いよいよ飛騨市の「広報ひだ」で、「飛騨びと 言の葉綴り」の連載が始まりました。広報ひだ 2024年4月号 – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)
飛騨びと~言の葉綴り~ – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)
広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も波岡孝治さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)中谷節子さん(宮川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
今日の「昭和Nostalgia」『小学校の想い出シリーズ⑪』はコチラ!

こんな風に授業が終わると、雑巾がけをしたものでしたねぇ。
隣に並んだ子とまるで競争でもするかのように!
そう考えると、どんな時でも何であれ、遊びに代えてしまう発想力があったものでしたねぇ。

こんなような役割表が教室の後ろの壁に貼ってあったような?

ぼくは雑巾のあの牛乳臭さが堪らなく苦手でした。
きっと給食の時に誰かがこぼした牛乳を拭き取り、それを水で洗って乾かしただけの雑巾でしたから、牛乳の臭いが残ったまま、また水を含ませると牛乳臭さがわだかまったんでしょうかねぇ。

こんな上履きの甲の所のゴムバンドに、油性のマジックで名前が書かれていたものでした。

小学校の掃除の備品「ダイソン」は、もっぱらこんな日本的な箒とブリキの塵取りだったものです。
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掃除当番ですね。
とは言っても、
どこを掃除するかだけで全員が掃除当番なんですがね。
高学年になると低学年の教室を掃除する当番がありましたよ。
オイラは小学校を3校経験してるのですが、
教室の床の材質が違っていてそれぞれ仕方が違いましたね。
もちろん雑巾がけの経験はありますよ。
冬は当然水が冷たくて男子はやりたがらない。
そんな時先生が、
”しもやけで化膿した手でやってる女子を見て何とも思わないの!”
って怒った言葉を今も忘れません。
その時以来、
ちゃんとするようになった気がする(‘◇’)ゞ
そうでしたよねぇ!
霜焼けやアカギレ!
子どもの頃なんて、ハンドクリームなんて塗る事ありませんでしたねぇ。
雑巾の牛乳臭さ そうでしたね(笑)
匂いまで思い出しちゃいました。
雑巾掛けは いつも競争!
掃除の時間も どこか楽しかった記憶があります。だって 短い放課は トイレに行ったり 次の授業の準備で忙しいし お昼の放課は 遊ぶので忙しいから 掃除の時間だけは 友達とお喋り。
だから 全然進まないんですよね〜
小学校では 勉強以外の学びが たくさんあった気がします。
確かに勉強以外の時間が、むしろそれからの人間力を身に着けるため、不可欠だった気がしちゃいます。
友との会話、友との喧嘩などなと。
今はきっとモップでやっているんでしょうね!
おそらくそのモップも、牛乳臭いことでしょうねぇ。
『♪︎♪︎♪︎ SOYA SOYA SOYAな
SOYA SOYAさ~ ♪︎♪︎♪︎』が 頭の中でぐるぐる! 鼻歌になっています (*^▽^)/★*☆♪
楽しかったですね~
皆さんと一緒に 歌いながら手拍子
最高でしたよね ❤️
幸せな一時 ありがとうございました
(#^.^#)
★横浜に住むちびっこ達の雑巾作りは私が担当
お友達のと間違わないないように お兄ちゃんは青い糸 妹ちゃんには赤い糸を一部分に使っています
幼稚園からなので もう6年 今は2人分
来年からは3人分だ〰️
手間暇はかかるけど 楽しい時間でもあるので苦ではないんですが、今は会社名が入った白いタオルを頂ける機会が少なくなり タオル集めが大変なんです
私達の頃は新品のタオルの雑巾じゃなかったですよね~
100均の雑巾を使っているお友達が多いようですが、私はできる限り雑巾、上履き入れ 給食袋 レッスンバッグは手作りしたいと思っています✨
手作りを持たせてもらえるなんて、幸せな事ですよぅ!
一針一針、ハートさんの願いが込められてるんですもの!