この写真は、飛騨市の都竹市長様のフェイスブックより拝借させていただきました。動画発表会終了後の記念写真です。真ん中のセーラー服姿の女子が、飛騨市立古川中学3年生のマイプロジェクト5名の中心となって、映像制作を担当してくださった2人の女生徒さんです。個人情報保護の観点から、お名前は伏せさせていただきます。

そしてこちらも都竹市長様のフェイスブックより拝借させていただきました。「三寺まいり」を自己紹介代わりに歌った後、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」の歌の前に、今回のプロジェクトについてお話をさせていただいている時のスナップです。

※遅まきながら、ぼくもフェイスブックとやらを始めました!まだまだ充実しておりませんが、ぜひ一度お越しください!Facebook
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

このCMは、とにもかくにも斬新でしたですねぇ。
覚えておいでですか?
SONYのウォークマン憧れましたぁ~っ!

でも当時のぼくには、とてもとても手が届かなかったですねぇ。
これ見よがしに、わざわざ見せびらかすようにしてウォークマンを持ち歩いている、年上のお兄様方やらお姉様方を横目で眺めながら、心底羨ましく思ってならなかったものでした。

ぼくがウォークマンを手にしたのは、それから何と20年以上もたった頃だったでしょうかねぇ?
それもその時は、どうにもこーにも必要に駆られたから買い求めたような・・・
ですから初めてウォークマンを目にした、あの衝撃はとっくの昔に消え去ってしまっておりました。
あの羨望の眼差しは、いったいどこへ行っちゃったのやら?
何ともはや、ぼくはそうして全国的な流行と言う現象から、ひとり取り残されて行ったのかも知れません。
それもそのはず、ウォークマンがこの世を席巻したのは、1979(昭和54)年のことですから、ぼくはお金のない22歳。
さすがに22歳にもなって、いつまでもお母ちゃんにおねだりをするような歳でもありませんから・・・喉から手が出るほど欲しくっても、我慢して我慢してそんな風にして切ない時代をやり過ごしちゃったって事なんでしょうねぇ。
トホホ・・・
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そうでしたか!ボクは、〜しながらというのが苦手なので、関心がありませんでしたね─。やっぱり自室でレコード聴くのが良いです。あ、あとヤンスタも、ネ!
ヤンスタ懐かしいですねぇ!
それにしてもよくもまぁ、毎週毎週ご拝聴くださいましたねぇ。
有難い限りです!
あまりTVを見なかった時代ですけど懐かしく思い出すCMです。
その時代のながら俗には(編み物をして閉じる時とか和裁をしながらとか) ラジカセがあれば大丈夫の時代でした。
外出している時にも音楽を楽しめる時代に変わっていったのですね。
今なんて若者たちも年配の方でも、ワイヤレスイヤホンでスマホから音楽やニュースなんて、みんなどこでもかしこでも聞いてらっしゃいますものねぇ。
ぼくはきっと不器用だからでしょうが、町の中を歩く時なら、町の環境音を聞いていたいですし、電車の中なら何でもない車窓を流れゆく景色を眺めながら、電車の軌道音を聞いていたいですけどねぇ。
ウォークマン… 一度も手にする事がなかったです。
でも 中学生になって ラジカセを買って貰いました。少し細長くてカセットテープが2つ入るタイプの物を。勿論 妹と交代で使用。
テレビから流れてくる歌謡曲を息を潜めながら録音したりして( ◠‿◠ )
次男が ウォークマンを持ってるけど 機能がたくさんあり過ぎて よくわからない私です(笑)
ぼくもダブルカセットデッキを使ってました。
って言っても、大人になってからでしたけどねぇ。
中学生の頃に買ってもらったラジカセは、小さなマイクが傍らに取り付けられたものでした。