「昭和Nostalgia」(464)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

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飛騨びと言の葉綴り~古川町・谷口充希子さん – 飛騨市公式ウェブサイト


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

出典::モリナガデジタルミュージアム

チョコレートの歴史を、モリナガデジタルミュージアムさんのHPを拝見しておりますと、こんな不思議なチョコレートが昭和5(1930)年に発売されていたとありました。

その名もズバリ「森永ハーモニカチョコレート」!

ぼくはてっきり、チョコの甘い味を愉しみながら、チョコで出来たハーモニカで、演奏を奏でられる、そんな画期的なチョコレートなんだと、勝手に早合点してしまいました。

参考

ところがそうではなく、包装紙30枚を送ると、「パール印ハーモニカ」が、そしてさらに100枚送ると「バナナ印ハーモニカ」がもらえると言う、販促キャンペーンの付いた商品だったようで、当時の価格は10銭だったそうです。

当時と今の貨幣価値を調べてみると、昭和5年当時はラーメンが一杯10銭程度だったと記録があり、かなり高額なチョコレートであったことになります。

なかなか幼い子どものお小遣いでは、とても手が出なかった気がいたします。

そんな高価なハーモニカチョコレートの販売促進として取り入れられたのが、その名の通りハーモニカであったわけですから、当時の多くの方がハーモニカを欲しがっていた、そんな時代であったのかも知れません。

写真は参考

そう言えば、家のお父ちゃんも、休みの日なんかにハーモニカを奏でてくれたものでした。

とは言え、お父ちゃんの十八番は、当時の流行歌なんかじゃなくって、童謡か軍歌と決まっていたものです。

お父ちゃんは招集され、中国戦線で敵の弾を潜り抜け、命からがら復員してまいりました。

束の間の青春を、あの忌まわしき戦争の犠牲にさせられたと言うのに、ハーモニカで奏でる曲が軍歌とは!

お父ちゃんは、あの忌まわしき戦争を、心から憎んだにせよ、戦地で命を散らした戦友と共に歌った軍歌は別物で、戦後の平和になった世でハーモニカで奏でる軍歌は、戦友への鎮魂歌であったのかも知れません。

どうかどうか、人が人を殺める戦争が、この世界から消え果ますように!


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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