
ベイブリッジの右手に見える赤茶けた建物がワ・ラッセです。
ワ・ラッセを出ると、青空が広がります。

ベイブリッジの下を抜け、青森港に向かうと、何やら船が!待てよ!青森駅から直ぐの港に停泊する船と言えば、まさかかつての「青函連絡船」?

近付いて見ると、なんとなんと青函連絡船の「八甲田丸」ではないですか!資料によると、1964(昭和39)年8月12日就航。1988(昭和63)年3月13日最終運行。歴代55隻の青函連絡船の中で最も長い23年7ヵ月の間、津軽海峡を往復し、最終航行船としての大役も果たしたのだそうです。

青森駅を出た列車は、この専用引き込み線の上を走り、青函連絡船の1Fにあたる車両甲板(Railway Car Deck)に納まり、そのまま函館へと向かっていったのです。
一度は青函連絡船で、函館へと渡って見たかったものです。
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どこを見渡しても絵になりますよね。
眩しいくらい気持ちいい(^。^)
青函連絡船なるもの初めて知りました。
連絡船の中に列車が入っちゃってたの❓
私が小さい頃 船で九州に帰る時 車が船に入る事が不思議だったけど 列車も入っちゃうなんて…
そうなんです!
船の中にちゃんと線路があるんですもの!
これから順を追って、船内をご案内いたします。
おはようございます。景色が綺麗ですね。青函連絡船「八甲田丸」大きいですね。23年と7か月運航したのですね。八甲田丸の歴史,連絡船が有った事知りませんでした。勉強になりました。(演歌では連絡船と言う言葉を聞いた事は、有りますが、写真で連絡船を、はじめてです。)
青い空 お空が綺麗ですね。オカダミノルさんお天気が、晴れてて良かったですね。
八甲田丸とオカダミノルさんが一緒に写っている写真良いですね。素敵ですね。
八甲田丸を、見れて良かったですね。
洒落た街路灯、
その後ろには斜張橋。
そして青空!
恋太の瞳にはサイコーの御馳走です。
青函連絡船!!
「八甲田丸」かどうかは不明ですが、
北海道育ちの恋太。
連絡船に乗船して内地へ渡りました。
出航の際に鳴り響くドラの音に驚いたのを覚えています。
幼少の頃なので、
”裕ちゃんみたいにデッキで潮風に”
ってなわけではありませんでしたが・・・(ू′o‵ ू)*✲゚
そうでしたか!道産子でおいででしたか!
しかし旅情あふれる青函連絡船の旅。
乗船できなかったことが、今更ながら悔やまれる思いです!
キャー何々この青空(*^▽^)/★*☆♪
厳しい冬の前の穏やかな日、オカダさんの顔も凄く穏やかな?❓️?帽子の影とサングラス️が重なってわかりましぇ~~ん(笑)
それよか列車ごと函館へ行き線路を走る。津軽が終点じゃないんですね?函館が終点なのかしら?今は青函トンネルで海の下を走るんですよね。
そうですねよね。
昔は、真冬でも津軽海峡をこの青函連絡船が行き来していたと思うだけで・・・ムムム、嗚呼船酔いが!
洞爺丸沈没やいろいろ歴史のある青函連絡船
一度乗ってみたかった…
宇高フェリーも鉄道が撤退して…
そういえば
洞爺丸沈没の時、9隻のフェリーが湾内で沈没
しかし、洞爺丸以外は貨車を運んでいたので
注目されなかった
悲しいじけん
詳しいねぇ!
その昔、カートレインって言って
貨車に自分の乗用車入れて自分たちは寝台車に乗り込み移動する手段もありましたが、需要が伸びず廃止
しかし、活気的でした
その後、西濃運輸や福山通運など大手運送屋が貨車にトラックを載せて走らせてました
そのトラックはターミナルにつくとすぐに配送できる仕組みで取り組みましたがこれも廃止
さすが、雑学王!
青函連絡船は懐かしいです。上野から急行に格下げされた元祖20系ブルートレインに12時間以上乗って青森から青函連絡船に乗ってカーペットに横たわった事を思い出しました。食堂で塩ラーメン食べたしあの旅情は格別でした。
それは思い出深い旅でしたねぇ。
BGM・津軽海峡冬景色!
その通り!
だって八甲田丸から「津軽海峡冬景色」が、ず~っとエンドレスで流れていましたもの!
ぼくが行った時は、秋酣でしたので、ちょっと季節感が違いましたが(笑)
青函連絡船は私の生まれる前だったので記憶にありませんが、小学生のときに上野駅から寝台特急で札幌まで行ったことがありました。
その時に通った青函トンネルの異常の長さに驚いた印象があります。
幼いながらの長旅、さぞや大変だったでしょうね。
でも、沢山の想い出も手に入れられたはず!
羨ましいですねぇ。