直すようにとか、また電話しますとかって、チェックを入れるノート。

今のオフィスじゃ、もう見かけられないかも知れませんですねぇ。

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それと電話の側には、オフィスにも家庭の電話機の横にも、こんな電話番号帳ってぇのが、吊り下げられていませんでしたか?

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おまけにポケットの中には、こんな携帯用の電話番号帳も忍ばせていたものでした。

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こんな可愛らしいアドレス帳とかも、覚えがある様な?

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オフィスのデスクの上には、こんな電話帳代わりの、回転式の名刺ホルダーも活躍したものでした。

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なんせ今は、スマホの中に電話番号帳やらアドレス帳まで格納されちゃってんですから、上記のグッズは黒電話や公衆電話時代の時代遺産の一つとでも言いましょうか?

でも待てよ!

昭和の昔なら、電話を掛ける頻度の高い相手先の番号なら、記憶力の悪いぼくでさえ、10や20は記憶していたのになぁ!

今じゃあ、何もかもすっかりスマホ頼り。

停電になってバッテリーが落ちちゃったら、もうどこにも連絡できないやぁ!


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「昭和Nostalgia」(493)

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ぼくらが子ども時代を過ごした、昭和の半ばは、何かにつけて大らかで緩~い時代でした。

腕相撲大会やら、水泳大会に花火大会、何かにつけ〇〇大会と名付けられた催しが、地域の子供会やデパートの屋上イベントとかで、賑やかに開催されたものでした。

中でも極めつけは、「クロンボ大会」。

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夏休みの終盤に、腕白坊主やお転婆娘たちが、日焼けの黒さを競い合った大会でした。

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今の時代じゃあ、その催しのタイトルだけでも、各方面からお叱りを頂戴することになるかも知れませんが、そんなことにゃあまったくお構いなしだった昭和の半ばは、優勝賞品目当てで大盛り上がりだったものです。

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当時は、真っ黒に日焼けしているほど、「健康的」と見られたそんな時代でもありました。

全国各地の小学校でも、夏休み明けの9月に入ると、「クロンボ大会」なるものが学校行事として行われていたようです。

ぼくも小学校の低学年の頃、夏休み明けの2学期はじめに、クラスで「クロンボ大会」が開催されたのを覚えています。

もちろんぼくなんて優勝なんて出来ませんでしたが、優勝者にもさすがに学校から優勝賞品は出なかったように記憶しています。

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やっぱり優勝賞品があったのは、近所の商店街での「クロンボ大会」や、子供会の「クロンボ大会」と、相場は決まっていたものでした。


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「昭和Nostalgia」(492)

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お盆真っ盛りのこの時期は、各地でそれぞれに盆踊りが盛んに行われているんでしょうねぇ。

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この地方では、徹夜踊りとして名高い、「郡上踊り」や「白鳥踊り」。

写真は昔の白鳥踊りのもので、切子灯篭の下で、下駄の歯を地面に打ち付け削るように踊るのが特徴で、徹夜明けの朝は、切子灯篭の下が削れた下駄の歯の木屑で真白になったとか。

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ぼくも以前、TVのロケで拝殿踊りに伺った折、「源助さん」を皆さんが輪になって踊りながら、「ア源助さん コラショ」と唱和される合いの手に、心惹かれてしまったことがありました。

こんな盆踊りの時期になると、若き日のお母ちゃんが浴衣姿に着替え、近所の盆踊りで「炭坑節」を踊っていた姿を想い出してしまいます。

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ぼくはもっぱら、お母ちゃんの後ろから、お母ちゃんの踊る姿を真似て、付いて回っていたものです。

とは言え、根っからの踊り音痴ですから・・・そこんところは?

そしてやっぱりこの時期、白鳥踊り「源助さん」の合いの手、「ア源助さん コラショ」と、郡上踊り「春駒」の合いの手、「七両三分の春駒春駒」が、ついつい口に出てしまいます。

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まぁ、ぼかぁ踊れやしませんが!

ぼくは「踊る阿呆」にゃなれませんから、「見る阿呆」で大いに結構、キリン「晴れ風」が片手にありゃあ!


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「昭和Nostalgia」(491)

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お盆の迎え火を焚くにあたり、こんなに上手にキュウリの早馬と、ナスの牛を作れた試しがありません!

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いつも両足が広がってしまったり、前足と後足のバランスが悪かったり、子どもの頃からの不器用さは今も変わらぬものです。

でも今夜、迎え火を焚くにあたり、やっぱり不細工な早馬と牛を作って、両親をお迎えするつもりです。

何でもキュウリの早馬は、ご先祖様に早くお帰りいただけるよう、そんな思いをキュウリの早馬に託し、一方盆明けにお帰り頂く時は、ナスの牛のような歩みでゆっくりのんびりお帰りいただきたいとの思いが詰まっているのだとか。

昔の方は、本当によく考えられたものです。

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わが家にはもう、仏壇も両親の位牌もありませんが、両親の写真の前に、生前両親が好きだった好物でも供え、心の中で両親に話し掛けながら、献杯をしたいと思っています。


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「昭和Nostalgia」(490)

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このお盆休みに、飛騨高山へご旅行の方も多いんでしょうねぇ。

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ぼくは8月25日から27日までの予定で、高山のお隣、飛騨市古川町へと参ります。

帰り道にでも、半弓道場へほろ酔いで立ち寄り、久しぶりに腕試しでもしたいものです。

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半弓道場は、ぼくが愛して止まない国分寺通りの旅館田邊さんの一本北にある、朝日町の呑み屋が軒を連ねる一番街の一角にあります。

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なんと知りませんでしたが、その開業は昭和4(1929)とのこと。

96年も前から、酔客や芸者さんが、高山の夜を愉しまれたんでしょうねぇ。

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ぼくの亡き母が昭和3年の生まれでしたから、今でも存命ならば97歳になっていたんでしょうねぇ。

明日はお盆の迎え火です。

今年もベランダで松明を焚き、キュウリの早馬とナスの牛を作って、両親をささやかに迎えるつもりです。

あっ、お母ちゃんとお父ちゃんの好物を買って来なきゃあ!


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「昭和Nostalgia」(489)

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不思議な事にこのボードゲームの名前「ダイヤモンドゲーム」ってぇのは、記憶の底で眠っており、直ぐに思い出せたものの、そのゲームをどんなルールで遊んでいたのかが、これまたサッパリ記憶から抜け落ちてしまっております。

でも家にこのボードゲームは無かったと思いますが、小学生の頃の友の家で何度か遊んだ覚えがあります。

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がしかし、そのゲーム方法がどーにもこーにも、思い出せないんですから、これも老化現象の一つとして受け止めなきゃいけないんでしょうねぇ。

って言ったって、もしゲーム方法をちゃんと覚えていたって、今さらそれが世のため人のためになるわけじゃなし!

まっいっかぁ!

そう言う皆々様は、いまでもゲーム方法をちゃんと覚えておいでですかぁ?


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「昭和Nostalgia」(488)

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初めてこんな「飛び出す絵本」なるものを見たのは、小学校低学年頃の、近所の友の家だったでしょうか?

なんせ表紙を開いた途端、物語の主人公がビヨヨ~ンと、立体的に飛び出す仕掛けに、圧倒されちゃったものでした。

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実に巧みな仕掛けに驚くばかりで、本の内容なんかよりも、飛び出す仕掛けの方ばかりが気になって気になって!

自分でも真似してやってみようとは試みたものの、なにより絵心の無さが浮き彫りとなり、とんと話にならず、直ぐに挫折し音を上げてしまっておりました。

もしもぼくにも絵心があって、マンガを描けたり出来たら、飛び出す絵本でラヴレターを作って、意中の彼女にプロポーズなんてぇ、粋な事も出来たのかも知れませんですねぇ!

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この飛び出す絵本は、1932年にアメリカの出版社が、本のページを開くと自然に絵が立ち上がるようにした仕掛けを開発し、それを“ポップアップ”と名付けたんだとか。

その後、1970年頃から再び世界中で出版が盛んになり、ページを開く度に三次元の世界に誘われる仕掛けは、時代を越え長い間大人も子どもも魅了して来たようですねぇ。


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「昭和Nostalgia」(487)

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こんなに大きなジグソーパズルって、ご覧になった事がありますか?

ぼくはここまで大きなものではありませんが、畳一枚ほどの大きさのモノを、30年近く前に見たことがあります。

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そこは、海外のリゾートホテルのロビーでした。

ゆったりとしたロビーに大きなソファーがL字型に置かれ、その足元のフロアーに畳一枚ほどのジグソーパズルの型枠が敷かれており、傍らにはまだ組み込まれていないパズルのピースが散らばっていたものです。

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ぼくがその場で目にした時は、ヨーロピアン風の老夫婦が、それぞれに小さなピースを手に取り、そのピースの配置場所を探しながら「こっちでもない」「いや、あっちでもない」ってな感じで、とても贅沢な時間を愉しげに弄んでおられているようでした。

何かとせっかちな日本人には、なかなか真似の出来ない、とても素敵な大人時間の過ごし方だと痛感したものです。


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「昭和Nostalgia」(486)

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これだけ酷暑が続くと、どうしても喉越しヒンヤリの、冷や麦や素麺が恋しくなってしまうものです。

子どもの頃は、こんな色の付いた冷や麦が食卓に上ると、真っ先にピンクや緑色した冷や麦を、覚束無い手付きながら箸で掬い上げたものでした。

とは言え、ぼくは一人っ子でしたから、兄妹で競い合う必要もなく、お父ちゃんやお母ちゃんは、ぼくが色付きの冷や麦を狙っていることを百も承知。

だから慌てることも無く、ぼくは独占的に色付きの冷や麦を手に入れられたものでした。

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ところがどっこい!

みよし市に住んでいた従兄妹たちが夏休みに泊まり込みでやって来た日の事。

お昼ご飯に色付き冷や麦が卓袱台の上にデーン!

浸けだれの入ったガラスの器を手にし、大きなガラス鉢に浮かぶ冷や麦に箸を伸ばそうとしていると、両脇からやおら体を乗り出す従兄妹たち。

脇目も振らず、冷や麦の器に箸を伸ばし、いの一番に色付き冷や麦を掬い上げているではないか!

浸けだれの入ったガラスの器を手にしたまま、ぼくは目の前で繰り広げられる、色付き冷や麦の争奪戦を呆然と眺めているばかりだったものです。

ガラス鉢の中に浮かぶ冷や麦は、どれもこれも真っ白けっけ!

色付き冷や麦は、瞬時に従兄妹たちの浸けだれの中に消えてしまっていて、幼いぼくはとても悲しい気持ちになったものです。

「あ~あ、色付き冷や麦はみんな取られてまったかぁ!」とお母ちゃんがやって来て、ぼくの浸けだれの中にピンクと緑の冷や麦を入れてくれたじゃないですか!

「どうせ一人っ子やで、食べ物の取り合いを経験しとらんで、そんな事やろと思って、ちゃんと別にしといたったんや」と。

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そう言えば、ぼくはおやつの取り合いでも、いつも周りの者より後れを取り、貧乏くじを散々引かされたものでした。


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