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飛騨びと言の葉綴り~古川町・谷口充希子さん – 飛騨市公式ウェブサイト
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子どもの頃を過ごした町内にも、こんな火の見櫓がありました。
もう最近街中では、とんと見かけなくなってしまったものです。
二階建て家屋の2.5倍くらい、5階建てビルに相当する高さだったんでしょうか?
仮に今でも火の見櫓があったにせよ、高層ビルや高層マンションに取り囲まれちゃあ、その役割も果たせず仕舞いかも知れません。
子どもの頃は、火の見櫓の下から、見張り台部分を仰ぎ見たものです。
腕白坊主の中には、見張り台まで登ろうとする、血気盛んな輩もおりましたですねぇ。
高所恐怖症のヘタレなぼくなんて、火の見櫓の下から見張り台を眺めるだけで、既に足がすくんでしまうほどでした。

江戸時代は、時代劇で描かれるように、町火消しが中心で、町ごとに番屋が設置され、番太郎なる番人が常駐し、24時間態勢で警戒にあったとか。
この番太郎が町全体を見渡せるよう、番屋に櫓を組み、高いところに見張台を置いたことから、火の見櫓と呼ばれたんだそうです。
まあ俗に花のお江戸は、「火事と喧嘩は江戸の花」なんて言われるほど、しょっちゅう火事や喧嘩が頻発していたって事なんでしょうねぇ。
そして火の見櫓の上部には、半鐘が設置され、火災を発見した番太郎が警鐘を鳴らし、火消を招集すると同時に、町人に火災の発生を知らせる役割も担っていたんだとか。

江戸を皮切りに火消体制が整備され、火の見櫓は昭和の初期になると、全国ほぼ全ての地域に広がったそうです。
その名残か、各地には消防団ってぇのが、今でも残って活動されておりますものねぇ。
ぼくの通う床屋のご主人も、消防団員として、地域の活動に力を入れられております。
そうした地域の方々のご尽力があって、火災から地域を日々守ってくださっているんですねぇ。
ご苦労様でございます!
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多治見はまだ結構残っています。火の見櫓。ワタクシが住んでいる地区で一番高い構造物です。
地域のランドマークとしての機能もありましたよねぇ。
でも見張り台で半鐘が打ち鳴らされたら、消防車のサイレン以上に驚いちゃいそうでなりません!