飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

この「スライム」を初めて目にしたのは、小学生の頃だったか、それとも中学生の頃だったかと、思い出すことができず、どうにも気になって調べてみると、少なくともぼくが21歳になった1978年のことだったようです。
記憶なんて実に曖昧極まりないものですねぇ。
でもこの「スライム」を初めて目にして、初めてこの手で触った時の、何とも妙ちくりんな感覚が忘れられません。

ところがその当時、自分で自分の為に買い求める事はなかったような気がします。
しかし娘が幼い頃にオモチャ屋で「スライム」を見かけ、娘を驚かせてやろうと、即買い求めたものです。

「スライム」の発売時期を調べていた時に、面白い逸話を知ることができました。
そもそも「スライム」誕生秘話には、第二次世界大戦が影響していたんだとか。
第二次世界大戦中、ゴムの産地を日本軍に占拠されたアメリカでは、人工的にゴムの代用品を作ろうとして生まれた産物とも。
また一方アメリカで、樹脂から化粧品を製造しようとした過程で作られたとの説もあるのだとか。
そう考えると返す返す、先の大戦は民の命と引き換えに、資源の枯渇に諍った、愚か過ぎる戦争であったも思えてなりませんねぇ。
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