昭和がらくた文庫27話(2013.02.21新聞掲載)~「昭和半ばの海外旅行と餞別」

昭和半ばの頃、世界の国々は、途方も無く遠かった。

今なら、ちょいと普段着で香港へとか、当時はそんなお気楽さなど微塵も無かったものだ。

そもそも昭和46年まで、1ドルは固定相場の360円。

少なくとも渡航費用は、今の3倍は下らぬ高嶺の花。

昭和47年にしてやっと、海外渡航者数が100万人を超えた。

写真は参考

それでもまだ、100人に一人の割合である。

当時の庶民にとって、海外旅行なぞ夢のまた夢。

それこそ裕福な家庭の新婚夫婦が、めかし込んで旅立つ、ハネムーンくらいのものだった。

だから親類縁者も、大いに餞別を弾んだ。

新婚夫婦は、義理を欠いてはならぬと、餞別に見合う土産物の、リスト作りに躍起になった。

だが旅先では、ゆったりと旅情に浸るどころか、一生に一度の貴重な時間まで、土産物の調達に費やすのが落ち。

写真は参考

それでも海外旅行は、人々を魅了して止まぬ、夢の代物だった。

そもそも土産の語源とは、神社の御札を貼ったとされる、板を指す「宮笥(みやげ)」からとか。

遥か昔の旅と言えば、伊勢詣り等の寺社巡りが主流。

道中には悪霊が待ち構えると畏怖され、村でも屈強な男を代参に立てた。

そして旅立ちには水盃を交わし、願い事を賽銭に託す。

それが餞別となり、男たちは宮笥を持ち帰えった。

これが後の世に、御札やお守りと一緒に、その土地の珍しい産物を、土産物として持ち帰る風習に、挿げ代わったのだ。

車も飛行機も無い昔は、何処までも歩くしか術がなかった。

今なら地球の裏側へも、1日あれば事足りる。

世界はそれほど近くなった。

昭和の餞別は、もはや死語に近い。

ならば(おの)(はなむけ)と、旅の土産探しに腐心するより、まだ見ぬ国や人との出逢いに、少年のような心を振るわせていたい。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「昭和がらくた文庫27話(2013.02.21新聞掲載)~「昭和半ばの海外旅行と餞別」」への4件のフィードバック

  1. 『 宮笥 』『 餞別 』『 土産物 』
    勉強になりました〜( ◠‿◠ )
    そう言えば中学の修学旅行の時 叔母から餞別を頂いた事が…。もちろん自分の家族だけじゃなく 叔母の家族にもお土産を買うこととなり ほぼお小遣いはゼロになっちゃいました(笑)
    私ひとりで旅行に行くなら 観光地っぽくない所に行ったり 行く先々で地元の方とのお喋りにほっこりしたりして それらをぜ〜んぶお土産として 帰りの車内で余韻に浸りたいなぁ。

    1. それがもしかしたら、旅の醍醐味じゃないでしょうかねぇ。
      ぼくは国内外を問わず、方言も外国語も解せぬとも、それなりに楽しんじゃいますよ。

  2. 海外旅行
    ここズッ~と⤴行ってないしパスポートも期限切れ
    まぁ、海外行く事はないな~ぁ!
    飛行機に乗って時間もかかるしねぇ!
    ロマン溢れる日本再発見の旅・・!
    もうねぇ!海外の長旅は疲れる・・外貨の両替も面倒だし・・
    そうそう!
    この度「岐阜県民地元に泊まろうキャンペーン」が始まったんです。
    一人一万円補助で長良川近辺の観光施設の無料券付
    中々お値打ち、県民思いのキャンペーン
    八月下旬、十八楼予約しました。
    でぇ、生まれて初めて鵜飼い観覧ウキウキ!
    これを観ているオカミノファミリーの岐阜県民の皆さん
    たまにはいいでしょう!

    1. それはそれは羨ましい限りですねぇ。
      そう言えばぼくも、やっと7月末にコロナワクチンの一回目の接種をしていただけそうです!

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