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今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

昭和半ばの腕白共は、そりゃあもうジッとなどしている子の方が稀で、みんなやんちゃを競い合ったものでした。
ご多分に漏れずぼくもその口で、継ぎ接ぎだらけの半ズボンに、黄ばんだランニングシャツのトレードマークで、町内を駆けずり回ったものでした。
そんなやんちゃばかりしていたからか、下着のパンツのゴムが伸びてしまって、半ズボンの内側でパンツがずり落ち、弛んでしまって股の辺りに固まっていたものでした。
そりゃあもう、何とも表現できない気持ち悪さと言ったら、ありゃしません!

そんな時は、お母ちゃんがパンツのゴム替え用の七つ道具を取り出し、チョチョイのチョイで、真っ新なパンツのゴムを通してくれましたねぇ。
中学に入ると学生服になりましたが、中学の入学時に3年間使えるようにと買ってもらった、3年後の成長時を見越した大きなサイズの学生服の上着とズボン。
中学入学時には、学生服の袖の長さも胴回りも、ズボンのウエストや裾の丈も内側に折って縫い付けられていたものです。
ところがお母ちゃんが見越した3年間の成長度合いよりも、スクスクと成長しすぎて、3年生の頃には学生服の上着もズボンもパンパカパン!
昼休みにふざけて馬飛びなんかやろうものなら、お尻の縫い目がピシピシッと音を立てて破れちゃうこともありました。

その日は、破れたお尻のズボンを、女子に見られるわけにぁいかないって、学生鞄をお尻に押し当てて下校したこともありましたですねぇ。
まぁ、ちったぁ色気づいた証しだったんでしょうねぇ。
でも今じゃあ、お尻がはちけて破れた学生ズボンを履いた学生なんて、すっかり見かけなくなっちまいましたものねぇ。
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