飛騨市の「広報ひだ」12月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
写真は参考
ぼくがまだ幼かった昭和半ばの時代は、家のお母ちゃんもよく着物を着て、その上から割烹着を羽織っておりました。
写真は参考
なにも当時は、家のお母ちゃんだけのことではなく、ご近所のオバチャンたちも同様だったものです。
写真は参考
時にはこんな洋装の時だって、買い物に行ったりする時は、割烹着に手拭いでほっかむりだったものです。
それにしてもこの写真の右上、八百屋さんの梁から吊り下げられている新聞紙!
それが立派な包装紙でしたねぇ。
中には新聞紙を糊付けし、紙袋にしてあるところもあったものです。
なにも新聞紙の包装紙は、八百屋さんだけじゃなく、魚屋さんだって肉屋さんだって、どこもかしこも読み終えた古新聞をちゃんと活用していたものでしたねぇ。
見てくれや見栄に捕らわれない、昭和の「もったいない」文化が色濃く残っていた、典型的なリサイクルだったのかも知れませんねぇ。
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投稿者: okadaminoru
1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。
岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。
<著書>
「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」
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そうそう。入園式、卒園式、入学式の写真を見ると、着物姿のお母さんが多いですよね!新聞紙は八百屋の店先に上から吊ってあったような記憶があります。
家のお母ちゃんも入学式やらで、いくつも無い晴れ着を着て、髪を上げにパーマ屋さんへ行っていたものでした。
新聞紙の包装紙や袋は、大変重宝したものでした。
私が幼少期の頃は 授業参観の時 着物を着てるお母さん達が多かったですよ。私のお母さんも。
それだけ 普段使用だったという事ですよね。
今では 入学式や卒業式の時に数人いるぐらい。
古新聞紙も 再活用してるお店など ほとんど見る事がないけど 我が次男の事業所では 上手にミニ手提げ袋を作り パン販売の時などに利用してますよ( ◠‿◠ )
そうそう、授業参観の時のお母さん方も、着物姿でおすまししてましたねぇ。
古新聞の活用されてるなんて素晴らしい!