「本物の赤い長靴がクリスマス・ブーツ?」

「男のくせに、真っ赤しけの長靴履いて!恥ずかしないんか?」。
「お前、女みたいやなあ?」。
近所のやんちゃ坊主どもが、寄ってたかってぼくの足元の、真っ新の赤い長靴を指さし、口々に罵った。

昭和半ばの年の瀬。
どこの家でも、大掃除やらお節作りで大わらわのさなか。
子どもにまで構っていては、とても年が越せぬと、子どもたちは邪魔者扱いされ、外で遊んで来るよう家から追い立てられたものだ。
北風吹きすさぶ、冷たい雨の降るそんな日。
子どもらの行く宛てと言えば、限られたものである。
お宮の広い軒先か駄菓子屋、それに廃工場や空き家と、相場は決まっていた。
ぼくもご多分に漏れず、両親から駄菓子を買う、臨時ボーナスの10円玉を受け取り、体よく追い出された口。
黄色い学童傘をクルクルと回し、駄菓子屋で買ったばかりの、虎の子の菓子袋をポケットに忍ばせ、お向かいのサッチャンが待つであろうお宮へと向かった。
たぶん小学2年の年の瀬だったろう。
ところがお宮の軒先にサッチャンの姿は見当たらず、代わりに1つ年上のやんちゃ坊主たちが待ち構えていたのだ。
さんざん口汚く罵られ、こらえ切れずに涙が零れる。
すると「ほれ見ろ!やっぱり女や!もう泣き出した!」と、やんちゃ坊主どもは、鬼の首でも取ったように囃し立てる。
もう悔しいやら情けないやら。
居ても立ってもおられず、ぼくは泣きながら一目散に家路を駆けた。
それを遡る5日前の、クリスマスの晩。
「ただいま~っ!」。
父はとんがり帽子を被り、ちょっぴり赤ら顔をしてご機嫌な様子で帰宅。
恐らく会社でクリスマスの真似事のような、一杯会でもあったのだろう。
「おっ、そやそやこれ。父ちゃんからのクリスマスプレゼントや!」。

そう言うと父は、押し入れから真っ新の赤い長靴を、卓袱台の上にちょっぴり誇らしげに広げた。
「長靴の中に、お前の好きなお菓子が、一杯詰め込んだるぞ!」と。
さっそく長靴を引っ繰り返す。
すると新聞紙で作った紙袋に、あられや煎餅が無造作に詰め込まれ、新聞紙の袋の上部がクルクルっと捻り上げられていた。
「これなあ、クリスマス・ブーツとか言うもんなんやと。社長さん家の娘さんが立派なのを貰っとってな、父ちゃんが見様見真似で拵えてみたんや。バス停前の靴屋で見掛けた真っ赤な長靴買うてな。そして中身は、横丁の煎餅屋のオバちゃん家の量り売りやで、本物のクリスマス・ブーツのように、洒落たもんは入っとらんし、あんまり恰好ようのうてすまんな」と父。

当時、クリスマス・ブーツなんて洒落たものは、駅前の洋菓子店のショーウィンドーで目にするか、TVで見掛ける程度の高嶺の花。
それを父なりに工夫して、ぼくを喜ばそうとしてくれたのだ。
それを「男のくせに、真っ赤しけの長靴履いて!恥ずかしないんか?」と詰られたことが悔しく、なにより父の厚意まで無下に踏みにじられた気がしてならなかった。
だからそれ以来、ぼくは誰に笑われ詰られようと、雨の日になると父のクリスマス・ブーツを穴が開くまで履いたものだ。
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クリスマス・ブーツ
子供の頃、憧れたね~~ぇ⤴
中には何が?入っとるんやろ~~ぉ⤴
きっと❢自分の欲しい♬おもちゃがいっぱい入っとるんやぁ~❢
と、妄想したもんでした。
けど、おだいじんの悪ガキが買った、と自慢していたので
ドキドキしながら中身を見せて貰ったら・・・
何て事はない⤵ただのお菓子だった。
自分の思い描いていた「おもちゃ」ではなかったので
がったかり❢
もう、それ以降、クリスマス・ブーツには見向きもしなかった。
以前から憧れている女性と付き合う事が出来て・・
気立ても良くきっと性格もイイに決まっていると思い込み
いざ❢付き合ってみると、がっかり⤵
自分勝手に妄想し思い込み、期待してはダメですねぇ❢
でもやっぱり誰だって、多かれ少なかれ自分に都合の良い事ばかり、ついつい想像しちゃうものですって!
私たちの子供の頃は、女の子は赤、男の子は黒と何処かで刷り込まれちゃってたんですよねぇ。誰に何を言われてもお父さんの気持ちを大切にしたオカダさん、ブラボー⤴️
仰る通り、男女の色別って暗黙の了解のような区分けがありましたよねぇ。
今の時代だったら、それこそ大変!
時代は変わるものですねぇ。
お父様 素敵です。
うん!
いいなぁ〜( ◠‿◠ )
いつ聞いてもあったかい家庭ですよね。
私は 小学3年生のクリスマスまで 枕元にお菓子の入った赤いブーツが置いてありました。この場面も鮮明に覚えてます。
翌年からは ケーキだけだったような…
いつも母親だけが居なくて…。仕事だから仕方ないんですけどね。
今 思い起こしてみると 両親に何かをねだった事がない 可愛げの無い子供だったんですよね〜。
それって、可愛げの無い子供だったんじゃなくって、ご両親の後ろ姿を垣間見て、子どもながらにがまんをされていたんじゃないでしょうか?
ご両親への思い遣りが勝って、我儘放題に何かをねだらないようにされていたんじゃないのかなぁ。