「昭和Nostalgia」(543)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook

P20kotonohaのコピー

フルサイズの長文は、こちらから!

飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

小学生も半ばの頃、近所に暮らしていたM君家に、当時の草野球少年にしたら、まさに垂涎の的としか言いようもないほどの、ピッチングマシーンとやらがお目見えしたと、瞬く間に噂が飛び交ったものでした。

そして腕白坊主共は、M君家の前にたむろし、一目だけでもそのピッチングマシーンとやらを拝したいと願ったものでした。

そう言えばそのM君家は、近所でも評判のお金持ちのようで、玄関先には新車のトヨペット・コロナがピッカピカで、燦然と輝きを放ちながら置いてありました。

写真は参考

M君家は、一つか二つ年上のお姉ちゃんと、いつも背広姿でビシーッとしたお父さんの三人暮らし。

M君もお姉ちゃんも思い返せば、そこらの腕白共やお転婆娘とは異なり、身なりも良かった記憶があります。

でもそんな当時は、腕白共もお転婆娘たちも、まだまだファッションになど全く持って関心も無く、M君やM君のお姉ちゃんが、どこよりも真っ先に買ってもらう、新しいオモチャの方に興味津々だったように思います。

写真は参考

ぼくもやっとのことで、M君家の座敷に上がり込み、ピッチングマシーンから繰り出されるプラスチック製のボールを、やはりプラスチック製の擂粉木を少し長くしたようなバットで、バッティングをさせていただきはしましたが・・・。

やっぱりブニョブニョの生ゴム製の軟球を、木製バットで打ち返す時の、あのリアルな感触とは一味も二味も違って感じられ、ちょっぴりガッカリしたものです。

当時、昭和43(1968)年に任天堂から発売されたと言う「ウルトラマシン」は、1.480円だったと記録されていますから、今の価値にしておいくらくらいのモノだったでしょうかねぇ?

少なくともぼくの周りでは、M君家で見掛けたキリでした。


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和Nostalgia」(543)」への6件のフィードバック

  1. あ~ぁ⤴
    うんうん、ありました。
    けど、それはそれは、高嶺の花でありました。
    野球道具さえ持っていなかったのに
    三角ベースでも誰が持って来たのか?
    軟式テニスの柔らかいボールで、
    バットの代わりに手で
    グーで打ったりパーで打ったり・・
    今なら、ハナ垂れ小僧もみんな
    大谷翔平さん ❢

    1. やっぱ、草野球少年にとっちゃ、憧れだったですよねぇ!
      まぁね子供だましなモノに変わりはありませんでしたが!

  2. ウチも自家用車が無かったので、お向かいの製陶所の車庫に止まっていたクラウンとカロ─ラスプリンタ─が光り輝いて見えたものです!

    1. 昔は車が光り輝いで見えたものですが・・・。
      今は、車に魅力を感じられなくなっちゃいました。

  3. うちの近所に引っ越して来た同級生のM子ちゃん。時々コメント欄に書かせて貰った裕福なお家で 当時では珍しい出来上がった真四角な家をクレーンで運び2階建ての家が完成するのを遠くから見てた記憶があります。
    M子ちゃん専用の部屋もあったりおもちゃや漫画はいっぱいあるし 1階にはビリヤードがあって 真っ白な壁。M子ちゃんの髪型は 麻丘めぐみさんカットで 洋服も どこかちょっと違ってて。
    眩し過ぎて別世界でしたね。
    2回程お邪魔させてもらったけど 結局は 通学班のメンバーや近所の子達と外で走り回って遊ぶ日々(笑)
    それで大満足する時代でした( ◠‿◠ )

    1. 羨ましく眩いような、そんなお洒落な家の子っていましたねぇ。
      でも、負け惜しみなんかじゃありませんが、そんな子の家とは比べようのないぼくん家でしたが、それでもお父ちゃんとお母ちゃんがいて、そしてバカ犬ジョンもいて、それだけで十分に幸せだったものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です