「昭和Nostalgia」(221)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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ぼくは晩秋になると、ご覧の練炭や豆炭を想い出してなりません。

小学校から帰ると直ぐに公園で草野球!

ところが晩秋はつるべ落としで日が傾いてしまいます。

公園には蛍光灯の街灯も無く、電柱の上に取り付けられた裸電球だけが、オレンジ色にわずかに燈るだけで、もうとても白球を追い駆けられる状態じゃなくなっちゃって、みんなトボトボと家路に向かったものでした。

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「ただいま~っ」と玄関を開けると、「お帰り~っ」の代わりに、「玄関先で豆炭に火熾してや~っ」と、いつになく猫なで声のお母ちゃんの声がしたものです。

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いきなりどやしつけられるよりも、猫なで声の方が、ぼくには不気味でならなかったもので、古新聞と枯れ枝を焚きつけにして豆炭や練炭を熾したものでした。

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家にもこんな練炭用の器具がありましたねぇ。

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ぼくは火鉢の側がとっても好きでした。

熱すぎず、それでいてほんわかとした温もりがあって!

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でもそれから数年もすると、火鉢は庭の片隅へと追いやられ、こんな火鉢のような石油ストーブが茶の間に鎮座するようになったものでした。

このストーブは、暖を取ると同時に、お母ちゃんが煮物やら小豆をコトコトコトコトと煮ていたものでしたねぇ。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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