「昭和Nostalgia」(382)

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昭和半ばの腕白共は、そりゃあもうジッとなどしている子の方が稀で、みんなやんちゃを競い合ったものでした。

ご多分に漏れずぼくもその口で、継ぎ接ぎだらけの半ズボンに、黄ばんだランニングシャツのトレードマークで、町内を駆けずり回ったものでした。

そんなやんちゃばかりしていたからか、下着のパンツのゴムが伸びてしまって、半ズボンの内側でパンツがずり落ち、弛んでしまって股の辺りに固まっていたものでした。

そりゃあもう、何とも表現できない気持ち悪さと言ったら、ありゃしません!

そんな時は、お母ちゃんがパンツのゴム替え用の七つ道具を取り出し、チョチョイのチョイで、真っ新なパンツのゴムを通してくれましたねぇ。

中学に入ると学生服になりましたが、中学の入学時に3年間使えるようにと買ってもらった、3年後の成長時を見越した大きなサイズの学生服の上着とズボン。

中学入学時には、学生服の袖の長さも胴回りも、ズボンのウエストや裾の丈も内側に折って縫い付けられていたものです。

ところがお母ちゃんが見越した3年間の成長度合いよりも、スクスクと成長しすぎて、3年生の頃には学生服の上着もズボンもパンパカパン!

昼休みにふざけて馬飛びなんかやろうものなら、お尻の縫い目がピシピシッと音を立てて破れちゃうこともありました。

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その日は、破れたお尻のズボンを、女子に見られるわけにぁいかないって、学生鞄をお尻に押し当てて下校したこともありましたですねぇ。

まぁ、ちったぁ色気づいた証しだったんでしょうねぇ。

でも今じゃあ、お尻がはちけて破れた学生ズボンを履いた学生なんて、すっかり見かけなくなっちまいましたものねぇ。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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