「昭和Nostalgia」(572)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

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今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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月に一度の贅沢として、名鉄百貨店の食堂でお子様ランチを食べさせてもらったものでした。

お父ちゃんとお母ちゃんは、決まってショーウィンドーの中でも一番お値打ちな、中華そばかきつねうどんと相場は決まっておりました。

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ぼくは蝋細工の料理を眺めるのが好きで、どうせお子様ランチしか注文して貰えないと百も承知で、一度も味わったことのないような、ハイカラな料理やデザートに首っ丈だったものです。

中でも一度は、食べさせてもらいたくって仕方なかったのがホットケーキ。

どうにも憧れてならなかったものです。

それからいつ頃になってからの事やら、ある日曜日。

お母ちゃんが「今日はホットケーキ焼いてやるでなぁ」と。

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期待に大いに胸膨らませ、今か今かと卓袱台の前に陣取って、待ち構えておりました。

すると「お待たせ!お母ちゃんの大型ホットケーキやでぇ」と。

お盆のような大きな皿に、丸い座布団のような巨大で分厚いホットケーキが一枚。

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ショーウィンドーで覗き見たホットケーキのような、蜜のようなシロップも掛かっていなきゃ、バターもなく、ホイップクリームなんて夢のまた夢。

ショーウィンドーで目にしたホットケーキは、直径15~16cm程で、厚さが2cmほどのもので、それが3枚ほど重なってシロップが垂らされ、バターが一番上に載っていたと言うのに!

お母ちゃんのホットケーキは、大きなフライパンで丸ごと焼き上げたような、そんな大胆なものでした。

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何でもホットケーキは、大正12(1923)年に、東京日本橋の三越デパートの食堂で、「ハットケーキ」の名で登場したものとかで、バターとメープルシロップが添えられていたとか。

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やがて昭和32(1957)年、ぼくが産声を上げた年になつて、森永製菓から加糖タイプの「森永ホットケーキの素」が発売され、徐々に一般家庭でも手軽にホットケーキが楽しめるようになって行ったようです。

今にして思うと、お母ちゃんのお好み焼きのような巨大なホットケーキが、妙に懐かしく思えてなりません。


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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

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