「天職一芸~あの日のPoem 220」

今日の「天職人」は、三重県四日市市の「バーマダム」。(平成十九年二月六日毎日新聞掲載)

紫煙が燻(くゆ)る止まり木は 儚い恋を幾つ知る    今宵も扉軋ませて 傷心者がまた一人          頬杖付いて物憂げに 男はジンを飲み干した       マダムの酌に酔い痴れて 砕けた恋の傷癒す

三重県四日市市のバー、舶来居酒屋「エルザ」。マダムの浜田横子(ようこ/仮名)さんを訪ねた。

店先の看板に柔らかな灯りが燈る。

重たい木製ドアを開けると、一直線にバーカウンターが続く。

ハイチェアーは背もたれに糊の効いた純白のカバーを纏(まと)い、客の来店を待ち構えるよう入口に座席を向け整然と居並ぶ。

「椅子が『いらっしゃいませ』って、言ってるようでしょう」。少女のように愉しげに、老婆はコトリと笑った。

横子さんは昭和四(1929)年に横浜で誕生。

激化する戦火を避け、父親の海軍工廠(こうしょう)赴任に合わせ、三重県津市へと疎開。

女学校の高等科に学び、和裁にも打ち込み終戦を迎えた。

「和裁の先生が好きでして、ご夫婦が東京へ引っ越されちゃったの。だからしばらくして私も追うように上京しちゃったの」。

しかしそれが人生の転機に。

和裁の先生が縁談話を持ち込んだ。

「戦後間も無い頃だから、男性がいなくってね。必死で探したって八つや十は離れてるわけよ。その中でも一番若かったのが主人だったわけ」。

昭和二十四(1949)年、万平さん(仮名)と結ばれ、二人の子供を授かった。

「サラリーマンの夫が希望だったの」。しばらくは横浜で平穏に、親子水入らずの暮らしが続いた。

昭和三十(1955)年代に入ると、高度成長経済期へ。

そんな頃、万平さんに名古屋への転勤が命ぜられた。

「兄夫婦が四日市にいましてね。しばらくすると、兄嫁と私と妹の三人で、バーを開こうって話になりまして」。

とは言え、誰もが素人。名古屋の人気バーから、バーテンダー三名を引き抜き、昭和三十三(1958)年に開店。

「最初は『カトレヤ』って名前で、マッチも名入りで作って案内状も印刷して。開店一週間前って時に、すぐご近所に『カトレヤ』って店名のタバコ屋さんがオープンしちゃってね。慌てて店の名前を変えたわけ」。

四日市一お洒落な店の誕生に、店は大賑わい。

ところがその半年後、兄夫婦が離婚。店から兄嫁が去った。

それから程なく、今度は妹が結婚で退職。

「私はおしぼり巻きとか、下働き専門の約束だったのよ。カウンターの中が苦手で、いつも隅っこに隠れてたわ」。二人のパートナーが去り、ついに横子さん一人っきりに。

「それで困り果ててたら、主人が退職してこの世界に飛び込んで来てくれたの」。

現在も店内は開店当初そのまま。

柱は磨き上げられた、無垢のラワン材。

デコラ貼りのカウンターも椅子も。

中でもカウンターと椅子高のバランスは絶妙。故に不思議なほど落ち着く。

だから未だに半世紀通い続ける客や、三代目に世代交代した客が訪れる。

「酒は売るけど、媚は売りませんから。それが私の信条。だから一滴たりとも飲みません」。ともすれば容易に、どこまでも流されかねぬネオン瞬く世界。マダムは厳しく己を戒め、半世紀を生き抜いた。

「来年九月で満五十年ですから、皆でお祝いをしましょうって愉しみにしてたの。でも二年前に主人が他界して」。目を細め、カウンターの一箇所を見つめた。

恐らくそこがマスターの立ち位置だったのだろう。

「だから私は、少女からいきなり老女になっちゃったのよ」。

乙女から妻として生きた半世紀の記憶は、最愛の伴侶の死をもって永遠に封印された。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 220」」への7件のフィードバック

  1. 五十数年の人生で一度もこういうお店に行った事がないお子ちゃまです。
    一人じゃ入る勇気がないですからね(笑)
    よくドラマで 仕事帰りに女性一人で行きつけのバーに立ち寄って 飲みながら店主に愚痴を言う…なんて場面があるけど やっぱり人に惹かれて自然と足が向くんでしょうね。
    このお店も長く続いてるって事は きっとマダムのお人柄!
    いいなぁ〜。私もこんな素敵なオアシスがあればなぁ〜( ◠‿◠ )

    1. Barの止まり木は、仕事や人生にちょっぴり疲れちゃった時に、ほんの束の間羽根を休めるのにゃあ、何とも相応しいものですよねぇ。

  2. 柳ヶ瀬も まだまだ こんなレトロなお店が いっぱい ありますよ ~ (⌒‐⌒)

    ご夫婦だったり 美人姉妹だったり 以外に多いのは 離婚経験者 お母さんと娘さん !!
    ご苦労された店主のほうが 悩み事の相談もしやすいし、お話し上手のような気がします ◆

    墓場迄持って行くようなお話 沢山あるんでしょうねぇ (/≧◇≦\)

    1. 呑んで酔って、心の中に燻ぶった痛みをほんの少し吐き出すだけで、心が軽くなっちゃうんですものねぇ。

  3. お酒は好きでないし呑みたいとも思わないけど
    こんなお店だったら、お馴染さんになって
    美熟女のママと世間話でもしながら
    ウーロン茶ロックでプッハァ~⤴
    いいね~~ぇ⤴

    1. そいつぁー、物凄くお高いウーロン茶になりますぞ!
      下心が見え見えで!

  4. おはようございます。
    ・バーマダムのお話ですね。
    ・色々な種類のカクテルが、有りますね。
    ・私は、子供の時も今もバーに行った事が、ありません。恥ずかしいですね。
    ・バーには色々なお客様が、見えるのですね。

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