飛騨市の「広報ひだ」10月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
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「オシッコを音で知らせるオムツカバー」なんてぇ便利なものが昭和半ば以降に誕生していたようですねぇ。
もちろんぼくは知りませんでしたし、使ってもらったことも無かったはずです。
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ぼくがまだ赤ちゃんでオムツのお世話になっていた頃は、もっぱらお母ちゃんお手製の晒し木綿のオムツだったと思われます。
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ちゃんとそんなオムツをした白黒写真が、古いアルバムの中にあります。
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きっと当時のわが家の洗濯物の物干しでは、洗いざらされた木綿のオムツが、こんな風に棚引いていた事でしょう!
もしぼくがオムツのお世話になっていた時代に、こんな「ヘルスベビー」なるものがあったとしたら、お母ちゃんの背に負ぶわれていた時にお漏らししたとしても、お母ちゃんの背中に染み出す前に事態を収拾出来たんでしょうけどねぇ。
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それも今となってはとても叶わぬことかぁ!
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こんなぼくでも、娘が赤ちゃんだったころは、こんな紙おむつをせっせせっせと取り換えてやったものでしたねぇ。
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投稿者: okadaminoru
1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。
岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。
<著書>
「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」
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おんぶされた時にこのような羽織りがありました。懐かしいです。使わなくなってからも 小学生くらいに タンスの中にしまってあった柄を 懐かしく思い出しました。
冬になると 近所のおばさんが「おんぶしてると 冬は暖かいから」と よく貸し出されたそうです。
ぼくの幼い頃も、まったくこんな感じでお母ちゃんの背中におんぶしてもらっていました。
おくるみのような、綿のたっぷりと入ったお母ちゃんの羽織は、そりゃあもう温かでしたねぇ。