臨時のお知らせです!「KIRIN BEER PRESENT’S オカダミノル ほろ酔い Live 2025~秋涼の候 in C♭」 キャンセルの空き枠も、お陰様で完売となりました!!!(※Liveの詳細は、8/21のブログをご参照願います。

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook
フルサイズの長文は、こちらから!
飛騨びと言の葉綴り~神岡町・山口正一さん – 飛騨市公式ウェブサイト
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

おまけの付いたキャラメルは、遠足用のお菓子にゃあ欠かせぬほど、それはそれは愉しみでならなかったお菓子の定番でした。

食玩と言う名のおまけのオモチャ欲しさで、ついついキャラメルを買ってしまう子たちも多かったものでした。

そんな中で、森永のキャラメルには、食玩は付いていなかったものの、ぼく的にはキャラメルの味が際立っていたように思えます。

グリコが「一粒300m」なら、森永は「世界を3まわり半」と、広告のコピーでもしのぎを削っていたようですねぇ。

いつかはこんな高級そうな、「フランスキャラメル」とやらを食べてみたいと思ったものでしたが、その夢かなわず、とうとう今さらキャラメル?ってな歳に成り果ててしまったものです。
昭和半ばの子どもたちを、魅了してならなかったキャラメルですが、国産キャラメルが誕生したのは明治の時代だとか。
その後、第二次世界大戦時に製造が中断。

そして昭和28(1953)年に砂糖の統制が解除され、菓子メーカーが一斉にキャラメルを発売したようです。
メーカーの宣伝競争も激しくなるばかりで、ヘリコプターを使った広告宣伝も盛んに行われたようです。
なんだかぼくも空を仰ぎ見たような記憶が・・・。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
グリコのオマケが後にチョコエッグになり、食玩のヒットにつながったように感じます。そして今は、フィギュア、ガシャポンに!
そうですねぇ。
ガチャポン!
でもぼかぁ、一度もガチャポンをしたことがありません。
カバヤのキャラメルは知りませんです。
他のキャラメルは食べた事がありますけど
グリコキャラメルのおまけが楽しみでしたねぇ ❢
昭和30年代はセスナから音楽を鳴らしビラを撒きながら
飛んでいた覚えがあります。
その「ビラ」を手に取るのも大変 ❢
ヒラヒラと舞っているのを見るばかりで♬
一度も手に取ったことが無い・・ ❢
そう言えばぼくも、セスナから舞い降りるビラを追い駆けたことはあっても、それを手にしたことはありませんでした。
キャラメルと言ったら グリコのキャラメルです( ◠‿◠ )
2枚目の写真のパッケージ。おまけ欲しさに買ってましたよ。
他のキャラメルも食べた事はあるけど やっぱり一番美味しいかったですね。
でも 今の私にとっては 硬い(泣笑)
ボンタンアメなら大丈夫かな⁈
キャラメルももう何十年と食べてませんが、同様にボンタンアメも食べてないですねぇ。
この先食べる事ってあるんでしょうかねぇ。
今は、キャラメルより飴を口にする事の方が多い。好きなのは郡上八幡桜間見屋の肉桂玉。ほぼ家にある。これが、名駅で買えちゃうんだよなぁ•̀.̫•́✧
桜間見屋の肉桂玉って、名駅で買えちゃうんですかぁ!
そりゃあ知りませんでした!
って、そもそも名駅当たりの人混みは、よっぽどの様がない限り、ぼかぁ足を踏み入れませんからねぇ。