今日の「天職人」は、名古屋市中区の「夫婦社交舞踊講師」。(平成十七年三月十九日毎日新聞掲載)
月の明かりに波打つ調べ 砂の舞台にステップ刻み 舞姫踊る春の海 腰に手を添え波打ち際で 君に寄り添い月夜に舞えば 素足に絡む春の波
名古屋市中区のハヤシダンススクール・林秀雄さんを訪ねた。

「『世界二十カ国くらい、新婚旅行で回った』って、そう思うようにしてるの。本当の新婚旅行には、連れて行ってもらってないから」と、妻の美恵子さん。「あの頃はまだ、今のような時代じゃありませんでしたし」。昔のアルバムを広げ、夫の秀雄さんは照れ笑い。
秀雄さんは昭和六(1931)年、三重県伊勢市に誕生。旧制中学卒業を控え、アマチュアのドラマーとして、ダンスパーティーに出演。ダンスの華麗さに魅せられた。
卒業後は伊勢税務署に就職し、その二年後、憧れの舞踊教室に入門。その後は、名古屋国税局へと転勤となり、昭和二十九(1954)年に税務署を辞し、ダンス教師を目指した。
翌年、ダンススクールの恩師がつぶやいた。「おいっ、林君。この娘とペアを組んでみろ」。勿論二の句などあろう筈も無い。恩師を敬うからではなく、美恵子夫人の美貌に一目惚れだったからだ。
こうしてプロ選手として競技会への出場が始まった。この年昭和三十(1955)年は、ダンス維新の夜明けの年でもあった。
明治の鹿鳴館に始まり、モボ・モガ時代を経てこの年まで、日本のモダンダンスは、ステップが図解された教則本を模倣する「ブックダンス」が中心だった。
しかしこの年、イギリスの世界チャンピオンが来日。後楽園ホールに、全国からダンスファンがこぞって押し寄せた。
オープニングは、ワルツ。会場はその華麗な舞に、水を打った静けさ。「レベルが違いすぎて。チャンピオン本人も、『俺たちのダンスは、日本人に受けなかった』と一瞬思ったほど」とか。やがて割れんばかりの喝采が、会場を揺るがした。
翌年、教師試験に合格。昭和三十四(1959)年、ダンスのパートナーは、人生を共に歩む伴侶となった。そして新婚旅行を控えたその年、見事東海チャンピオンの栄誉を獲得。

翌年、夫婦のダンススクールを大須に開設した。 その後も数々の大会を制し、多数の後進を世に送り出した。「子供には恵まれませんでしたが、人に喜びを与える大好きなダンスの道を、この年まで二人で歩んでこれました」。実子に縁が無かったものの、教え子は星の数。
夫婦は間もなく喜寿を迎える今も、ダンスという共通の生き甲斐を得て、新婚旅行気分さながらに世界を巡る。
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社交ダンスは視るもの、競技ダンスなどをよく見ますが優雅に加えて力強さが必要かと私にはヤッパ郡上躍りのお囃子が一番(笑)
ぼくの大好きな先輩の奥様は、50を超えてからアルゼンチンタンゴにはまって、今でも本場アルゼンチンまで遠征されているようです!
おはようございます。
夫婦社交舞踊講師のお話ですね。
夫婦社交舞踊講師が、見えたのですね。 私は、知りませんでした。ブログで勉強になりました。
私は、社交ダンスを、やった事有りません。身内の中にも社交ダンスを、やっている人が、いません。
社交ダンスは、TVで、見た事有ります。
ワルツやタンゴ言葉を、聞いた事有りますね。 (映画) Shall we?ダンスで、社交ダンスを、やっていましたね。
やっぱりいいなぁ〜 社交ダンス。
短大生の頃 パートナーと一緒に名古屋のダンス教室に通ったり 競技会に出場する為 名古屋市公会堂や後楽園ホールにも行きました。
練習は物凄くハードだし パートナーと呼吸を合わせなきゃいけないので かなり大変だったけど 素敵なドレスを着てパートナーだけを見て 息を合わせて大舞台で踊るのは 特に大好きなワルツを踊っている時は まるで別世界のようで心地良かったのを覚えています。
やっぱりそりゃあ、パートナーのよりけりでしょうねぇ!
だってもし、あの超美熟女好きを自負される、あの落ち〇者どのだったら!
キャ~ッ
こりゃまた⤴
あっしには無縁のダンス!
ディスコなんて行った事がありません!
きっと、○ートさんの若い頃は「ブィブィ」言っていたんでしょうねぇ!
今は、学校ではダンス授業があるんでしょう!
今の時代に生まれなくて良かった!
きっとダンス授業中は「腹痛」で保健室
保健室と言えば美人?の保健師さん
小中時代、保健師さんが美人だったかは忘れた!
だって!美熟女保健師さんだったら絶対に忘れない!
あ~ぁ~⤴今日は美熟女の話は止めようと思ったけど・・・
仕方ないねぇ!
病気だもん⤴
ぼくなんてディスコに誘われ、止む無く3回行きましたが、ディスコの隅の席で酒ばかり飲んでましたもの!
だったら赤暖簾潜った方がぼくにはよっぽどよかったような・・・。
オカダさんが苦手な ダンス ‼️‼️
取材された時に 教えて貰えば良かったのに~ (。^。^。)
私も20代後半 お姑さんに誘われ 社交ダンススクールに通っていました。
3年位で辞めてしまいましたが、お姑さんはどんどん上達し、 スパンコールをいっぱい付けた衣装を自分で作ったりして 70代後半迄 色々な大会に出場されていました 。
ダンスを続けていた事で 足腰が丈夫になり、80歳を過ぎてもヒールの靴を履いて ひ孫達と一緒に お出かけされていますよ ~ ((o(^∇^)o))
すっごいお姑さんですねぇ。
実はぼくも取材の後、先生のスクールに伺い、マイシューズまで買い込んで先制の奥様にパートナーを組んでいただきましたが、そもそも最初のボックスの足取りさえおぼつかず、そのまま断念してしまったものです!