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飛騨びと言の葉綴り~古川町・谷口充希子さん – 飛騨市公式ウェブサイト
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チョコレートの歴史を、モリナガデジタルミュージアムさんのHPを拝見しておりますと、こんな不思議なチョコレートが昭和5(1930)年に発売されていたとありました。
その名もズバリ「森永ハーモニカチョコレート」!
ぼくはてっきり、チョコの甘い味を愉しみながら、チョコで出来たハーモニカで、演奏を奏でられる、そんな画期的なチョコレートなんだと、勝手に早合点してしまいました。

ところがそうではなく、包装紙30枚を送ると、「パール印ハーモニカ」が、そしてさらに100枚送ると「バナナ印ハーモニカ」がもらえると言う、販促キャンペーンの付いた商品だったようで、当時の価格は10銭だったそうです。
当時と今の貨幣価値を調べてみると、昭和5年当時はラーメンが一杯10銭程度だったと記録があり、かなり高額なチョコレートであったことになります。
なかなか幼い子どものお小遣いでは、とても手が出なかった気がいたします。
そんな高価なハーモニカチョコレートの販売促進として取り入れられたのが、その名の通りハーモニカであったわけですから、当時の多くの方がハーモニカを欲しがっていた、そんな時代であったのかも知れません。

そう言えば、家のお父ちゃんも、休みの日なんかにハーモニカを奏でてくれたものでした。
とは言え、お父ちゃんの十八番は、当時の流行歌なんかじゃなくって、童謡か軍歌と決まっていたものです。
お父ちゃんは招集され、中国戦線で敵の弾を潜り抜け、命からがら復員してまいりました。
束の間の青春を、あの忌まわしき戦争の犠牲にさせられたと言うのに、ハーモニカで奏でる曲が軍歌とは!
お父ちゃんは、あの忌まわしき戦争を、心から憎んだにせよ、戦地で命を散らした戦友と共に歌った軍歌は別物で、戦後の平和になった世でハーモニカで奏でる軍歌は、戦友への鎮魂歌であったのかも知れません。
どうかどうか、人が人を殺める戦争が、この世界から消え果ますように!
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