「昭和Nostalgia」(405)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

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今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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これが果たして何なのか?瞬時にわかって、口中に唾液が沸き上がって来た方は、立派に昭和半ばを生き抜かれた方に違いありません!

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そうです!チューブ入りの練り歯磨き粉でも、絵具でもありません!

立派なチューブ入りのソフトチョコレートです!

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それこそ滅多やたらに買ってはもらえなかったものの、2~3度ぼくにもお母ちゃんが買ってくれたものでした。

最初の内は威勢よく、ソフトチョコが口の中へ押し出されてくるものの、最後の方になるとチューブがクシャクシャに押しつぶされ、どんなに力を入れてチューブを押さえても、チョコレートは一向に出て来なくなったものです。

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ぼくらは工作ハサミでチューブを切り裂き、チューブに辛うじて残っていたチョコも、奇麗に舐めて平らげたものでした。

今この歳になってソフトチョコの歴史を調べてみると、何と何と最初にこの世にソフトチョコなるものが登場したのは、日華事変のもっと前、昭和7年の発売だったとか!

その後は、たびたび生産中止になりながらも復活すると言う、大変生命力のある商品であったと、森永さんのHPにありました。

戦時中はもちろん販売中止。

しかし敗戦間もない昭和22年、菓子や食品の原料は厳しい統制下にあったものの、統制外原料を使って再びソフトチョコレートが出回るようになったとか。

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いつか機会があって駄菓子屋を訪ねることがあれば、もう一度あの時の味を口にしてみたいものです!

イッチョー大人買いでもしてみるかぁ!


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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