昭和がらくた文庫54話(2015.05.28新聞掲載)~「墓場まで持って行った、忌まわしき戦場の記憶」

膝に置いた父の拳が、幾度となく震えていた。

ぼくが小学2年になった年の事。

初めて父に連れられて行った、映画館の暗闇での出来事だ。

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スクリーンには、子供向けとは程遠い、戦争映画が映し出されていた。

しかし当時のぼくは、残虐でおどろおどろしい場面に戸惑い、幾度も目を背けたに違いない。

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むしろぼくには、膝の上で拳を震わす父の挙動が、心配でならなかった。

どこか体の具合でも悪いのかと。

それが唯一後にも先にも、父と二人で観賞した映画だった。

ならば何故、それがそんな戦争映画だったのだろうか?

そんな父の想いに気付いたのは、つい最近のこと。

多くを語らず息を引き取った父は、青春時代と引き換えに銃を構え戦場に立った。

そこが映画の舞台である、中国の北支(現、中国北部の華北)だったと知ったからだ。

父は映画を観ながら、何を思ったろう。

生きて祖国に帰り着くまでの、苦難の日々であろうか?

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それとも戦場で息絶えた戦友の面影か?

或いは、父が放った三八式歩兵銃の銃弾に射抜かれた、敵兵の末期の顔だったろうか?

はたまた敵兵の死を悼む家族の姿か?

戦争さえなければ、父は平凡な和菓子職人見習いだった。

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父の銃弾に斃れた敵兵もまた然り。

忌まわしき戦争さえなければ、倹しいながらも家族と共に、痩せた土地を耕す農夫だったかも知れぬ。

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戦争とは何だ?

それは一部の、好戦的指導者たちの、手慰み(てなぐさみ)であって良い通りなど無い。

少なくとも生き延びるため、銃を向けた父も、銃弾に斃れた敵兵も、戦時でなければ、方や和菓子職人見習い、方や倹しい農夫でしかなかったはずだ。

ところが今や物騒な法案を、体の良い平和とか安全と言う言葉に挿げ替え、押し通そうとする、平和の安寧を脅かしかねぬ輩が現れた。

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今こそ市井に生きる我々庶民も、愛しい子や孫の為に、他人事では無く、真剣に議論すべきではないか!

父の震える拳が、最近鮮明に思い出されてしかたない。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「昭和がらくた文庫54話(2015.05.28新聞掲載)~「墓場まで持って行った、忌まわしき戦場の記憶」」への4件のフィードバック

  1. 戦争は悲劇を生むだけ!
    もう二度と戦争はしないで欲しい!
    そう、思います。
    今はコロナウィルスと言う戦争と世界中が一致団結して戦っている。
    その気持ちを大切にしたいもんです。
    と、まぁ~⤴今日は堅い話になってしまったけど
    そんな一面もあるんですぅ!だぁ!

    1. 確かにコロナは、第三次世界大戦ですものねぇ。
      戦争の犠牲者にならないためには、何はともあれ自己防衛策に尽きますよねぇ。

  2. 目に見えない敵と戦う日々に辟易してる毎日だけど いつか必ず終わりが来る…と願う毎日でもある。
    「も〜なんだか面倒くさい」という心の敵がやって来ると 次は 凄まじく恐ろしい敵までもがやって来るわけで…。
    自分にとっての味方は 国ではなく自分だけなのだ。
    な〜んてね!( ◠‿◠ )
    今月末の2回目のワクチン接種を前にして やって来るかも知れない副作用にビビってる私です。

    1. ぼくは16日に2回目のワクチン接種です。
      でも気を抜かず、己が命は己で護らなければなりませんよねぇ。

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