「素描漫遊譚」
「岐阜市界隈」
12月を迎えると、号砲轟く岐阜市長良川競技場。
寒風をものともせぬアスリートたちが、大垣城を目指し一斉に駆け出す、第26回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会。
伊吹颪の歓迎を受け、大垣城を真っ先に折り返すのは誰だ。
そして6区間42.195㌔のドラマを締めくくるように、再び金華橋に現れ出でる選手や如何に!
岐阜の町を疾風のように駆け抜ける師走の風物詩、通称「岐阜駅伝」。
今年はどんなヒロインが生まれ、どんなドラマが待ち受けると言うのか!
昔の冬の朝の歩道といえば、朝露に濡れた枯葉の絨毯。そしてむこうから白い息を蒸気機関車のように、規則正しく吐き出しながら駆け抜けるジョギング愛好家がやって来たものだ。
ところが今はもっぱら、どっかの物騒な国の兵士みたいに大きく腕を振り上げては、颯爽と行き交うウォーキングの人たちに取って代られちゃったようである。
まあどっちにしたってぼくは、てんで運動音痴な軟弱もんだから、せいぜい飲み食い歩きくらいなものかなぁ。
そうこうしていると、こじんまりとしたスーパーの中から、揚げ物の馨しい匂いが手招く。
「うわっ!弁当詰め放題?」。

「家のお惣菜は、み~んな手作り!正真正銘のお袋の味やでねぇ」。
岐阜市秋津町のスーパーニュー栄、肝っ玉母さんのY.Sさん(66)は、なんとも大雑把に笑い飛ばした。
肝っ玉母さんは美濃太田の産。
「愛があったもんやで、43年前に嫁いできたんやわ」。
その4年後の昭和42年にスーパーを開業。

野菜果物は元より、鮮魚から肉類、雑貨や駄菓子に家庭用品まで、ありとあらゆる物が店内を埋め尽くした。
今では白和えや串カツ、煮物に煮魚といったお惣菜から、名物のお結びまで。

肝っ玉母さんのお袋の味が、ショーケースにテンコモリ状態で勢揃い。
昼時ともなると近所のサラリーマンが、パック片手に山盛りお惣菜を詰め込む。
「ちょっとう!肉ばっか詰め込んどったらあかんよ!ちゃあんと野菜の煮物も摂らんと。肉ばっか食べとると怒りっぽくなってまうで」。
肝っ玉母さんは、客と言えど誰彼なしに健康管理に心を砕く。
「細々と商売続けてくには、他所の旦那も手名付けとかなんで」。
売れ筋商品だけに絞り込み、客の消費行動の心理を読んで、計算高く商品を陳列するコンビニとは大違い。
目当ての物がどこにあるのかも一筋縄では行かず、はたまた棚から何が飛び出すやも知れぬ、そんな不便利さと意外性が実に斬新で愉しく心地良い。
まるでぼくらが子供時代の、昭和の万屋そのもの。
小さなスーパーながら、肝っ玉母さんの心はスーパーにでっかい。
「昔は本当やて。ご飯三丈炊いて、500人分のお結び1500個も作っとったんやで」。
素描漫遊譚結びの地、大好きな岐阜を飾るに相応しい、肝っ玉母さんの大きな大きなお結び。
ほっこりとした温もりを宿す炊き立てご飯。
「いっただきま~す!」。
ぼくは愛情一杯のお結び片手に、名残を惜しみながら素描漫遊譚の結びの地を巡ります。
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むかしはこういうお店が大垣市内外にもありました。食事の自由度があってほのぼのとします。さて、私は若い頃ジョギングというより、ランニングやってました。そう言われると、街中を行進してござる同世代の方々をここ10年ほど、目にします。私もその内、行進するかも知れません。
お惣菜のお店での品選びって、なかなか目移りばかりしちゃって、自分の腹具合とは裏腹に、あれもこれもと手を伸ばしちゃうものです。
そして気が付けば、結構なお値段にビックリ!
まだ、岐阜で全日本実業団対抗女子駅伝競走大会
一度だけ見に行った事があります。
渋井選手が出ていた時でした。
まぁ⤴早いのなんの・・
素人が短距離を走っている以上のスピード
あの速さにはビックリでした。
私も以前から言っているように
若い頃は逃げ足だけは誰にも負けませんでした。
が⤴今となっては真っ先に捕まるでしょう!
それゆえ、もう⤴悪い事はしなくなりました!
運動音痴なぼくは、長距離は元より短距離でも、とんと苦手でなりません。
だから逃げ足も得てじゃなかったですねぇ。