今日の「天職人」は、岐阜県高山市の「飛騨染職人」。(平成23年7月2日毎日新聞掲載)
闘鶏楽の鉦の音で カンカコカンと春が来る 背にした鳳凰腰に竜 粋な飛騨染跳ね踊れ 社に神輿奉納し 宿で酒盛り夕間暮れ 神の迎えも千鳥足 他所の神輿を担ぎ出す
岐阜県高山市、慶応元(1865)年創業のゆはら染工。四代目飛騨染職人の柚原博明さんを訪ねた。

「へんぺやまむしゃ おーらんか へんぺやまむしゃ おーらんか」
獅子舞の掛け声を先頭に、闘鶏楽の「カンカコカン」が続く。

♪チャアコチャン チャアコチャン アーンチャーンチャ♪
♪ソリヤ デ オーイ デ ソイツ デコデコデ♪
白地に極彩色の鳳凰と竜が染め抜かれた、飛騨染の鳥毛衣装。
雪深い飛騨ならではの、待ち侘びる春への想いが現れているようだ。
「肩袖から上に鳳凰。脇から裾が竜の飛騨染に、一文字笠を被るのが闘鶏楽やさ。昔はそれを、鳥毛打ちって呼んどったんやて」。
博明さんは昭和13(1938)年に、3人兄弟の長男として誕生。
家業を手伝いながら夜学で高校を出ると、名古屋の染物屋へ弟子入り。
「伝統染工を勉強しようと。でも結局ぼくの方が、教えることばかりやった」。
昭和33年、住み込み修業を終え家業に就いた。
「もともと飛騨一円は、とんでもねぇ祭りの盛んな国やで。飛騨染の烏毛衣装でも、430社もある神社によって、それぞれ粋を競って柄の意匠もみな違うんやさ」。

雪解け水が春の訪れを告げると、何処からとも無く、闘鶏楽の鉦の音が鳴り響き、農作業も終え冬支度に追われる晩秋まで続く。
「鳴り物だけでも、小さい神社で20人、大きい神社やと100人以上になるで、そりゃあ賑やかなもんやさ」。
老いも若きも、極彩色のハレの日の衣装に身を包み、五穀豊穣を祈願する。
「飛騨染の元は、中国の呉の時代に生まれたとか、戦国時代に京都から伝わったとか諸説あるけど、そこから来た呉染の豆汁染めのことやさ」。
まず、大豆を水に1日浸し、擂り潰して豆汁を絞り、それに顔料を混ぜ合わせ、筒引き糊で縁取った中を染め上げる。

1色につき3回ほど上塗りし、3日ほど乾燥させ谷川の天然水に晒し2日ほど乾燥。

さらに雪深い12月~4月の寒晒しで、豆汁の光沢を出し染めの鮮明さを高める。

「染め上げてから2~3年は、洗濯したらいかん。やがて汁が枯れて行って固まると、色の止まり具合もようなって、もう洗っても色落ちせんのやさ」。
一度染めれば、50~60年は日焼けも色落ちもしない。
「ほうやて。きっちり染め上げとるもんで、1回買って貰ったら、次は半世紀も先のことやさ。だで昔は8軒あった染屋も、昭和33年頃からだんだんと減り始め、ハッと気が付いてみたら、もうぼくんとこ1軒やったわ」。

昭和40年、青年団のフォークダンスがきっかけで、よ志子さんと結ばれ、3男を授かった。
「飛騨のもんらは、男女共に10人寄れば10人ともが祭り好きやでな。雪が融けて春になると、鉦の音のカンカコカンが、そりゃあ待遠しいもんやさ」。
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天職一芸〜あの日のpoem 424」
「飛騨染職人」
染物は糊を使用し時間のかかる作業だと思っていました。けれども大豆を使用しながらの染物もあるとは思いもよりませんでした。
飛騨染〜春を心待ちにしている人々の思いの色だったのですね。
雪で閉ざされた飛騨人ならではの、春を待つ心の表れが、あんな原色の染物になったんでしょうねぇ。
昔、兄貴が学校で「絞り染め」の授業があって
染料を学校から貰って来て、
家で白いTシャツをタコ紐で縛って鍋に入れてコトコト煮て・・・
出来上がりもイイ感じの絞り染めTシャツでした。
でもねぇ!流石に外へ着て行けなかった!
ぼくも中学の頃、黒色の染料を薬局で買って貰って、ガーゼのマスクを染めたことがありましたぁ。
でも当時は、そんな黒色のマスクをしている人なんていなくって、結局着けず仕舞でしたぁ!
今なら普通なのにぃ!
鳥毛衣装と言う名前があったのですね。鳳凰に竜かぁ、誰しもかっこ良く見えちゃうよねぇ⤴️惚れちゃうよねぇ⤴️なんちゃって(笑)いかん、最近ワクワクする事が無い。
粋ですよねぇ!
ぼくもそうした処で、生まれて育ちたかったものです。
飛騨染 色鮮やかで 物凄いインパクト!
鳥毛衣装も 鳳凰に竜 カッコいい。
神社によって 柄が少しずつ変わって…って書いてあったけど 勢揃いしたら圧巻でしょうね。
衣装の袖を通すだけで 背中が不思議な力で覆われそう( ◠‿◠ )
飛騨人たちにとっちゃ、待ち侘びた春を慶ぶ、厳粛な晴れ着だったんでしょうねぇ。