「昭和Nostalgia」(425)

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昭和の時代は、あちらこちらで紫煙が燻っていたものでした。

夜の町のスナックやバーは元より、バスや電車、それに病院の診察室に待合室でも!

胸元のポケットから煙草をおもむろに一本取り出し、マッチやこんなオイルライターなんぞで、火を付けていたものです。

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オイルライターの中でも特に人気が高かったのは、Zippoじゃなかったでしょうかねぇ。

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それとかロンソンなんてぇのもございましたですねぇ。

それはそうと昭和の時代には、こんなものまで!

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誰かのアメリカ土産で、貰ったこともあったような、なかったような?

それに!

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こんなアンティックなマイク型の卓上オイルライターも!

ましてや!

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こんなNHKの出演者や被取材者等への謝礼品と思われる、刻印入りのオイルライターまで!

ぼくはNHKと刻印された懐中時計をいただいたことがありました。いつの時だったのやら?

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なかにゃあこんなギャンブラーの喜びそうなものやら、

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なんとなんと!こんな手榴弾型の物騒なオイルライターまで!

煙草においそれと火が付けられそうにありませんから、禁煙を目指す方にゃあ持って来いかも知れませんですねぇ。

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それはそうと、オイルライターは、あの独特なオイルの香りが、周りに漂ったものでしたですねぇ。


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「昭和Nostalgia」(424)

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子どもの頃、近所の遊び仲間の中に、こんな知恵の輪の得意な子がいたものです。

それも2~3回、輪っかを回している内に、絡み合った輪っかが見事に外れちゃうんですから、まるで目の前でマジックを見せられているかのような、不思議な光景でした。

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ぼくの近所の遊び仲間の中にいた、知恵の輪の達人は、草野球や缶蹴りにポコペンも、まったく風采が上がらぬのに、唯一知恵の輪だけはピカイチ!

他の近所の友の中には、家で知恵の輪をおねだりして、買ってもらったのは良いものの、一つとして輪っかが外れなくって、知恵の輪の達人である友に、輪っか外しを頼むものまで現れたほど。

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しかし知恵の輪の達人は、輪っか外しの手解きまでは出来ず、ただただ黙々と輪っかをクリクリ回すだけ。

だからせっかく一旦は輪っかを外してもらったものの、再び輪っかと輪っかを組み合わせると、もうお手上げ!

そうやって何度も何度も、知恵の輪の達人にまた外してもらうばかり。

確かぼくも、一文菓子屋の片隅にあった、初心者向けの小さな知恵の輪を買っては貰ったものの、何かにつけ面倒臭がりでズボラなぼくにゃあ、とっても太刀打ち出来ず、そのままオモチャ箱の奥底に眠らせてしまったはずです。

他に取柄は無くとも、何とも器用に知恵の輪を操っていた、知恵の輪の達人はあれからどうなったのやら?

もしかしたら名だたる学者か技術者にでも、なったんでしょうかねぇ?

皆様方は、知恵の輪がお得意でしたか?


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「昭和Nostalgia」(423)

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小学校の低学年の頃、図工の粘土細工の時間が、好きで仕方ありませんでした。

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確か机の上に画板のようなモノを広げ、プラスチックケースに入った、グレー色の油粘土を広げ、あんなものやこんなものの造形に取り組んだものです。

とは言う物の、造形に取り組むどころか、そもそもそんな才能など皆無なぼくにゃあ無理!

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何か動物を真似て模って見ては、ちっとも煮ても似つかぬ駄作ばかりで、直ぐに作品を押しつぶしては、また別のモノを作ったり・・・。

まぁ所詮ぼくの粘土細工は、造形作品などとは恐れ多くて決してそうは呼べぬもので、図工の時間の間中、粘土遊びに高じていただけのモノだった気がします。

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何度やっても粘土細工は上手くいかないものの、わが家の老犬ジョンが、ぼくの粘土細工に最も頻繁に登場した、トップモデルだったものです。

粘土細工はとっても楽しかったものの、その後も掌に油粘土の油の匂いが沁みつき、その日一日その匂いに付き纏われたものでした。

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そう言えば近所の子らと地べたにしゃがみ込んじゃあ、こんな泥団子作りもせっせせっせとして遊びましたですねぇ。


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「昭和Nostalgia」(422)

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子供の頃の、蒸し芋の続編です!

大の芋栗南京嫌いなぼくではありましたが、お母ちゃんが時折り作ってくれた、こんな鬼饅頭は別格で、ぼくも大好きなお母ちゃんお手製のオヤツでした。

特に蒸し上がったばかりの鬼饅頭は、ホッカホカで寒い日なんかにゃあ、とんでもないほどのご馳走でもあったものです。

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だから冬の日、学校から帰って玄関の引き戸を開け、「ただいま~っ!」と大きな声で叫びながら、鼻から息を吸い込んで、「今日はもしかしたら、鬼饅頭かな?」ってな調子で、家の中の匂いを嗅ぎ分けたりした覚えがあります。

でも内職仕事に追われるお母ちゃんにとっちゃ、鬼饅頭は蒸し芋より遥かに手間がかかり、ぼくが喜ぶからって、そうそうせんど作っちゃもらえませんでしたですねぇ。

そう言えば鬼饅頭もさることながら、年に1度や2度くらいの割合で、こんなロバパンのような蒸しパンが登場したこともありました。

でも蒸しパンの中身は、それこそ鬼饅頭のようなサツマイモばかりだったような?

それでも子どもの頃のぼくにして見たら、それこそ盆と正月がいっぺんにやって来たような喜びようでもありました。

もうどんなに願おうとも、二度と味わう事の出来ぬ、お母ちゃんの鬼饅頭。

形は店屋に並ぶモノとは違い、歪極まりないものではありましたが、ぼくにとっては掛け替えのないほど尊い、昭和半ばを代表するお母ちゃんの手作りオヤツの、王様だったに違いありません。


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「昭和Nostalgia」(421)

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これは昭和半ばの、ぼくがまだ小学校低学年時代、お母ちゃんが「鬼おろし」とか物騒な名前で呼んでいた、大根おろし器です。

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竹を割った物に、ギザギザの切り込みの入った薄い竹が、横に何枚も組み合わされていたものです。

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とは言え、本当に鬼を下ろすことは無く、もっぱら大根を下ろしてくれていました。

その後数年もしない内に、現在のようなステンレスやプラスチック製の大根おろし器が取って代わり、竹製の鬼おろしはどこへやら・・・。

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60年近く前の記憶ですから、言うまでもなく曖昧ではありますが、現代のそつのない大根おろし器で、満遍なく細かくすり下ろした大根より、粗削りで大根そのもののゴツゴツ感が混ざった、鬼おろしの大根おろしの食感が、今でも記憶の片隅にありありと残っているようです。

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焼き立てのサンマに、粗削りな鬼おろしを添え、キリン「晴れ風」と共に、お母ちゃんの味を懐かしみながら、今年の秋を愉しみたいものです!

あっ、でもその前に、竹製の鬼おろしを探さなくっちゃ!


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「昭和Nostalgia」(420)

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小学校低学年だった頃の微かな記憶によると、当時のわが家には、こんな菜切り包丁がたったの一本きりあっただけだった、そんな気がいたします。

でもお母ちゃんは、こんな菜切り包丁一つで、野菜は元より、魚や肉、皿には果物やらバターケーキまでをも、実に器用に捌いていたものです。

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当時の包丁は、今のようなステンレスとは異なり、直ぐに錆が浮くような代物。

日曜日になる度に、お父ちゃんがせっせと包丁研ぎをしておりました。

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もしかするとあの菜切り包丁は、お母ちゃんのわずかな嫁入り道具の一つだったのかも知れません。

お母ちゃんがこの世を去り、遺品整理をしていた時のこと。

ステンレス製の万能包丁の何本かとは別に、台所の引き出しの奥に、ぼくが子どもの頃使っていた、柄の朽ちかけたあの菜切り包丁が、おそらくお父ちゃんが最期に研ぎ上げた、ピッカピカのまま、大切そうに晒しに巻いて仕舞い込まれておりました。

お母ちゃんはきっと、当時いつも台所に立ち、苦楽を共にしたあの菜切り包丁を捨てるに捨てられず、家族の食の歴史を共にした戦友のような気持ちで、引き出しの奥に仕舞い込んでいたのかも知れません。

きっとお母ちゃんが、ネギでも刻んだ後、その菜切り包丁でバタークリームのクリスマスケーキを切り分けてくれたと思いますが、バタークリームの甘い香りに紛れ込んだ、刻みネギの香りが今でも忘れられません!

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それもこれも全てひっくるめて、どれもが大切なお母ちゃんの香りなんです!

そんなどーでもいいようなことが、押しも押されもせぬ、マザコン親父の誇りなんです!


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「昭和Nostalgia」(419)

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こんな水中輪投げのような、とってもアナログな、昭和チックな遊びがぼくは好きでした。

ボタンをおして水流を巻き起こし、水に浮かぶ輪っかを、途中に設置されたピンの中に入れると言うシロモノ。

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ところがドッコイ!

せっかく苦労して、何個かの輪っかをピンに通したにもかかわらず、最後の一個の輪っかをピンに入れようと、ボタンを押して水流を巻き起こすと、あろうことかせっかく苦労してピンの中に入れた輪っかまで、水流のせいで浮かび上がってピンの外へと流れ出してしまうじゃないですか!

なんてぇこったぁ!

結局、そんなことの繰り返しで、一向に輪っかを全部ピンに通すことなんて、とっても容易ではなかった事を、今さらながら思い出してしまいます。

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って、もっともぼくが買ってもらえたのは、冒頭の立派で大きなウォーターリングなんかじゃあなくって、ポケットサイズの小さなものでしたですけどねぇ。


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「昭和Nostalgia」(418)

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これが何だか分かりますかぁ?

これは受話器を置くと、保留中の電話のBGMとして流れ出す、固定電話の受話器を置く専用のオルゴールです。

黒い固定電話の送話口と受話口側を下向きにして、オルゴール上部のアームに置くと、中央の丸いボタンが押し込まれ、オルゴールが回り出してBGMが奏でられると言う仕組み。

さすがにわが家にゃあ、こんなお洒落なものなどありませんでしたが、裕福そうな友の家で見かけた事があり、それが一体何であるのか?友に尋ねたものでした。

何とも美しい音色がして、うっとりとしちゃった記憶があります。

その他にも、

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お洒落な小物入れの蓋を開けると、音楽に合わせバレリーナが踊り出すものやら、

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中にはこんな置時計のからくりオルゴールなんてぇものも、どこかのお宅で拝見した気がいたします。

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まぁ後になって、ぼくが買ってもらえたオルゴールは、こんな手回し式の子供騙しのものであった気がいたします。

それでも愉しくって、オルゴールが奏でる調べを聞き入っていたものです。


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「昭和Nostalgia」(417)

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小学校の低学年の頃は、学校から帰ると卓袱台の上に、テンコ盛りの蒸し芋が、まるで手ぐすねでも引くかのようにデーンと待ち構えていたものです。

もちろん3時のオヤツは、その蒸し芋だけ!

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「さぁ、お腹一杯召し上がれ~っ」てな調子で!

さすがに毎日毎日蒸し芋だけじゃあ、もう辟易としたものです。

でも朝から晩まで、家事や内職の針仕事に追われるお母ちゃんの姿を見ていると、子ども心にもそんな贅沢など、さすがに言えなくなったものでした。

果たして、鹿児島生まれのお母ちゃんは、薩摩芋の蒸し芋が好きだったのか?それとも安上がりで、腹持ちも良かったからなのか?

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お母ちゃんは針仕事の手を止め、蒸し芋を旨そうに頬張り、冷めた湯呑の番茶を一啜りしていたものです。

今度のお母ちゃんの祥月命日には、ぼくが一丁張り切って、蒸し芋でも作って、供えてあげるとするかぁ!


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「昭和Nostalgia」(416)

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これをご覧になって「懐かしいなぁ~っ」なんてお思いのあなたは、押しも押されもせぬ立派な昭和人に違いありません!

新幹線や飛行機の肘掛けで見かけた、灰皿ですねぇ。

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JRの在来線には、こんな灰皿が取り付けられていたものです。

その他にも、

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こんなファミリー向けのお店でも、堂々とこんなロゴ入りの灰皿が、当たり前のように渦高く積み上げられていたものでしたねぇ。

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中には、こんなオモシロい灰皿も!

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そう言えば二十歳の頃、小中と同級生だった女性が、陶器のデザイン会社に勤めたとかで、自分が企画デザインした灰皿だとか言う事で、これとそっくりな水洗様式トイレ型の灰皿をいただいたことがありました。

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ちゃんとタンクに水が入り、煙草の火が消せるというスグレモノ!

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それにしても、あの時いただいたトイレ型の灰皿、いったいどこへやら?

家のお父ちゃんは、こんな灰皿を使っておりましたですねぇ。

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お父ちゃんが旨そうに煙草を吹かしていた姿も蘇るようです。

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こんな吸殻をボタン一つで始末できる、画期的な灰皿も見かけましたねぇ。

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さすがにこんな、自虐的な灰皿には、お目に掛ったことがありませんが!


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