今日の「天職人」は、三重県松阪市大石町の「伊勢どんこ職人」。(平成20年7月15日毎日新聞掲載)
玄関先にランドセル 放り出したら香り立つ 干し椎茸の出汁の香が 今日の煮物は何じゃろな 日没までの草野球 お腹の虫も騒ぎ出す 夕餉の煮物あれこれと 思い巡らし帰り道
三重県松阪市大石町のしいたけ屋青木林産園、二代目伊勢どんこ職人の青木茂さんを訪ねた。

「『おいちゃん、椎茸ってタイムカプセルみたいやなぁ』って、菌打ち体験に来た子どもらが不思議そうに言うんやさ」。茂さんは、子どものようにキラキラとした眼で語り続けた。
茂さんは昭和28(1953)年、二人兄弟の長男として誕生。
高校卒業後、岐阜県高山市の自動車整備専門学校に学び資格を取得。
昭和48(1973)年に名古屋へと居を移し、建設機械販売会社に勤務。
高度経済成長に沸き返る時代、各地を営業で飛び回った。
それから5年。
当時、携帯電話は高嶺の花。
営業マンの必需品は、ポケットベルが主流を極めていた。
「気がついたらポケベルがあらしませんのさ。えらいこっちゃわってなもんで」。
ポケベルは失くしたものの、その代わりに生涯の伴侶を得ることに。
「拾ってくれたのが家内ですんさ」。
ポケベルも無事手元に戻り、やがて二人は恋仲へ。
昭和55(1980)年、2年間の恋を実らせ伊勢市出身の妻を得、やがて一男一女を授かった。
家庭を築き子を得て、すべてが順風満帆かと思われた。
だが3年後、転勤の内示と共に妻も発病。
「転勤先は松阪やったんやけど、家内が入院することんなってもうて、これを機に実家で親父の跡継いで、干し椎茸でも作ろかって。そんでもあきませんわ。いい値で売れたんわ最初の1~2年だけ。昭和59(1984)年になると中国産の輸入に押されてもうて」。茂さんは懐かしげに笑い飛ばした。
捨てる神あらば拾う神あり。
既に茂さんは、ポケベルで織り込み済みだ。
中国産に押されるならば、安さだけの勝負では歯が立たぬ。
自問自答の末たどり着いたのが、菌床(きんしょう)栽培に対する原木栽培。

菌床栽培とは、大鋸屑(おがくず)や綿殻に衾(ふすま)や米糠など、人工的な栄養剤を混ぜた床に菌を植え付け3~4ヵ月で栽培する手法。
それに対し原木栽培は、ナラやクヌギの原木に菌を植え無農薬無添加で、半年から1年以上かけ天然栽培する方法だ。
何より手間隙と忍耐、それに椎茸への愛情が不可欠である。
原木に最適なナラやクヌギは、地中から水や養分を吸い上げ冬に備える。
「吸い上げるのを止めて冬眠する頃に根切りして、翌年1月に1㍍ほどの長さに玉切りするんさ。そこに鉈目を入れ、金槌で60箇所くらいに菌打ちやわ」。
干し椎茸の場合、3月頃に植菌(しょくきん)し1年半後にやっと「秋子」が出て収穫へ。
その後「寒子(かんこ)」「春子」「藤子」と順に収穫となる。

原木は3度目の春を迎えると、全ての養分を椎茸に捧げその命を終える。
椎茸の王様、伊勢どんこは、三部開きの蕾状態のものだけにその名が冠される。
「どんこの柄は、天然の風雨が描いた文様なんさ」。

朝採りどんこを職人は、我が子のように愛しげに見つめた。
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こんにちは。
・伊勢どんこ職人のお話ですね。
・どんこは、椎茸の事だったのですね。勉強になりました。
・私は、きのこ類(椎茸,えのき茸,舞茸,松茸,ぶなしめじ等)は、好きですね。
・きのこは、原木に菌を、付けて作るのですね。
・きのこは、炒めても、味噌汁の具材 出汁、お鍋の具材,焼いても良いですね。
「天職一芸〜あの日のpoem286」
「伊勢どんこ職人」
どんこにも取れる季節によって
こんなにも可愛らしい名前があるのですね。初めて知りました。そして、ものすごい愛情がそそがれていたのですね。
若い頃に家の小屋の湿気った所に立てかけておけば良いと頂いた木が立てかけて
ありましたけれど 生姜醤油で食べる事が出来なかったはずですね。
やっぱり何であっても、手塩にかけて育てられたものは、愛情たっぷりに育って美味しくなるってことですよね。
( ◠‿◠ ) 収穫する時期によって付く名前が 秋子*寒子*春子*藤子 って どういう意味があるんだろう? 全て「子」が付いてる。
『 細雪』の四姉妹を思い出してしまいました(笑) 。四姉妹も全員「子」が付きますからね。
つい こういう事が気になっちゃうんですよね。
どんこ 肉厚で美味しいんですよね〜。
生のどんこは そのまま焼いて お醤油やお塩をつけて頂くのが一番好きです。
肉厚のどんこって、まるで上質なお肉を頬張ったような、あの弾力のある食感が堪りませんものねぇ。