今日の「天職人」は、愛知県豊橋市入船町の「ネオン管職人」。(平成22年5月29日毎日新聞掲載)
男やもめの旅の宵 夜の長さを持て余し 下駄を鳴らして漫ろ行きゃ ネオン瞬く花の街 男心を弄び 揺れてネオンが袖を引く どうせ一見ばかりなら 惚れた女の名の店へ
愛知県豊橋市入船町、昭和十五(一九四〇)年創業のトキ工芸社、四代目ネオン管職人の土岐光吉さんを訪ねた。

街にネオンの灯が瞬き出すと、居ても立ってもいられない。
そんな若かりし日もあった。

哀愁漂う、儚げな淡い灯かりの下。
今夜も、男と女の恋物語が生まれる。
「ネオン管の修行は、ちょうど30歳になってから、単身で広島へ。そしたら親方から、『そんなもん20歳までに来んとあかん』って、いきなり言われて。もう歳食い過ぎとったし、体の柔軟性も無く、固まってまっとったで」。

光吉さんは昭和32年、3人姉弟の長男として誕生。
「父はペンキ屋継いだもんの、『いつまでもペンキ屋だけじゃ食って行けん』と、戦後しばらくして看板屋に鞍替えただあ」。
高校を出ると、脇目も振らずに家業へ。
時代は高度経済成長から、安定成長期へと向い、郊外型の大型ショッピングセンターの進出が相次ぎ、屋外看板の需要も拡大した。
「だいたいネオンサインは、同じ看板でもワンランク上。でもネオン管職人が少なく、外注で頼むと手間賃だけで4割持ってかれるだ」。
昭和61年、知人の紹介で理恵子さんを妻に迎え、一男一女を授かった。
「家族も増えることだし、いつまでもネオン管外注しとれん」。
新妻を残し、単身広島へと向った。
「とにかく40日間、地獄の味わいだわ。周りはみんな一回りも歳が若いらあ」。
とにかく一日も早く技術を手に、家族の元へ戻りたい一心で、誰よりも早く技術を身に着けた。
直径わずか14㍉、長さ1670㍉のネオン管製作は、まずネオンで描く文字原稿を、原寸大の版下にする作業に始まる。

「昔はネオンと言ったら、ネオンガスを入れた赤色と、アルゴンガス入れた青色のたったの2種類。でも今は、ガラス管の内側を、顔料で色付けしたものもあって、色数がようけ増えた。それでも、さすがに金銀の色は出せんだあ」。
次に文字の形状に合わせ、ネオン管をバーナーで炙りながら曲げ、管の両端に電極と排気口を取り付ける。

「とにかくネオンは曲げが命。曲げたら今度は焼き。200~250度がガラスの融点だで、そのちょい手前まで焼いて、管の中の微生物を焼き殺し、ガスを注入するだ」。
そして排気口を密閉し、管が冷めるのを待って通電。
丸2日仮点灯を続け、クラック(割れ目)や、ネオンの色斑がないか確認。
「念入れて点検せんと、ビルの屋上とかへ取り付けてまって、不具合に気付いたら大事らあ」。
そしてチャンネル文字など、屋外看板の躯体に取り付け完了。
「それでも青色のネオン管に鳥が突っ込んだり、虫が寄って電極突っついて、漏電したりするだで」。
観光客を虜にする100万ドルの夜景。

人はなぜか、遠くで瞬くネオンの灯りに、様々な思いを馳せ心を揺らす。
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アルコールを呑まない私は「ネオン街」なんて無縁!
けどさぁ~⤴
夜間、飛行機で滑走路へ向かう途中、上から街のネオンって綺麗だねぇ!
なんか?落ち着くねぇ!
確か!オカダさんの曲にもあったねぇ!
「あ~~ぁ~街にネオンが灯りゃぁ~♬」
ネオン街は、男の憧れかぁ?
違うねぇ!
夜に飛び交う「夜の蝶」が目当てだねぇ!
あたしゃ~⤴夜の蝶には興味ないけどさぁ!
絶対に!と言われると、絶対とは言い切れない・・
コロナの出現で、ネオン街の様相も、これまた変わってしまっているのでしょうねぇ。
まあ、ネオン街に足を運ばなくなって久しい家呑み派ですし、今更ネオン街をあてもなく彷徨う気も全くなくなっちゃいましたねぇ。
写真だけを見ると 同じネオンでも雰囲気が全く違って…
不思議な魅力があります。
ネオン管ひとつは とっても明るくて華やかなんだけど な〜んか 灯りの向こうが霞がかかったような感じがして ちょっぴりセンチメンタルな気分になる気がします。
確かに確かに。
ぼくもセンチな気分になっちゃいます。
遠くから眺める色とりどりのネオンも素敵ですが、昭和オヤジとしては、やっぱり裸電球の灯りの方が、優しい気分になれて好きです!