「昭和Nostalgia」(325)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


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国鉄時代のロマンチックなフルムーンのCM、忘れられませんねぇ。

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昭和56(1981)年に発売とあります。

ぼくが24歳の頃なんでしたねぇ。

まだシンガーソングライターへの夢をあきらめきれず、右往左往してばかりで、両親に心配ばかりを掛けていた、そんな頃でもあったように思い出されます。

ぼくも頑張って稼いで、苦労ばかり掛けたお父ちゃんとお母ちゃんに、こんなフルムーン切符をプレゼントしてあげられりゃあ良かったんですけどねぇ。

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残るは後悔ばかり!

でも仮にフルムーンの切符をプレゼントしたとしても、きっとお父ちゃんやお母ちゃんは、グリーン車なんて分不相応だと、緑の窓口で払い戻して、自由席で旅していたかもしれませんねぇ。


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「昭和Nostalgia」(324)

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これも昭和の終盤に大ヒットしましたねぇ。

この「写ルンです」は、昭和61(1986)年の7月1日に1.380円と言う価格で発売されたそうです。

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なかなか便利なものでしたよねぇ。

ぼくも何度もお世話になったものでした。

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確かに、「しまったぁ!カメラ忘れたぁ!」って時には、助かったものでしたねぇ。

しかし令和の今となっては、カメラ忘れても、スマホ忘れなきゃ、ちゃんと写真が撮れちゃうんですものねぇ。


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「昭和Nostalgia」(323)

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昭和オヤジの典型ともいうべき、小林亜星さんがTV画面一杯で、頑固親父を演じた「寺内貫太郎一家」。

昭和晩年の金字塔のようなTVドラマで、ぼくは大好きでした。

放送開始は、1974年とありますから、ぼくが高校2年の17歳の年となります。

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多感だった青春時代、屋根の上でギターを爪弾くヒデキと初々しいミヨちゃんの歌声に、心震わせたものでした。

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何と言っても一番は、小林亜星さんの卓袱台返しと、樹木希林さんが沢田研二さんのポスターに向って「ジュリー~ッ」と身もだえる姿は圧巻だったものです。

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あんなにも痛快なドラマは、今でも心に焼き付いています。

と言っても、やっぱりとんとストーリー展開が思い出せませんけどねぇ。


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「昭和Nostalgia」(322)

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これも昭和の終盤を飾った名CMでしたですねぇ。

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こんな寒い日には、老若男女が口を揃え「ちゃっぷい ちゃっぷい どんと ぽちい」と、真似ていた光景も昨日のことのようでもあります。

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かくいうぼくも、よく真似して震えていたものです。

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CMにはいくつかのシリーズがあったようですが、この関取のシリーズは圧巻でした!

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今日もどんとがぽちい寒さですねぇ!


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「昭和Nostalgia」(321)

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昭和も晩年の頃になると、こんなCMが一世風靡したものでしたねぇ。

コレで会社を首になっちゃうなんて!

なんとも自虐的なCMでしたが、そこがまたツボに入っちゃったとでも言いましょうか?

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周りの大人たちの中にも、パイポを咥えている方がおられましたねぇ。

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ぼくは一度も口にしたことがありませんでしたが!

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中にゃあこんな、シガーチョコを咥えて、パイポの代用にしていた甘党の紳士もおられたものでした。


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「昭和Nostalgia」(320)

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今でもテーマソングをついつい口ずさんでしまうのが、この「ひょっこりひょうたん島」ですねぇ。

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ストーリーは何一つ覚えちゃアいませんが、ドンガバチョとかの名前は覚えていますが、はてさてどの人形がドンガバチョだったのやら?

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一番後ろの灯台の横の、小さなシルクハットを被った髭の人形でしたかねぇ?

番組の放送は、1964年~1969年とありますから、ぼくがまだ7歳の頃に始まったことになります。

物語はさっぱり覚えていなくっても、テーマソングだけはちゃんと口ずさめるんですから、音楽の底力を感じちゃいます!


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「昭和Nostalgia」(319)

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昨日の続きではございませんが、こちらのTV番組はご記憶にございますか?

この番組を家のお母ちゃんが大好きで、チャンネル権の無いぼくやお父ちゃんは、有無を言わさずこの「ルーシー・ショー」を齧り付きで見て大笑いするお母ちゃんに、お付き合いせざるを得ず、この「ルーシー」と言う名は記憶の片隅に深く深く刻まれております。

1963年から1966年まで4シリーズが放送されたようです。

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しかし昨日の「ちびっこギャング」同様、あらすじどころか、主人公のルーシーがどんな顔でどんな役を演じていたのかさえ、微塵も覚えておりません。

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覚えているのは、「ルーシー・ショー」が放送される日は、お母ちゃんが朝から機嫌の良かった事と、その日の晩御飯はいつもよりちょっぴり気合が入っていたように記憶しています。

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と言ったって大したこたぁございません。

ぼくの大好物だった、衣だけの天麩羅とか、卵だけの茶碗蒸しとか・・・。

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お母ちゃんはこの番組を見ながら、いつものように腹を抱えて笑っておりました。

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ちょっとどんな内容だったのか調べてみると、銀行の副頭取であるムーニーの秘書として、銀行でバツイチのルーシーが働き子育てをしていたとか。

ルーシーは、いつものように、事ある度にとんでもない行動をしてしまう、そんなトラブルメーカーでムーニーを度々困らせるといったドタバタ喜劇とありました。

いやはや、ルーシーの何がそんなにお母ちゃんを惹き付けたのやら?

近い内にあの世とやらで、お母ちゃんに再会できたら、真意を尋ねて見たいものです!


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「昭和Nostalgia」(318)

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これをご覧になって、直ぐにこのTV番組のタイトルを想い出された方は、きっとぼくの年齢前後の方じゃないでしょうか?

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ご存知の方も、ご存知でない方も、これは1961年から1963年まで放送された「ちびっこギャング」です。

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ぼくが4歳から7歳までの頃となります。

物語のあらすじなんてこれっぽっちも覚えていませんが、ちびっこギャング達のとんでもない悪戯が愉しくって、白黒テレビの画面に釘付けとなっていたものです。

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とは言え、それほどまで釘付けになっていたくせに、登場人物の顔は元より、役名もその悪戯も何一つ思い出せません。

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ただ、幼いながらこの番組が大好きで、夢中になって見入っていた事だけは覚えています。

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確かまだ他にも、アメリカのホームドラマに首っ丈だったのがあったよなぁ!

これまた朧気でしかありませんが!


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「昭和Nostalgia」(317)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

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子供の頃、ポン菓子屋のオッチャンが鐘を鳴らしながら公園へやって来ると、ぼくらは一斗缶の空き缶に生米を1合と、いくらだったか忘れましたが、ポン菓子にしていただくお金を握り締め、我先にオッチャンの元へと駆け出したものでした。

一般的には、ポン菓子と言うようですが、ぼくらは誰もが「パッカン」と呼び、「パッカン屋のオッチャン」がやって来た~と、そう呼んでいたものです。

ぼくには仲良くしていただいている、飛騨市のポン菓子屋、その名も「ポン菓子屋本舗」の下出明己さんこと「飛騨もん太=飛騨ポン太」さんがいます。

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そう言えば昔、マカロニで作ったポン菓子「オカポン」を作ってくださったあのお方です。

飛騨ポン太さんのFacebookもぜひご覧あれ!

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ぼくらの地域にやって来たパッカン屋のオッチャンは、

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大きな声で「みんな、耳をふさげよ~っ!」と大声を張り上げ、圧力釜のレバーをハンマーで叩き開けます。

すると「パッカーン」と轟音が鳴り響き、辺り一面に白煙が舞い上がり、ぼくらはおっかなびっくりで耳を塞ぎながら、その一部始終を遠巻きに眺めたものです。

生米からふっくらと膨らんだポン菓子は、網から切溜のような浅い木箱に移され、オッチャンが水飴を刷毛でポン菓子の表面に塗り、確か彩として青海苔を振り掛け、伸し餅の様に固まったポン菓子を包丁で蒲鉾板くらいに切り分けてくれ、それを持参した一斗缶に入れてもらって家へと持ち帰ったものでした。

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あの素朴なポン菓子の味は、昭和半ばのぼくらにとって、忘れられないとっておきの一つだったに違いありません。

ぼくは出来立てのポン菓子よりも、ちょっと時間が経って湿気った感じのポン菓子が好きでしたねぇ。


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「昭和Nostalgia」(316)

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あくまでぼく的な、昭和半ばの飴玉と言えば、超スタンダードなカンロ飴と決まっていたものです。

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そしてたま~のたまにでしたが、ちょっと高級な黄金糖を貰えようものなら、その飴玉の美しさを矯めつ眇めつ眺めてから、口に入れたものでした。

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そしてお母ちゃんの機嫌がすこぶる良い時に、稀にこんな缶入りのサクマ式ドロップを買い与えられたりしようものなら、天にも舞い上がりそうな気分だったものです。

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わが家ではお母ちゃんが鹿児島出身と言う事もあり、よくボンタンアメがあり、ぼくも好きでした。

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それに拳骨飴とか、

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金太郎飴なんてぇのも、よく口にしたものです。

でも子どもたちに人気だったのは、

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こんな水飴。

割り箸を持った左右の手首をグルグルと回し、透明な水飴が真っ白になるまで、空気を取り込むように遊びながら練って、それをいただいたものでしたねぇ。

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でも飛びっきり甘くて美味しかったと言うよりも、水飴を練ることで遊び心が満たされることの方が愉しかったのかも知れません。

ぼくらは水飴って呼んでましたが、ねりあめと言う地域もあるんですねぇ。

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ぼくなんて姑息にも、喉が痛いとか咳が出るとか言っては、お母ちゃんに浅田飴の水飴を買い置きしてもらい、時折こっそり割り箸で練り飴遊びをしたものです。

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時に、こんな飴細工を初詣の露店で見かけたものでしたが、当然ながら買ってもらえた試しはありませんでしたねぇ。

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それと「ひやしあめ」とは耳にしておりましたが、今の今まで飲んだことがありませんし、そもそもこの地域ではなかなか見かけません。

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気になって調べると、関西以西のもののようですが、冷やしあめとは米粉、上白糖、生姜の搾り汁を釜焚きし、シロップ状にした蜜を水でわったものだとか。

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だとすると、水ではなく炭酸で割ったら、ジンジャエールのような味わいになりそうですねぇ。

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中にゃあこんなひやしあめのお酒もあるようですから、ぼくにゃあこっちの方が向いてるかも知れません。

しかし、甘こいんやろうなぁ・・・トホホ。


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