「天職一芸~あの日のPoem 10」

今日の「天職人」は、名古屋市昭和区の、「菓子匠 つくは祢屋」。

宮の熱田の 神樹の杜を 誰が呼んだか 蓬莱島と    常世の国の 神々来たり 遍く民の 辛苦諫める     御手洗(みたらし)清め 柏手打ちて 曽福女(そぶくめ)様に 想いを馳せる                  千代に尊を 慕いし女は 熱田の杜の 神と召された

天明元(1781)年創業の、つくは祢屋九代目ご当主、石黒鐘義さんを訪ねた。

もともとつくは祢屋は、熱田神宮の門前、旧熱田市場町曽福女で米屋の大店を営んでいた。ところが天明の飢饉を境に、神饌菓子製造へと家業を転じた。初代善吉は、二百年以上愛され続ける銘菓「筑羽根(つくはね)」と「曽福女」を生み出し、現在も脈々と受け継がれ続ける。

この「筑羽根」は、日本武尊が東征時に携えたと言われる、火打石を模した干菓子。

またこちらは「曽福女」。本わらびにきな粉をまぶす和菓子。

熱田神宮の起源は、日本武尊から形見として授かった草薙神剣(くさなぎのつるぎ)を御神体として奉じ、宮簀媛命(みやすひめのみこと)が創祀(そうし)。尾張氏の祖先乎止与命(おとよのみこと)の娘であり、日本武尊の妃となった宮簀媛命は、曽福女様と人々に慕われたそうで、善吉はこの尊い名を冠し、尾張の地が産んだ女神を称えたそうだ。

以来、熱田神宮御用達を勤め続けた。

しかし先の大戦で、つくは祢屋の身代も大きく揺るがされた。昭和19(1944)年、鐘義さんの父に赤紙が舞い込み、本土空襲を警戒する軍から、軍用道路敷設工事により店の強制退去が命ぜられた。「店の退去の次の日が、父の出征だったそうです。だから母は軍に平伏し、空っぽの店の中に畳二枚と仏壇だけを何とか残させてもらい、翌日父はご先祖様に武運を祈り出征して行ったそうです」。鐘義さんの眼鏡の奥の眼が揺れた。

翌、昭和20(1945)年3月、鐘義さんは父が不在の家で産声を上げた。そして6月9日午前9時17分。熱田に爆撃機が飛来。二千人にも及ぶ屍の山を築いた。「あのまま強制退去させられていなかったら・・・。きっと曽福女様や、熱田の神々が『生きろ』と仰ったのでしょう」。命辛々復員を果たした父と共に、店の再興に明け暮れたそうだ。

筑羽根は、あの硬い京都の八つ橋の様な干菓子で、曽福女は昔ながらの粘りのある、とても上品なわらび餅の様な食感で、ぼくも一缶ペロッと平らげてしまったものです。

そんな古の浪漫を思い浮かべながら、もう一度ゆっくりと味わって見たいものです。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 10」」への7件のフィードバック

  1. おはようございます。天職人 菓子匠つくは祢屋さんのお話ですね。
    熱田神宮の語源と空襲警報があった時の話分かりやすく書いてますね。
    ういろと筑羽根(つくはね)と曽福女(和菓子)昔からあるお菓子なのですね。
    お菓子(ういろ,筑羽根,曽福女)美味しそうですね。
    私は、筑羽根は、無理ですね。硬い菓子粘つく菓子は、食べれません。

  2. 筑羽根 曽福女
    まず 名前が素敵ですよね!
    あと 可愛らしくて上品で…
    やっぱり 由来を知るということは 浪漫を感じるし 何十倍にも味を膨らませそう。
    ケーキが苦手な私にとっては こういう和菓子には目がないんです(笑)

    1. やっぱりこれだけ物に囲まれていると、若い方とは違って、「モノ語り消費」が有用なお金の使い道であったりするように感じられます。

  3. こんにちは
    つくは弥屋さんのお菓子は素朴な風合いで初めて目にしましたが懐かしく感じます。

    和菓子の色合いはとても気持ちを穏やにさせてくれる気がします。

    私は甘いものが苦手なので母に食べさせてみたいと思います。

    1. お母様でしたら、やっぱり本蕨の「曽福女」の方がよろしいでしょうね!

  4. 昔は、こんな上品で美味しそうなお菓子が有ったんですね。
    私はお父さんに食べさせてあげたい。
    もちろん少し私も分けてもらい食べたい。

    1. いまでも高島屋だったか三越だったかに商品を納入されていると思いますよ。

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