「昭和Nostalgia」(262)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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いよいよ恋人たちや子どもたちが待ち侘びた、クリスマスがやって来ますねぇ。

とは言え。あと数年で70歳を迎えようとしているオッサンにとっちゃあ、クリスマスのトキメキなんてもうとっくの昔に、何処かに置き忘れて来ちゃったようです。

そう言えば、もう何年もクリスマスケーキすら、わが家のテーブルには載りませんねぇ!

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子どもの頃のわが家のクリスマスは、まさにこんな感じの昭和の和洋折衷そのものでした。

櫓炬燵にクリスマスツリー、そしてバタークリームのデコレーションケーキに、シャンパン擬きのソーダ水とチキンのもも肉の照り焼きと相場が決まっていたものでした。

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そうしてクリスマスが過ぎると、今度は大掃除や餅搗きにおせち造りと、お母ちゃんもお父ちゃんも大忙しだったものです。

とは言え、わが家に杵や臼など立派なものなどあろうはずもなく、お母ちゃんがある年に奮発して買い求めた家電の餅搗き機でした。

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餅搗き機がわが家にやって来て1~2年ほどは、年末になると餅搗き機が登場したものの、それ以降は知らぬ間に押入れの片隅に押し込められてしまっておりました。

でも、搗き立ての柔らかく温かな餅を千切り取り、醤油を垂らした大根おろしに浸けて食べるのが、ぼくの何より大好きな食べ方でしたねぇ。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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