「昭和Nostalgia」(315)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

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こんなマッサージ機ってご存知ですか?

ぼくは子供の頃、床屋さんで大人たちだけがこんなマッサージ機を、肩や背中とか腰などに宛がわれ、大人のお客さんたちが恍惚としている姿がある種羨ましくもあり、ぼくも早くバリカンで丸坊主にされる時代を終え、大人の客として床屋さんに通いたいと思ったものでした。

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そしてついに大人の客となって床屋さんで、こんなマッサージ機を宛がってもらえた時は、それこそ至福の時間となったものでした。

つい何年か前まで、こんなマッサージ機が現役の床屋さんにもあったものです。

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さすがにこんな、家庭用のマッサージ機は、わが家にゃあありませんでしたが、父の日のプレゼントにお父ちゃんに買ってあげればよかったなぁと、今さらながら思えてなりません。

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しかしまぁ、マッサージ機にも色々と種類があったようですねぇ。

こんなマジックハンドのようなモノで、肩を揉まれたとしたら、何だかだなぁ何て思えちゃいます!

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だって見るからに痛そうだし、なにより使いにくそうですよねぇ。

やっぱり揉みは人の手に限るんじゃないでしょうかねぇ。


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「昭和Nostalgia」(314)

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中学生になって友達の家にお邪魔してビックリ!

友達の家の居間の隣の部屋の障子が空いていて、友のお母さんの鏡台が目に入ったのです。

そこには今まで見たこともない、とても奇妙なものがデーンと置かれていたのです。

失礼ながら男性用の便器のようでもあり、それにしてはとても小さいし・・・。

当然わが家のお母ちゃんの鏡台には、そんなもの自体が存在しておりませんでしたから、とにかく何だろうと興味津々!

友にそれとなく尋ねると、それは何でも美しさを保つ美容器具だとかで、友のお母さんが夜な夜な白い丸い形をした部分に顔を押し当て、白い煙のようなモノに当たっているのだとか?

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紅茶とビスケットを「さあ、召し上がれ」と言って出してくれた友のお母さんは、家のお母ちゃんとは比べようもないほどお洒落な美人で、ちょっと羨ましく思えたものです。

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そしてそのビューティー・スチーマーの横には、こんなものが!

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これもお母様の立派な美容器具だそうで、わが家との歴然とした差を痛感したものでした。

でもぼくは、化粧っ気の無いスッピンのお母ちゃんではありましたが、やっぱりぼくのお母ちゃんが一番大好きでした!


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「昭和Nostalgia」(313)

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わが家にはもちろんありませんでしたが、こんな健康器具と言うか、お腹周りの余分なお肉を振るい落とすと言う、こんな器具をどこかのお家で見かけたことがありました。

きっと友達のお姉さんとかが、お使いだったのかも?

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もちろんこれもわが家にゃあありませんでしたが、これまたやっぱり友達の家で見かけたことがあります。

でもぶら下がるバーの所には、なぜか洗濯物がぶら下がっていたような?

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これもわが家にゃああるわけもありませんでしたが、年頃のお姉さんを持つ友の家で見かけたことがあった気がします。

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こんな肩こり解消のような器具も見かけましたねぇ。

しかしそれらの健康器具は、いつの間にどこかへ消え行ってしまったんですねぇ。

果たして効果はいかがなものだったんでしょうかねぇ?


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「昭和Nostalgia」(312)

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ぼくがまだ幼かった昭和半ばの時代は、家のお母ちゃんもよく着物を着て、その上から割烹着を羽織っておりました。

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なにも当時は、家のお母ちゃんだけのことではなく、ご近所のオバチャンたちも同様だったものです。

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時にはこんな洋装の時だって、買い物に行ったりする時は、割烹着に手拭いでほっかむりだったものです。

それにしてもこの写真の右上、八百屋さんの梁から吊り下げられている新聞紙!

それが立派な包装紙でしたねぇ。

中には新聞紙を糊付けし、紙袋にしてあるところもあったものです。

なにも新聞紙の包装紙は、八百屋さんだけじゃなく、魚屋さんだって肉屋さんだって、どこもかしこも読み終えた古新聞をちゃんと活用していたものでしたねぇ。

見てくれや見栄に捕らわれない、昭和の「もったいない」文化が色濃く残っていた、典型的なリサイクルだったのかも知れませんねぇ。


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「昭和Nostalgia」(311)

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高校の3年の卒業式が近付くと、女生徒を対象に「メイクアップ教室」とかってぇのが行われておりましたですねぇ。

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まぁ、野暮な男どもにゃあ、当然ながらお呼びがかかるわけじゃありませんが!

化粧品メーカーの協賛で、女生徒たちは楽しみにしていたようでしたねェ。

憧れのあの娘がメイクするとどうなるんだろうって、覗き見をしていた男子生徒もいたとかいないとか?

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さて、ぼくはどうだったか?

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しかし、令和の時代じゃ、高校3年の卒業前にメイクを教わらなくっても、もうとっくの昔から慣れ親しんでいるお嬢様方の方が多いようですけどねぇ。


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「昭和Nostalgia」(310)

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小学校の高学年になると、特段の理由など無く、とにかく当時キラキラとしていたアメリカに憧れを感じたものです。

そのアメリカの象徴が、エアラインの「PAN AM」でした。

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それは多分に、当時のTVのクイズ番組等で、優勝者にハワイ旅行がプレゼントされ、その時にアシスタントのお姉さんが、こんな「PAN AM」のロゴがプリントされたエアラインバックを、うやうやしく優勝者に手渡す姿を何度も何度も目にしていたからに違いありません。

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ぼくもいつか必ず、憧れの「PAN AM」に搭乗し、キラキラと輝いていたアメリカへ渡るんだ~っと、ただただ呆然と思い描いていたものです。

しかし1986(昭和61)年2月12日、太平洋路線からパンアメリカン機が撤退。

その年の11月、ぼくは一人でアメリカのニューヨークとサンフランシスコへ渡ったのですが、ついにあの「PAN AM」に搭乗することは叶わず、「PAN AM」に取って代わった「UA」ユナイテッド・エアラインに搭乗して、ジョンFケネディー空港へと降り立ったものでした。

昭和半ばのアメリカは、いつもキラキラとしていて、文化やファッション、そしてミュージックと、腕白坊主どもを駆り立てたものでしたねぇ。


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「昭和Nostalgia」(309)

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昨日は名古屋も雪が積もり、公園では親子連れが何組か、雪合戦をしてキャッキャキャッキャと声を上げていました。

寒空の中、その姿を眺めながら、娘がまだ幼かった頃、あんな風に雪合戦をしたものだなぁと感傷に耽ったものです。

上のモノクロ写真は、ぼくがまだ幼かった頃に見た光景とあまりにも似ていて、妙に懐かしさを感じてなりません。

その記憶とは、おそらくぼくがまだ3つ4つの頃のものだと思います。

お父ちゃんに連れられて、今日のような真冬の日に、三重の田舎に出掛けたのです。

お母ちゃんが一緒じゃなかったから、何かしらの用があったのでしょう。

名古屋から松坂まで近鉄電車に乗り、松阪駅から大石まで今では廃線となった三重電気鉄道松阪線に乗り換え、大石からは三重交通のバスで、粥見へと向かったものです。

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その際の、大石駅の小さな売店の中から、松阪行の電車か粥見行きのバスを待つ間なのか、曇りガラスの窓から温められた牛乳瓶を、お父ちゃんと仲間で飲みながら雪の降る小さな駅前ロータリーを眺めていた風景にとても似ているのです。

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ドラム缶の焚火で暖を取る学生服の少年、子を背負い褞袍を羽織る親子、革靴にコートの紳士。

そのいずれもが、不思議にも懐かしくもあり、ぼくの昭和半ばを象徴する原風景の一片のようでもあります。

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そう言えばわが家にも、家族全員分のこんな褞袍があり、冬になると登場したものです。

確か高校に入る頃まで、ぼくはお世話になったものでした。

薄い綿布団を着ているようで、とても温かでしたねぇ。

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今度どこかで、こんな辛子色の褞袍を見つけたら、部屋着に買ってみようかなぁ!

そしたら昭和半ばの温もりをもう一度、肌で実感できるかも知れませんよねぇ。


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「昭和Nostalgia」(308)

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女の子のお家には、こんなカラフルな着せ替え人形なんかが、ズラ~ッと並んでいたものでしたねぇ。

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ぼくにゃあサッパリ、どれが「リカちゃん」で、

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どれが「バービーちゃん」やら、いつまでたっても見分けがつかなかったものです。

そう言えばわが娘も、こんな着せ替え人形で遊んでおりましたねぇ。


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「昭和Nostalgia」(307)

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これを一目ご覧になって、懐かしいなぁと思われた方は、これまた押しも押されもせぬ立派な昭和人です!

って言っても、女性にはちょっと馴染みが薄いでしょうか?

わが家ではもっぱらお父ちゃんが、出勤前に丹頂チックのポマードで、オールバックに髪を整えていたものです。

今でもほんのりと、お父ちゃんのポマードの匂いを記憶しています。

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ぼくが中学生の頃、仲の良かった友人から誕生日のプレゼントとしていただいたのが、当時人気だった資生堂のMG5と言う名の、ヘアトニックでした。

何でも友人のお兄ちゃんが使っているから、それと同じものをと選んでくれたようでした。

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昔から世事に疎いこんなぼくではありましたが、草刈正雄さんのTVCMで知ってはいたものです。

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カッコいい人だなぁと思ってはいましたが、ぼく的にはMG5の香りがちょっと苦手だったようです。

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そんなMG5の対抗馬が、チャールズ・ブロンソンをTVCMに起用した、「マンダム」でしたねぇ。

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ぼくは使った覚えがありませんが!

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そうそう「バイタリス」なんてぇのもありましたねぇ。

実は今回初めて知ったのですが、このバイタリスは、あのライオン油脂さんから発売されていたみたいでビックリ!

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その後は、こんな「ブラバス」やら、

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こんなアウスレーゼなんてぇのも、昭和を彩った男たちの身だしなみの香りでしたねぇ。

匂いの記憶って、けっこう脳裏に残っているものですねぇ!

女性の皆さん、退屈させちゃいましたねぇ!

失礼いたしました!


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「昭和Nostalgia」(306)

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さて、この風景をご覧になって、どこからどこが映っているか分かった方は、これまた立派過ぎる昭和人であると共に、古き名古屋の中心部に精通された方に違いありません。

これはおそらく、昭和45(1970)年頃のモノだと思われます。

正解は、名古屋の栄の中心部、南大津通りの広小路通り交差点を北から南に眺めたものです。

左にあるビルは、オリエンタル中村百貨店。

現在の名古屋三越百貨店です。

その向こうに松坂屋やパルコへと続く目抜き通りです。

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こちらは、矢場町の交差点から、南大津通りを北に眺めたアングルです。

さて、この人だかりはいったい何か?

そうです「ホコ天」です。

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ぼくは小学校の6年か、中一の頃でしたから、美味しそうなイカ天や海老天の新種かなどと、おバカなことを想像したものでした。

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いつもなら車の専用道が、日曜日の決められた時間帯だけ車が締め出され、車道を堂々と自由気ままに歩けると言うもの。

それだけのことで、何でこんなにも人々が押し寄せたのやら?

人混みが苦手なぼくは、一度もホコ天を歩いた記憶がありません。

皆々様は、ホコ天を愉しまれましたか?


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