「天職一芸~あの日のPoem 39」

今日の「天職人」は、岐阜県大垣市の、「麩職人」。

宮の境内石畳 少女の突いた手毬が反れて        牛屋川を流れて下る                  膝を抱えた少女の影と 土手の土筆が揺れている     麩引(ふび)き職人格子越し 哀れな少女に心を揺らし  手毬あん麩を差し出した                土手に腰掛け頬張る少女 頬を西日が伝って落ちた

岐阜県大垣市で明治元(1868)年創業の「ふや惣」五代目麩職人の浅野準一郎さんを訪ねた。

「麩料理は、板長の引退とともに消え、また新たな板長の元で生まれ変わるんやて」。浅野さんが意味深に呟いた。

江戸時代末期。米の仲買をしていた高祖父が他界。高祖母きうと当時十五歳の曽祖父惣吉は、先の暮らしを案じた。そんな折、市内の老舗料亭の旦那衆から「大垣にも麩屋を作ろう」と、出資話が持ち上がった。粋な遊び人であった高祖父を偲び、旦那衆が遺族に行く先を導いた。きうと惣吉は、羽島市竹鼻町で修業を積み、大垣に戻って「ふや惣」を旗揚げた。きうの信条は、「奢ったらかん」。浅野家の窮状に手を差し伸べた旦那衆の温情を、「片時たりと忘るべからず」とした。

昭和20(1945)年7月29日。浅野さん九歳。大垣空襲で焼け出され、一家は小さなバラックで細々と家業を営んだ。昭和24(1949)年、父が宮大工になけなしの七十万円を託し、店の建築を依頼。しかしあろうことか、大工は大枚を懐に入れ雲隠れ。家族六人は、三畳一間のバラックの中で項垂れた。だが今度は、本町筋の旦那衆が救いの手を差し伸べた。

「中学生の頃は、試験の前日でも、関ヶ原や垂井まで掛け取りにいかされたもんやて。借金返さなかんで」。浅野さんは懐かしそうに呟いた。

浅野さんは静岡の大学へと進学し、恩師の勧めで高校の教壇に立った。しかし両親は、跡取りを学校に取られてなるものかと、半年間静岡へと通い詰め、校長を拝み倒し息子を連れ戻した。

一昔前の麩屋は、小麦粉を澱粉とグルテンに分かつ、麩引き作業から一日が始まる。グルテンを取り出し、二人掛かりで足踏機を使って、一分間に八十回、それを小一時間踏み続け、麩のぬめりと色艶を引き出す。現在は機械化されたものの、やはり水都大垣の十四~五度の井戸水と気温、それに熟練職人の五感が頼りだ。

写真は参考

料亭の麩料理は、板長と麩職人とが互いに切磋琢磨し編み出す、一代限りの創作料理。浅野さんは五代に渡って受け継がれた三千にも及ぶ木型を見つめた。

写真は参考

創業百三十五年(平成十五年三月十一日時点)。ふや惣の麩には、向こう三軒両隣の本町人情と、「奢ったらかん」と言い続けた、高祖母きうの信条が練り上げられ、人肌たおやかな食感を今に醸し出している。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 39」」への13件のフィードバック

  1. おはようございます。麩職人さんのお話ですね。私は、お麩好きです。
    ・浅野さん借金を、返さないといけないので大変でしたね。
    ・緑色の麩 あんこ入りの麩美味しそうですね。麩も色々な種類が有るのですね。カラフルですね。お洒落ですね。花の形,花のデザイン,毬,長い麩綺麗ですね。食べるのが勿体ないですね。

  2. 子供の頃、我が家の茶碗蒸しの中には花麩が入っていました。好き嫌いが多かった私が好きだったので、母が入れてくれていたんだと思います。乾燥している麩が、出汁を吸ってブヨブヨとなるタイプで、熱い出汁がピューっと出て来るので、気を付けないと舌を火傷しちゃいます。(猫舌^^;)
    生麩や麩饅頭を知ったのは、随分大人になってからで、モチモチ、フワフワで美味しいですよねぇ。

    今では好き嫌い無く、何でも食べられる立派?な、大人に成長しました(笑)。

    1. ぼくも麩は、大好きで、焼き麩も生麩も、麩と付けば何でもOKです。
      特に焼き麩は、その土地土地によって、随分異なり、旅の土産には軽くて持って来いです。ちょっと嵩張りますが!
      今ぼくがはまっている焼き麩は、仙台麩です。焼き麩を油で揚げたような感じです。

  3. 私も 仙台麩 をお土産で頂いて以来 虜になりました ! めっちゃ美味しいですよねぇ (#^.^#)
    大根と一緒に煮るのも オススメです
    ★★★

    京懐石には 必ず可愛らしいお麩の料理が入っていて、 日本料理に お麩は欠かせないですね
    笹の葉に包まれた 甘いお麩 口に入れた瞬間 ホッ!とします ~
    これは ビールには ちょっと合わないですね~ ・・・(;´Д`)

    1. 手毬麩なんて、食べるのが勿体ない気がして、ついつい最後の最後になてしまうものです。

  4. 生麩や揚げ麩や焼き麩…
    料理にもデザートにも使える万能食材ですよね!
    大好きですよ( ◠‿◠ ) 時々使ってます。
    食感様々でメインにも脇役にもなるんですから。
    「麩料理は 板長の引退とともに消え…」
    意味深な言葉。どんな意味があるんだろう?
    「奢ったらかん!」の信条は 私も肝に銘じたいと思います( ◠‿◠ )

    1. 「麩料理は 板長の引退とともに消え…」
      これは一つの料亭の板長となった料理人が、その料亭に相応しい料理に用いる麩を、麩職人と試行錯誤で造り上げるという意味のようです。
      デザインや食感などを含め。
      そしてその板長の引退でその時代の麩料理が、次の新しい板長のスタイルでまた新たに誕生するという、そんな意味合いの様でした。
      言葉足らずで申し訳ありません。

      1. いえいえ ありがとうございます。
        同じ麩を使って 前の板長とは違う自分のカラーで また新たな物を生み出す…って 
        相当な覚悟や不安と戦いながらも きっとその先に自信に満ち溢れた板長さんがいて 素敵なお麩の料理がお披露目されるんでしょうね。
        ちょっぴりワクワクします ( ◠‿◠ )

  5. ひな祭りのちらし寿司と 手鞠麩のおすましで 子供達の顔が ニコニコ !
    「 何から食べようかな~ 」と 言ってる様子が目に浮かびます (*^.^*)

    コロナウイルスで自由に出来ない子供達
    美味しいものを食べて 笑顔になって貰いたいですね。

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