「昭和Nostalgia」(521)

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ご覧のウエハースサンドは、ぼくの子供の頃の、ちょっと贅沢な大好物でもありました。

あのウエハースの食感が好きで、スーパーの菓子パン売り場で、懐かしの三角ウエハースサンドを見かけようものなら、ついつい手を伸ばしてしまいそうになるのも、子どもの頃の習い性の一つなんでしょうねぇ。

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単にクリームやジャムを挟んだだけのモノや、ジャムやクリームをたっぷり塗ったスポンジカステラを挟んだモノやら、とにかくウエハースが付いていたらそれだけで十分なほど、ウエハースにゃあ目がありませんでした。

口の中の上顎にウエハースが引っ付いてしまい、それを缶蹴りなんぞをして遊びながら、ゆっくりと唾液で溶かし、遊びながらウエハースの残骸を、愉しむのも好きでした。

このウエハースは、英語のwaferで、語源は、中世のオランダやベルギー、そしてドイツ北部で使用された、蜂の巣を意味する「wâfel」から来ているんだとか。

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何でもゴーフルやワッフルも語源は同じようで、蜂の巣状の凹凸のある焼き菓子を指しているようです。

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既に14世紀には、英国でウエハースとして街中で売られていたんだとか。

そう思うと、ウエハースは約7世紀近くも、今もって世界の人々に愛され続けているものなんですねぇ。

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あ~あ、なんだか食べたくなって来ちゃったぁ!


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「昭和Nostalgia」(520)

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小学校の2~3年生になった頃のこと。

こんな俗に言う、シークレットブーツとやらを、わが家の玄関の三和土で初めて目にしたものです。

明らかにいつも見慣れた、お父ちゃんの通勤用の革靴とは異なるものです。

その日のそれより少し前の事。

学校からの帰り道、わが家が目前に迫った頃、見覚えのない背広姿のオジサンに声を掛けられました。

「おお~いっ、もしかしてミノ君やないか?」

そう親し気に名を呼ばれたものの、ぼくには誰なのかチンプンカンプン。

背がとても高くスラッとした、背広姿のオジサンはぼくを伴いわが家へ。

玄関の引き戸を開けながら、オジサンが「Nです、すっかりご無沙汰しちゃって!」と声を掛けると、慌ててお母ちゃんが飛び出してまいりました。

そしてお母ちゃんは玄関の三和土へと降り、下駄を履いてオジサンを出迎えたのです。

「N君かいな。ちょっと見ん間に、背も伸びて、えろう立派になって!お父ちゃんも直に帰って来るやろで、まあ上がって上がって」と、お母ちゃんがオジサンを見上げた。

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ところが茶の間に入ると、アレレッ?

さっき玄関では、お母ちゃんが見上げるほど、お母ちゃんより頭一つ分も背が高かったオジサンのはずが・・・。

お母ちゃんはオジサンを見上げるどころか、オジサンの目の高さはお母ちゃんの目の高さとほぼ同等。

「あれっ、さっきは見上げるほど背が伸びたと思ったのに・・・?」と首をかしげるお母ちゃん。

オジサンは照れ臭そうな顔で、「あの革靴なぁ、あれ底上げやねん」と。

そんなペテンのような履物がこの世に存在していることを、ぼくは初めて知ったものでした。

でもまぁ、それは何もオジサンだけではなく、何でも古くはあのナポレオンも履いていたとか、近代ではスターリンやヒトラーなど、事の真偽の程は別として、古今東西数多の権力者や著名人が、上げ底靴を履いていたとする説もあるそうな?

いつの世も、男は見てくれを気にする生き物なんでしょうかねぇ?


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「昭和Nostalgia」(519)

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昭和半ばの腕白坊主にとっちゃあ、牛乳に浸して柔らかくなったコーンフレークの朝食に、憧れたものでした。

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TVのコマーシャルの影響と、ご近所のハイカラな家の子に、朝ご飯の代わりにコーンフレークを食べて来たって話を聞く度、とても羨ましく思え、お母ちゃんにせがんだものでした。

しかし!「日本人の朝ご飯は、昔からご飯と味噌汁に鰯の干物、それと味付け海苔って決まっとんやぁ」と、お母ちゃんは鼻もひっかけようとはしなかったものです。

ところがどういう風の吹き回しだったのやら、その日の朝餉の食卓の、中央にシスコーンの箱がデーン!

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とは言え、ぼくの前の食卓には、空っぽのご飯茶碗と茄子のお味噌汁、そしていつもの味付け海苔が!

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いったいどうなる事やらと目を見張っていると、シスコーンの箱を開け、お母ちゃんがぼくのご飯茶碗の中へ、コーンフレークをジャラジャラと入れ、その上から牛乳を注いだのです!

せめてご飯茶碗じゃなく、ちょっとはお洒落な洋物のボウルにでも入れてくれりゃあ、アメリカのホームドラマの朝食のシーンさながらだったのにぃ!

って、待てよ!

ミルクコーヒーや紅茶の代わりが、茄子の味噌汁かぁ?

まったく、なんてぇこった!


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「昭和Nostalgia」(518)

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随分と大人になってからの、昭和も掉尾を飾るような晩年の事。

こんな不思議な不思議な、口の中で爆発するかのような、砕かれたキャンディーのようなものを口にし、昭和半ば生まれの腕白坊主は、ただただカルチャーショックを被ったものでした。

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口に含んだ瞬間、小さなドンパッチの欠片が口の中で騒ぎ出し、何とも言えぬ感覚を味わったものでした。

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もう今となっては手に入らぬだろうかと調べてみると、2000年に製造販売が終了していました。

このドンパッチは、1979年に味の素ゼネラルフーヅ(現・味の素AGF)から発売されたもので、その何ともユニークな食感で、たちまち一世を風靡したキャンディーでした。

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口に含むと、パチパチと音を立てながら弾ける、驚きの食感が特徴で、多くの子どもたちの心を鷲掴みにしたようです。

って、ぼくが初めて口にした頃は、既に立派な大人になっていた頃ですが、それでも子どもたちに負けず劣らず、とんでもなく驚かされたものでした。

現在は、いくつかの類似品が製造販売されているようです。

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そもそもは、1956年にアメリカ・ゼネラルフーヅ社の研究員、ウィリアム・ミッチェルが考案したとか。

キャンディが口内で溶けると封入された炭酸が発泡し、パチパチと弾けるのが特徴で、それが人気の的になったとか。

今度類似品でも買い求め、良く冷やした焼酎に入れて、サワーの様にでも愉しんでみますかぁ!


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この何とも懐かしい、クルクルッと巻き上げられたお煎餅、ご記憶にありませんか?

きっと今でもスタンダードなお菓子として、スーパーのお菓子売り場のどこかで、販売されているのかも知れませんが、まずもってお菓子売り場を素通りしてしまうぼくには、子どもの頃に食べた記憶の中のお煎餅としか思えません。

ところで皆々様は、このお煎餅の名前をご存知ですか?

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ぼくは知る由もありませんでしたが、調べてみると「京せんべい 絹巻き」と呼ばれる、江戸時代の昔から伝わるお菓子なんだとか。

職人が砂糖と水飴を、丁寧に練り上げた飴菓子の『有平糖』を、胡麻入りのお煎餅でクルクルッと巻き、1本1本手焼きで仕上げたものだとか。

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そうかぁ!あのクルクル煎餅の中の白いものは、砂糖菓子の有平糖だったんだぁ!

その有平糖のホロホロッとした食感と上品な甘さ、そしてほんのり香る胡麻風味の煎餅は、とても素朴でありながらも絶妙な味わいです。

わが家で食べた「絹巻き」は、果たして渋チンなお母ちゃんが買って来たものなのか、或いはどなたかの手土産だったのか、お茶請けとして美味しくいただいた幼き日が偲ばれます。


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こんな森永の「エンゼルパイ」って、ご存知ですか?

冒頭の写真は、森永製菓のHPによれば、昭和36(1961)年の誕生当時のパッケージのもののようで、当時は1個20円だったとか。

「エンゼルパイ」の特長は、チョコレートとマシュマロにビスケットと言う、この3つの馨しさが醸し出した初めての食感でした。

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高級なイメージのあったマシュマロ。

そして森永製菓が創業当時から力を注いだチョコレート。

それに森永製菓看板商品のビスケット。

この三種の神器ならぬ、子どもたちの羨望の的とでも言うべき、三種のお菓子が組み合わされちゃったんですから、もうまさに天下無敵だったわけです。

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でも子どもの頃、憧れて憧れてならなかった「森永のエンゼルパイ」は、ぼくの記憶の中ではこんな箱入りだったと思っておりましたが、何だか微妙なところです!

森永製菓さんのHPの年表を拝見すると、ぼくの小学校の遠足は、こっちのパッケージの1個30円時代だったのかも?

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いずれにしても、当時の遠足のお菓子代の中では、群を抜いて高価な逸品であり、子どもたちの人気の的であったに違いありません。

なんだか無性に「エンゼルパイ」が食べたくなっちゃいましたぁ!

こんどスーパーのお菓子売り場を覗いて手に入れたら、ウイスキーの水割りのあてにでもしてみますかぁ!


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子供の頃のわが家には、こんな手動式のジューサーなるものが、ある時登場し一大旋風を巻き起こしたものの、わずか1シーズンかそこいらでお払い箱と成り果て、押入れの奥深くに仕舞い込まれたものでした。

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まぁ、せいぜいがこんなミカンの生絞りジュース程度の、極めてスタンダードなジュースくらいしか、作ってもらえなかったような?

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そもそもは、ご近所でも何かとハイカラなご家庭と評判だった、Fちゃん家にお呼ばれした時にいただいた、電動のジューサーであっと言う間にオバちゃんが作ってくれたイチゴジュース!

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こいつをいただいてそのあまりの美味しさに釘付けとなった事があり、事ある度にお母ちゃんに「家にもジューサーがあったらいいのになぁ」と小声で呪文のように、囁き続けた結果が、冒頭の手動のハンドジューサーの登場と相成ったのです。

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当時の電動ジューサーは、きっとまだまだ高価なものであったんでしょうね。

お母ちゃんが何処でどう工面して来たものやら、手動のハンドジューサーのご登場となりました。

最初の頃こそ生絞りのジュースの美味しさに、お父ちゃんもぼくも舌を巻いて絶賛したものの、ジュースを絞るための準備やら、その後の後始末と片付けが殊の外手間取ったのか、徐々に登場回数も減り続け、いつのまにやらお蔵入り!

まぁしかし、思い返してみると、何も手動のハンドジューサーに限らず、ついつい夢を膨らませて新たな器具を購入したとしても、宝の持ち腐れとでも言いましょうか、そうやっていつの間にかお蔵入りとなって仕舞ったものも、アレやコレとあったような気がいたします。


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これが何だかご存知ですか?

ぼくは幼い頃、お母ちゃんと買い物に行くたびに、市場のうどん屋さんや魚屋さん、そして肉屋さんの仕事ぶりに興味を抱き、真似っこしながら遊んだものです。

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中でも肉屋さんのオジサンが、こんなミートチョッパーの受け口に、肉の塊を放り込み、手動のハンドルをクルクルと回すと、挽き肉となって口から吐き出されてくる姿が不思議でならず、そんなオジサンの手付きを必死に背伸びしては覗き込んだものです。

そしてあのミートチョッパーのハンドルが、もう回したくって回したくって!

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でもさすがに、ミートチョッパーの代用品となりそうなものが、わが家の中で見当たらず、肉屋さんゴッコは断念せざるを得なかったものです。

まぁ幼い頃は、何でもかでも、大人の真似がしたくってしたくって。

興味津々だったものです。


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「昭和Nostalgia」(513)

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今日も昭和の喫茶店文化を、懐かしむことにいたします。

あの頃の喫茶店では、如何にも常連気取りで、注文の品を短縮語で呼んで見たりしたものでした。

思い返せばぼくも、彼女とのデートの折りだったか、さも通ぶってレモンスカッシュを「レスカ」なぁ~んて呼んでいたような?

皆様もそうやって、通ぶってお呼びになった事が、おありだったのでは?

まずは、スタンダードなところから行けば、ホットコーヒーは「ホット」、アイスコーヒーは「レイコー」、そいでもってアメリカンコーヒーは「アメ」とか、カフェオレは「オレ」、アイスカフェオレは「アイオレ」に、ミルクティーは「ミティー」とかって。

さすがにぼくは、「アイオレ」やら「ミティー」と呼んだことはありませんでしたし、何よりそんな短縮語は聞いたことも無かったような?

さらに、グレープフルーツジュースを「グレジュー」、オレンジジュースは「オレジュー」って!

これまたぼくは、耳にしたことも無い、短縮語でもあります。

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でもそう言えばぼくも、クリームソーダを「クリソー」って呼んだ事があったやら?

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それとタマゴサンドイッチを「タマサン」、ハムサンドイッチが「ハムサン」で、ミックスサンドは「ミーサン」とか。

これまた初耳の短縮語でもあります。

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どっこいパフェともなろうものなら、プリンパフェを「プリパ」、イチゴバフェなら「ストパ」、も一つおまけにチョコレートパフェが「チョコパ」とか!

ぼくが足蹴く通った田舎の喫茶店では、そんな洒落たメニューが無かったから、耳にしたことも無い短縮語だったってぇ事なんでしょうかねぇ?

それにしたって、こんな短縮語の呼び名が一定の割りで定着したほど、庶民の暮らしの身近に、町の喫茶店は根付き、愛され続けていた証だったのかも知れませんですねぇ。


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今日も昭和半ばの、喫茶店事情の懐かしき残像を、ご紹介させていただきます。

喫茶店でホットコーヒーやアイスコーヒーを注文すると、コーヒーカップやグラスの傍らに、コーヒーフレッシュが入った、銀色の小さなピッチャーが添えられていたものです。

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どこのどなたが始められたのかは、皆目見当が付きませんが、こっそり小さなピッチャーを持ち帰り、それを自分のキーホルダーに取り付けていらっしゃる方たちがおいでになりました。

って、・・・そう言うぼくも、同じような事をしたような?しなかったような?・・・。

でも当時は、小さなピッチャーをキーホルダーのアクセサリーとして、ジャラジャラと取り付けるのが流行っていたような?

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とは言え、通いなれた喫茶店から失敬した、小さなピッチャーを取り付けたキーホルダーを、何の罪悪感も持たずか、堂々と喫茶店のテーブルの上に置いていたものです。

まぁ、マスターやママさんも、それにウエイトレスさんも、それを見て見ぬふりをなさっていたような?

何とも寛容な時代だったのかも知れません。


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