「昭和Nostalgia」(334)

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まだまだ寒い日が続いておりますが、そこかしこに春の予感が感じられるようにもなって来た気がします。

日に日に桜の枝もうっすらとピンクがかって来たように見えますし、生きとし生けるもの全てが、間もなく訪れる春の準備を始めているようです。

春が近づくと思い出されることがあります。

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それはぼくがまだ小学1年の頃だったかに、お父ちゃんとお母ちゃんとぼくの三人で、近くの川の堤防でヨモギを摘み、お父ちゃんが「昔取った杵柄やぁ」と言いながら作ってくれた、春の香り満載の「ヨモギ餅」。

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三重県松阪市の西の外れで生まれ育ったお父ちゃんは、尋常高等小学校を出ると、菓子職人を目指し京都の御菓子司へ住み込みで修業に入ったそうです。

そこで見よう見真似で覚えたのが、ヨモギ餅だったのかも知れません。

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しかし菓子職人としての修業も、赤紙一枚で召し上げられ、お父ちゃんは菓子職人の夢も捥ぎ取られ、中国戦線の最前線へと送られてしまったようです。

戦後復員してからは、菓子職人とはかけ離れた鉄工所で、溶接工として働きぼくを育ててくれました。

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もしその時代も平和で、お父ちゃんが菓子職人となっていたら、もっとたくさんの菓子を作ってくれたんじゃないのかなぁと、幼心にもそう思ったものでした。

生涯お父ちゃんが、ぼくとお母ちゃんに作ってくれたお菓子は、そのヨモギ餅ただ一つきり。

お父ちゃんが「昔取った杵柄やぁ」と嘯きながら作ってくれた、唯一無二のヨモギ餅の味、いまでも仄かに覚えています。

でも待てよ!

もしお父ちゃんに赤紙が舞い込まず、京都で菓子職人となっていたら、ぼくはこの世に産まれい出ることもなかったのかぁ!


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「昭和Nostalgia」(333)

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パンツ丸見えでも平気の平左で、道端でホッピングに高ずるお転婆娘たちが、それはそれは沢山いたものでした。

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もちろんやんちゃ坊主共だって、負けちゃあいません!

ぼくはホッピングを買ってもらえたのか、買ってもらえなかったのか、もう記憶がこそげ落ちてしまっておりますが、何度か遊んだ記憶と、その時の感覚はしっかりと残っております。

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でもわが家の物置で、ホッピングを見かけた記憶がこれまたありませんから、もしかしたら友のホッピングを借りて遊んでいたのかも知れません。

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いずれにせよ、天下の大道をわが物顔で占有し、子どもたちは臆することも無く遊び呆けていられた、何事にも大らかで緩やかな時代、それが昭和の半ばでもあった気がいたします。

それにしても、もうホッピングに高じている子なんて、とんとお見掛けできませんよねぇ。

それもちょっぴり寂しい気になるものです。


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「昭和Nostalgia」(332)

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全国各地に点在した回転レストラン。

ぼくは昭和の終盤に名古屋と東京で、人生たったの二度だけ、こんな回転レストランを利用したことがありました。

とは言え、今となっては、どこのどなたとご一緒したのか?

いったい何を食べたのやら?

果たして美味しかったのかどうなのか?

特段感動した覚えもありません。

ただただ刻々と窓外の景色が移り変わるだけ。

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ちょうど1周回り終える頃に、デザートとコーヒーとかが出て来たんでしょうかねぇ?

こんな回転レストランが、日本全国各地に50か所以上あったってんですから、それはそれで戦後昭和のブームでもあったんでしょうねぇ。

当時としては、ちょっぴり気取った、ハイカラな回転レストランだったんでしょうねぇ。


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「昭和Nostalgia」(331)

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こんなドライブインも、令和の時代ともなりますと、すっかり見かけなくなっちゃいましたよねぇ。

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ぼくが車の免許を取得し、ドライブに出掛けると、あちらこちらでこんなドライブインを見かけ、ついつい特段の理由が無くとも、立ち寄ったりしちゃったものです。

ぼくは自販機のハンバーガーやうどんなんかを見かけると、さして小腹がすいているわけではなくっても、ついつい無性に食べたくなって、自販機に小銭を投入したものでした。

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夜になると街道筋に、こんな煌びやかなネオンサインが煌々とする、大人チックなドライブインもあり、まるで夜の電灯の灯りに吸い寄せられる蛾のように、車も吸い寄せられたものでした。

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今でもわずかに残る、昭和のドライブインを綴った書籍もあるようですねぇ。

こんどどこかの町でドライブインを見かけたら、懐かしい気分を味わいに、立ち寄ってみたいものです。


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最後にいちご狩りに行ったのは、娘が15歳の頃でしたから、もう15~16年前のことになりましょうか?

娘は次から次にと、イチゴをパクパク。

よくもまぁそんなにも食べられるもんだと感心したくらいです。

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使い捨て容器に入った練乳をみんな使ってしまい、係りの方が気の毒がって練乳を追加してくださったものでした。

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そう言えば、イチゴを潰すのに最適な、こんな専用スプーンなんてぇのもございましたねぇ。

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子供の頃は、お母ちゃんがイチゴを潰してくれて、ミルクをたっぷり注いでくれたものでした。

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こんどイチゴを買って来て、シャンパンでも抜いて、プリティー・ウーマンのリチャード・ギアさながらに、ちょっぴり気取ってみますかぁ!

あっ、でも待てよ!

コロナ以降すっかり定着しちゃった、家呑みスタイルのパジャマ着じゃあ、リチャード・ギアには程遠すぎちゃいますねぇ!

ちくしょう!


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「昭和Nostalgia」(329)

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こんなスプーン曲げのブームもありましたねぇ。

ぼかぁ不思議でならなかったものです。

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ユリ・ゲラーが日本のTVに登場したのは、昭和49(1974)年頃からで、当時の人気番組、あの11pmとかに出演したことにより、瞬く間にスプーン曲げがブームになったとか。

ぼくの周りでもスプーンやフォークを曲げようとする輩もおりましたが、ぼくはやってはみてもサッパリ!

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ただでさえ無能人間に超能力が宿るなど、まぁありえっこないってぇことですねぇ。

あなたもスプーン曲げをやった口ですか?


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「昭和Nostalgia」(328)

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「3万円5万円10万円、 運命の分かれ道〜ゲーム始め!」

漫才コンビ夢路いとし・喜味こいしの絶妙な司会で、3組のペアが時間内にゲームで得た限度額までの買い物をする「グリコがっちり買いまショウ」。

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しかし、合計金額が限度額を1円でも超えてしまったら失格という、スリル満点のTV番組で、わが家ではお父ちゃんとお母ちゃんが白黒TVに釘付けだったものです。

1963年12月から放送が始まったと言う事ですから、ぼくが小学校に入学する前の事。

スタジオには、人気の電化製品から日用雑貨や食品なんかもあったんだったかなぁ?

それこそ10万円コースなんて言ったら、大変な金額だったに違いありませんから、見事に賞品を手にした方を、両親は羨ましく眺めていたんでしょうねぇ。


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「昭和Nostalgia」(327)

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この曲も、思わず意味も分からず口ずさんじゃったものでした。

1964年とありますから、ぼくは小学校に入学したピッカピカの1年生でした。

当時のわが家のTVは白黒でしたから、頭の中で画像に色付けをして見入っていたのだったかも知れません。

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そしてこれまたあの小林亜星さんの作品だってんだから、あの方は返す返す天才でいらっしゃったんですねぇ。

それにしても、小林亜星さんも、歌っておられた弘田三枝子さんも、ワンサカ娘で一世を風靡したレナウンまでもが消え果て、昭和は灯の様になっていくばかりですねぇ。

でもぼくはきっと、この命が燃え尽きるその寸前まで、昭和の記憶の中に身を置いていようと思っております。


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「昭和Nostalgia」(326)

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ぼくの中で燦然と輝く昭和後半の名曲の一つは、このサイラズ・モズレー『サントリー・オールド「人間みな兄弟」』という曲です。

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♪ドンドンディドン シュビダデン オデェーエーエエーオー♪

サントリーオールド、「だるま」とか呼ばれたウイスキーのCMでした。

今回調べてみるまで、正式な歌詞が♪ドンドンディドン シュビダデン オデェーエーエエーオー♪とは露知らず、ぼくは勝手に♪ドンドンディダンシュビダデー♪とかって、口ずさんでいたものです。

そして改めて知った事は、なんとこのお洒落な曲は、あの寺内貫太郎ならぬ、小林亜星さんの曲だってんだからビックリ!

実に多彩な方でいらっしゃったんですねぇ。

まぁ、このサントリーオールドのCMを聴いていた頃なんて、お金もありませんからオールドなんて高嶺の花。

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せいぜいがサントリーレッドかトリスのポケット瓶、

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それにちょっと背伸びをしてサントリーホワイトってぇのが、贅沢品の一つでしたねぇ。

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ホワイトだって、よっぽどいいことがあった日じゃなきゃ、おいそれとは飲めなかったものでした。


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「昭和Nostalgia」(325)

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国鉄時代のロマンチックなフルムーンのCM、忘れられませんねぇ。

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昭和56(1981)年に発売とあります。

ぼくが24歳の頃なんでしたねぇ。

まだシンガーソングライターへの夢をあきらめきれず、右往左往してばかりで、両親に心配ばかりを掛けていた、そんな頃でもあったように思い出されます。

ぼくも頑張って稼いで、苦労ばかり掛けたお父ちゃんとお母ちゃんに、こんなフルムーン切符をプレゼントしてあげられりゃあ良かったんですけどねぇ。

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残るは後悔ばかり!

でも仮にフルムーンの切符をプレゼントしたとしても、きっとお父ちゃんやお母ちゃんは、グリーン車なんて分不相応だと、緑の窓口で払い戻して、自由席で旅していたかもしれませんねぇ。


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