飛騨市の「広報ひだ」12月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
写真は参考
ぼくはなぁ~んちゃって料理をするのが、結構好きです!
その素地は、カブスカウトやボーイスカウトのキャンプでの自炊が、影響しているのかも知れません。
だから、小学校の5年の時だったか、家庭科の料理実習の時間が楽しみで仕方なかったものです。
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周りの男坊主共には、「おとこ女みたいだ(今の時代ならば、差別用語だと叱られそうですが)」なんて、からかわれたものですが、ぼくはぜ~んぜんへっちゃら!
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それくらい家庭科の時間を心待ちにしたものでした。
先生に教えてもらったのは、ほうれん草のソテーと、あとは何だったかもう思い出せません。
ほうれん草を奇麗に洗って、均等の長さに切り分けて!
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カブスカウトやボーイスカウトの頃の、男っぽい乱暴な調理法とは異なり、なんだかとってもお洒落な料理と取り組んでいるような気になったものでした。
でも中学に上がると、家庭科の料理実習なんてなく、ぼく的にはとてもつまらない思いがしたものでした。
それにしても皆で作ったほうれん草ソテーは、美味しかったものです!
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投稿者: okadaminoru
1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。
岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。
<著書>
「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」
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家庭科の時間 大好きでした( ◠‿◠ )
小学5年生の時 最初に作ったのが ご飯とお豆腐のお味噌汁!
とっても美味しかったのを覚えています。
小学校低学年の頃から 保険外交員として働く母の帰宅が遅かったので いつも 父親と私と妹とでの夕食作り。さすがに5年生ともなると慣れてはいたものの 基礎を先生から教えて貰いながらの調理は 楽しかったなぁ〜。
掃除や洗濯の仕方や洗濯物の畳み方など ほぼ 家庭科の時間に学ばせて貰いました。
感謝です♡
家庭科の時間で、掃除や洗濯の仕方に洗濯物の畳み方なども教えてもらったんでしたっけ?
ぼくの記憶からそれらはすっかり抜け落ちちゃっていまして、覚えているのは料理のことばかり・・・。
ぼかぁきっと、誰よりも食い意地が張ってたんでしょうねぇ(笑)
多分 洋服の左側下の裏地に 取扱表示が付いてると思いますが ここに 洗濯マークやアイロンの温度などが表示されてて…
6年生の後半頃には この勉強もしました。 実技もしたり 勿論 テストにも。
当時の家庭科の先生が 母親ぐらいの先生だったので 実生活でわからない事を 私からどんどん聞いて教えて貰ってたので 記憶として ごちゃごちゃになってたかも知れませんね。(笑)
それだけ熱心に質問されたら、家庭科の先生も教え甲斐がさぞやあった事でしょうねぇ。