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何かにつけぼくは不器用で、子どもの頃の遊びであったメンコもベーゴマも、ちっとも上手に出来ず、いつも対戦相手の上客となっていたものでした。
ところが唯一得意中の得意であったのが、ビー玉遊びの中の「メッカチ」!
ぼくらは「メッカチ」と呼んでいましたが、全国的には「目玉落とし」とかって呼ばれていたようです。
片目を閉じ狙いを定め、地べたに置いた対戦相手のビー玉目掛け、親指と人差し指で挟んだビー玉を、目の高さの位置から落とし、対戦相手のビー玉に命中させ、相手のビー玉を手に入れると言う、いたって簡単なビー玉遊び!

他のビー玉遊びは、これと言って特筆すべき腕前があったわけじゃありません。
でもこの「メッカチ」だけは、ほぼほぼ百発百中だったものです。
しかし、今じゃあそんなビー玉遊びに現を抜かしているような子どもたちは、すっかり見かけられなくなり、もうぼくの得意技の「メッカチ」も、無用の長物と成り果ててしまったようです。
って、その前にもう、老眼も近眼も乱視も進んじゃって、百発百中なんて無理!
万に一つってぇのが、関の山でしょうねぇ!

それはそうと、何でガラス玉をビー玉って呼んでいたのか、今さらながら気になって調べてみてビックリ!
まずビー玉らしきものは、紀元前の古代エジプトやローマの遺跡からも出土しているんだとか!
日本における「ビー玉遊び」の原点は、平安時代の「銭打ち」と呼ばれる賭博遊戯にあると言う説も!
そして江戸時代になると、「穴一(あないち)」と呼ばれ、子供の遊びとなって行ったのだとか。
その過程で、それらの遊びに用いられる道具も、銭から泥めんこ、ムクロジの実(ムクロジ科の落葉高木。黒色の種子は数珠に用いられる)と変って行ったようです。
そして明治時代になると泥玉が作られ、明治30年頃から大阪でガラスのビー玉が出まわり出したとか。
それはともかく、ぼくらが何の疑いも抱かずに「ビー玉」と呼んでいた、その名はどこから来たのか?
やはり諸説あり、ポルトガル語でガラスを意味する「ビードロ」を略した名称とする説やら、ラムネ瓶の中に入れて使える、歪みや傷の無いものをA玉、不良品をB玉としてよりわけ、ラムネ瓶で使えなかったB玉は、子どもたちの玩具として「ビー玉」となって、リサイクルされ普及したとする説やら!

そんな由来なんて、当時の子どもたちにとっちゃあどーでもいいことで、「取った取られた」で泣いたり笑ったり、日が暮れるまで遊び呆けたものでした。
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