「昭和Nostalgia」(168)

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「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの★P20裏表紙のコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も山本久恵さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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駄菓子屋の店内で、さて今日はどんなくじ引きをして見ようかと、品定めをしている時間は、とても至福の時間であったものです。

ぼくが子どもの頃も、こんな紙の箱に切り込みが入っていて、好きな箱を開けてその中のオモチャを手に入れる「宝箱」があったものでした。

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ぼくの記憶では、ぼくが子どもの頃は、1回5円とかだったような気がします。

男の子向けのものと女の子向けのものがあった気がします。

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女の子向けは、色鮮やかな小物たちが犇めいていたようで!

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それからこんな飴の紐引きくじ。

束ねられた紐の中から、これぞと言う1本の紐を引くだけのものでしたが、ぼくはいつだって一番小さなミカン粒のような物ばかりでしたねぇ。

一度も一番大きな飴を引き当てたためしなどありませんでしたねぇ。

今だったら不衛生だって咎められちゃうんでしょうねぇ。

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中にはこんな水出しくじなんてぇのもありましたねぇ。

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水出しくじとは名ばかりで、みんな子どもたちはくじの束からこれぞと言う一枚を抜き取り、その場で舐めて文字や絵を浮き出させてましたものねぇ。

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これまた今の世では考えられませんよねぇ。

ましてやコロナ渦を体験したとあっちゃあ、感染症対策の点から見ても、まったくもって不衛生極まりない遊びでもあったものです。

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それとこんな炙り出し遊びなんてぇのも人気でしたよねぇ。

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そう言えば、ミカンの果汁を筆に付け、半紙や画用紙に絵や文字を書いて、ストーブで炙って炙り出しをしたこともありましたねぇ。

ぼくは確か、友達への年賀状を炙り出しにしたことがあったような記憶があります。

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そう言えばその年賀状、表側の宛先までミカンの果汁で書かなかったかなぁ?

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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