今日の「天職人」は、岐阜市真砂町の「秤屋(はかりや)女主人」。(平成十七年五月十日毎日新聞掲載)
計り知れない思いの丈を 文に託した初恋は 春にそよ吹く風まかせ 揺ら揺ら花を巡る蝶 君の便りを待ち侘びながら 明日は届くと言い聞かす 郵便受けを覗き込み 我に帰れば蝉時雨
岐阜市真砂町でハカリ・モノサシ・マスを扱う、小林清計量器店二代目夫人の小林照子さんを訪ねた。

「まあ、月にせいぜい五~六人しかお客さんも無いし、もういつ店閉めても何んともないんです」。いきなり廃退的な言葉が飛び出した。
照子さんは、旧本巣郡神戸村に大地主の四女として、昭和二(1927)年に誕生。
三つも蔵のある豪農の実家では、庄屋のお嬢様として何一つ不自由のない幼い日を送った。
しかし平穏な日々にもやがて陰りがさし始め、昭和の暗黒期へ。
高等女学校を出ると、専攻科へと進学した。「挺身隊逃れやったんです」。既に時代は、引き返すことの出来ない、戦争の渦へと巻き込まれていた。
昭和二十(1945)年七月九日、B29の大編隊が岐阜市に襲来。無数に降り注ぐ焼夷弾に、人々は逃げ惑った。「岐阜が燃えとる」。照子さんは長良川の堤の上から、対岸で真っ赤に燃え上がる、岐阜の惨状を呆然と見つめた。
ラジオから玉音放送が流れ、多くの人の命と引換えに、忌まわしい戦争が終結。終戦と同時に、戦勝国アメリカの価値観が、GHQと共にこの国を支配した。
昭和二十一(1946)年十月、第二次農地改革案が成立。国は低価格で農地の所有権を、地主から強制的に譲渡させた。
もちろん照子さんの実家でも、大半の農地を解放。実家は一夜にして、大地主からただの農家へと没落。その時の心労が祟ったのか、実父は程なく息を引き取った。
昭和二十四(1949)年、縁あって計量器店を営む小林家に嫁いだ。「商売屋さんは、親戚中一人もいなかったの。だから不安で。でも、主人の学歴に惚れてね。だってそれしか、他に頼るものがなくって」。ご主人の故一さんは、当時岐阜大で講師を務めていた。
「だから店の切り盛りは、すべて主人の両親」。戦時中、度量衡器(どりょうこうき)を扱う計量器店の開業は、信用を第一とし、三代前の家系まで調べられる有り様であったとか。

「私は今でも、この商売に興味にゃあです。だから私の仕事は、炊事洗濯に子育て。それと口述筆記で、主人の論文執筆をお手伝いしてた程度」。やがて一男一女を授かった。

まるで昭和の後半で時代が止まった様な店内には、竹の物差、差金、計測器、量器、枡(ます)、秤(はかり)、ノギス、折り畳み式物差など、三百種類の計量器が居並ぶ。

今から十三年ほど前、義母が高齢で引退。已む無くその後を、照子さんが引き継いだ。「店に入って来るお客さんは、必要に迫られて買いに来るんだでねえ。私はただ売るだけ。買いに来る人の方が、商品のことをよう知っとるくらい」。照子さんは、なんともあっけらかんと笑い放った。
商品の仕入れも売価も、卸屋まかせ。「売れよが、売れまいが、あんまり気にならんでねえ」。お客に値切られても、あっさりと応じる始末。「だってそれも愛想もんだから。気は心やし」。

世が世であれば、何の不足もない大地主の娘。しかし時代の天秤ばかりは、右に左に吉凶を乗せ大きく揺れた。
商家に嫁ぎ半世紀。岐阜大名誉教授として退官した、惚れた夫の論文を、照子さんはまるで自分の作品でもあるかのように、誇らしげに手にした。
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おはようございます。
秤屋女主人のお話ですね。
昔は、秤屋 商売で有ったのですね。
計量機は、色々な種類が有るのですね。
(最初の写真)私は、秤見た事有りません。
中学の家庭科の授業で使っていた、竹の50㌢もの差しをまだ持っています。裏にはしっかりと旧姓が書いてあるんですよ。なんと、この物持ちの良さ⤴️
わかるぅ~っ!
昭和人間は、そうやってモノを実に愛着持って所有したものです。
ぼくもよく母が裁縫で使う、竹の50cm物差しを「こらっ!背中を丸めてマンガばっか読んどると、猫背になるぞ!」と、背中に物差しを突っ込まれましたぁ!
黄色い物差し?懐かしい~~!
昔、家にありました。それと、竹で出来た物差し!
これも、また、懐かしい「昭和の時代」ですねぇ!
私の好きな言葉「杓子定規」
今の時代、本当に何が?起きるか分からない・・
これは、こうだ!こうなんだぁ!
なんて事は有りません!
世の中「杓子定規」で図ったようには行かな!
皆さんも、よぉ~~く⤴
物事の本質を見極めて下さい。
取り敢えず「オレオレ」「オレだがや~ぁ」には気を付けて・・!
でもって、皆さんが貰える給付金の10万を私の口座に振り込んで下さい。
半沢直樹の私に預ければ!倍返しだぁ⤴
こういう輩に、みなさんくれぐれもご用心ご用心!
竹の50cmの物差し…懐かしい〜
家庭科の時間に チャコペンシルで知るしを付け際 物差しに色がついちゃったったりして。
写真の黄色の折り畳んである物差しや直角の物差しは 確かまだ実家にあったような。父親は手先が器用だったので 電気系から大工仕事まで(料理も) なんでも自分で直したり 作ったりしてましたから。
あっそう言えば 中学の国語の先生や高校の生活指導の先生が 竹製の長〜い物差しを持って ウロウロしてました(笑)
ぼくなんて中学になった時、悪ふざけをして先生から、大きなT定規でゴツンとお目玉もいただいたものでした。
* 秤・ 物差し *
私には無くてはならない物です
秤は 息子が幼稚園に入ってた頃から クッキー作りが好きだったので 小さな手で 目盛り通りに 材料を足したり 減らしたりしてましたが、今この秤で私は小さな怪獣君宛の郵便物を量っています
((o(^∇^)o))
そして 物差しは その 小さな怪獣君達の 甚平、エプロン ワンピース 等を作る為に 木の物差しや プラスチック製 洋裁専用のカーブした物差しを使っています★
コロナでの 自粛生活 今の楽しみになっています (^-^ゞ
実家の調理場には 30 センチ四方くらいの 秤が置いてあった事を思いだしました (o⌒∇⌒o)
お孫ちゃんたちへの、手作りのプレゼント!
素敵なことですねぇ!
きっと大切にしてくれていることでしょう。
コロナも満更ながら、忘れていた事々を思い出させてくれ、時間配分のあり方を見直させてくれているのかも知れませんよねぇ。